周りを見ることのできる私になりたい
感受性豊かなことは、良いこともある一方で悪いこともある。
とある番組が、デヴィ夫人がフワちゃんに怒るというドッキリを企てていた。
最終的には、フワちゃんの素晴らしい気使いがあったが故にデヴィ夫人が怒ることはできなかった。
番組のコーナーでエンタメの面を考慮した上で、フワちゃんが"デヴィ"と呼び捨てにした。
呼び捨てにしたことでデヴィ夫人の顔が一変した。瞬時にデヴィ夫人の表情の変化に気がついたフワちゃんは、呼び捨てすることをやめた。
デヴィ夫人は、「彼女(フワちゃん)は常識を持っているんじゃない?普段は演じているだけで。私彼女のこと好きかもしれない。」と仰っていた。
常に周りをよく見て、手を差し伸べる人はすごい。そういう人ほど人から好かれやすい。
フワちゃんは感受性が豊かだと思った。表情の変化でドキッとすることもあるのだろう。疲れないのかなと心配になる。
私の母から「さっき電車の中で前にいた人、咳すごかったね」と言われた。私は読み物に集中しすぎてしまい、全然気がつかなかったのだ。
「そんな人いた?」と聞くと、母は「いたよ。周りを見てないっていいね。気にならないんだね。」と言われた。
私は普段から周りを見ている方だと思っていた。他にもエピソードはあるが、普段の出来事からそうではないことに気づかされた。
母からの言葉は注意しなければならない警告だったのだ。
私のように周りを見ていない人間になると、相手の立場に立って考える力は劣る。
人と関わっていく中で周りを見る力は必要。
バイトでは気を引き締めすぎているため、おそらく周りを見ることができているのだろう。注意されたことはあまりない。
でも、気が緩んでいるときは周りを見ることのできない私になる。不意に気づかされた。
利他主義的なところがあるのだろう。たとえ気の許せる仲間と一緒に居るときでも、無意識で気遣っている人もいる。
私は普段から意識するべき。これに限る。
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