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身銭を切るという選択

「自分に遣ったお金は返ってくる」。
これは林真理子著『成熟スイッチ』の一節である。自己投資をすすめる項で、こうつづく。「知的好奇心を満たすために遣ったお金はすべて、遣った人の教養の一部になる」。ファーストクラス、着物、歌舞伎、オペラ、相撲、一流店での食事。すべて肥やしになっている、と著者は言う。果たして、これは一般人にも当てはまるのか。試しにオペラに行ってみた。

5月の日比谷、ミッドタウンでのこと。友人と休日のランチをすませて店を出る。広場のステージではまもなく「オペラ名曲コンサート」が始まるところだった。人垣はまばら。今なら最前列中央に陣取れる。「聞いてく?」「いこいこ!」。つかの間、ソリストたちの演奏に足をとめることにした。

五月晴れの空の下、3人のオペラ歌手がアリアを歌いあげる。磨き抜かれた美声に酔いしれる、贅沢な時間はすぐに終わった。もっと聞きたい、舞台も観たい。彼らは、11月に日生劇場で上演されるオペラ『マクベス』のキャストらしい。そばにいたスタッフに声をかけ、チラシをもらった。

オペラは学校行事か何かでふれたことがある。しかし大人になってから行ったことがない。S席12,000円。通常2~3万することを思えば、リーズナブルである。思い切ってチケットを購入した。

だが演目についての知識が乏しい。全4幕、イタリア語で上演される。日本語の字幕付きとはいえ、文字を追いながらでは心もとない。過去には、チンプンカンプンで居眠りしている間に終わってしまった、ということもある。身銭を切ったからには、元を取りたい。公演までになんとかしなければならなかった。

オペラ『マクベス』は、シェイクスピアの同名戯曲をもとに書かれたヴェルディの名作である。主人公のマクベスは、魔女の予言をきっかけに、権力への野心を実現すべく国王を暗殺し、最後には身を滅ぼす。暗く重いテーマで、興が乗らない。あらすじだけではなく、どんな場面でどんな歌が歌われるのか、オペラの展開も知っておきたい。YouTubeも視聴するが、断片的で入ってこない。本番が近づくにつれ、焦りがでてきた。

公演の2週間前。初台にある新国立劇場の情報センターを訪れる。記録映像を見せてもらい、ようやくオペラの全体像をつかむことができた。さらに公演前日、「舞台フォーラム -マクベス舞台芸術の世界-」という、技術者育成を目的としたイベントにも足を運んだ。本番の舞台で、実際の装置や衣裳、照明を使った解説を聞く。

演出家の粟国淳氏は、この作品はヴェルディが33歳の時に書いた作品で、音楽的要素もさることながら演劇的にも楽しめる、と力説する。そして、マクベスのように悪に手を染めてしまう可能性は誰にでもあり、その恐ろしさを聴衆に感じてもらえるよう演出した、とも語った。

美術と衣装を手掛けたのはイタリア人のアレッサンドロ・チャンマルーギ氏で、デザインの基になった資料、スケッチ、模型、図面など、惜しげもなく見せてくれる。今回の衣装は、1930年代のオートクチュールを参考にしたと言っていた。

照明の大島祐夫氏の話はかなり専門的である。どういった照明をどの位置から使うのか、図面と写真を用いた説明を聞き、こんな工夫や苦労があるのかと感心するばかりであった。

演出家らスタッフ目線の話が聞け、オペラへの期待値はマックスに達する。まったく、一観客にすぎないのに、たいそうな騒ぎようだ。しかし、その甲斐あって、3時間弱の公演を余すことなく楽しめた。

さて冒頭に戻ろう。はたして、身銭を切って「教養」は身についたのか。目に見えるものではないから、何とも言えない。確かなのは、オペラの魅力を知る前にはもう戻れないということ。

舞台で演じる豪華キャストは歌手だけではない。オーケストラ、合唱、それにダンサーもいる。プロフェッショナルの技は、観客の目につかないところにまで凝縮されている。はじめての自腹オペラは、奇しくも舞台芸術のすばらしさに開眼する機会となった。

切った身銭は裏切らない。迷ったときには身銭を切る。こう断言したいところだが、実際には予算に限りがある。この事実とどう折り合えばよいのか。林真理子の答えは「たくさん遣うために、たくさん働く」だった。

確かに、仕事をするモチベーションとしては正しいように思うが、教養を身につけるのに、必ずしもお金が必要だとは思わない。ただ、身銭を切れば、より真剣になる。良くも悪くも執着心が生まれ、それが向上する推進力になる。身銭にはこんな付加価値もあるのではないだろうか。

あのとき切った身銭が身になっている。後々、そう思える生き方をしていきたい。

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