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死してなお生きることば ~相田みつを美術館閉館に寄せて~


「次は28日からだっけ?」
「申し訳ございません、当館は28日をもって閉館いたします」
「え?」
これは、美術館の入り口で交わされていた、客とスタッフとのやり取りである。

有楽町の国際フォーラムにある相田みつを美術館が2024年1月28日に閉館する。奇しくも今年はみつをの生誕100年。開催中の企画展のチラシには「次回」の文字がある。来月から「生誕100年記念 特別企画展」が始まるはずだった。

ホームページで発表されたのは1月9日。閉館のわずか20日前である。「東京国際フォーラムの長期大規模修繕工事のため」とあり、突然の知らせを詫びている。再開についての言及は、今のところない。諸行無常の響きあり。最後にもういちど行ってきた。

美術館は、有楽町という便利な立地にある。にもかかわらず、喧騒を離れた館内は、ゆったりとしたスペースが広がる。薄暗い展示室には、大小の、額に収められた書やろうけつ染めの作品が掛けられている。館内の通路は、みつをが散歩した足利の林道を模してある。乾いた小道の両脇には、落ち葉が吹き寄せられている。静かに歩くだけで心が鎮まり、ここが有楽町であることを忘れさせる。

詩も書も、みつを本人によるもの。音楽でいえば、自分で作詞作曲し自分で歌う、シンガーソングライターである。いまでこそ、オリジナルのことばを書にした作品は珍しくない。しかし1984年に出版された『にんげんだもの』(文化出版局)がミリオンセラーになり、彼の作品を初めて目にしたときには驚いた。

短く易しいことばが、こどものような書体で書かれている。「いまここ」「しぶんの花を」「おかげさん」。墨の濃淡、にじみ、かすれといった色や線が、作品にリズムと雰囲気を与える。含蓄がありながら、親しみも感じられる。革新的な書は、一度見たら忘れられない。

館長であり、みつをの長男である相田一人氏が、書の特徴について解説している。ひらがなが多用されていること。小学生にでも読めること。自由に受け止められること。みつをの書が多くの人に愛される理由は、まさにこの点にあるのだろう。

相田みつをと言えば、日めくりカレンダーである。実家、婚家、自宅のどのトイレにもあった。毎日眺めるうちに、彼のことば、その根底にある禅の教えが、自然に刷り込まれていった。洗脳といってもよいかもしれない。生きる上での大事な考え方を、そこから学んでいた。

そして、毎日あるいは毎月見ていても、飽きることがなかった。なぜだろう。一人氏は「相田みつをを読むことは、結局は自分と対話すること」と言う。確かに、毎日、カレンダーを眺めながら、自分と対話をしていた。みつをのことば、作品には力がある。なぜならどれも直球で、ストレートに心に響くから。読み手は、ことばの力を借りて日々のできごとを咀嚼し、反省する。同じワードでも、経験によって感じ方は変わる。ゆえに常に新たな気づきが得られ、飽きることはない。

好きな詩がある。

トマトがトマトであるかぎりそれはほんもの
トマトをメロンに見せようとするからにせものとなる
(『心の暦 にんげんだもの』より)

他人と比べて落ち込むたびに、この詩に救われた。不安や迷いのある時には、「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」とおのれを鼓舞した。人生を折り返した今は、「生きているうち はたらけるうち 日の暮れぬうち」という心境に共感する。みつをのことばは、あらゆる体験を学びに変えるガイドとなってきた。そして、これからもずっと、そうあり続けるだろう。

閉館が、美術館の死だとすると、とても寂しい。しかし、施設がなくなっても、みつをの詩は心に刻まれ、生き続ける。その証拠に、ふとした瞬間にみつをの詩が降りてくる。彼のことばは、死してなお生き続ける。

美術館では、作品以外にも、みつをの残した音声や映像が静かに流されている。閉館まで残りわずかだが、みつをの作品の前で、しばし足を止めてみてはいかがだろうか。あるいは、作品集のページをめくってみてはどうだろう。心のささくれが癒されるような、今の気持ちにフィットすることばに出会えるかもしれない。

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