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日本中世の職能民⑤

皆様、こんばんは。
もう少しで2023年が終わりですね…。
何とか、職能民までは年内に完結できてホッとしています。
歴史系、地域系の更新は2023年この回で終わりになります。
が、年内の振り返りと映画『首』についての感想だけは書いときたいのでその二つは頑張ります。
本当は、映画については感想書く気なかったのですが、本音の感想ベラベラ夫に話したらめちゃくちゃケンカになったので文字にして自分の中のものを消化したいのです。

そんな予告はさておき、早速本編へ行きましょう。


職人の図像

中世、「道々の者」「道々の輩」といわれた広義の「職人」に焦点を合わせ、時代を追って「職人歌合絵巻」「洛中洛外図屏風」「職人尽絵」の図像を通観してみると、特徴的な変化を見出せる。
「職人歌合絵巻」は5作品が知られている。中世前期―おそくとも南北朝期以前に成立した『東北院歌合』五番本、十二番本、『鶴岡放生会歌合』と室町後期―中世後期の『三十二番歌合』『七十一番歌合』には、差異がある。
服装、髪形、被物等による「職人」さらに明らかに卑賤視されるようになった人々が意識的に図像化されはじめている点は、中世前期の「職人歌合絵巻」と大きく異なっており、「職人」自体のあり方の変化がはっきりと影を落としている。
それだけでなく「職人」の姿態にも明瞭に見出すことができる。
また、「屋」をもつことなく、市から市へと遍歴し、注文主の作業場で仕事をしていた中世前期の「職人」が、中世後期に入り、仕事場、売場を含む住居としての「屋」をもつ「職人」、特定の市座で商品を売る「職人」、依然として遍歴を日常とする「職人」等に分化していった経緯を、読み取ることができる。
戦国期から近世初頭にかけてさかんに制作された「洛中洛外図屏風」等になると、多種多様な「職人」の図像を加えつつ立体的な都市や寺社の風景の中に生き生きと描き込まれている。
女性の「職人」や覆面姿の卑賤視された「職人」がほとんど見出せない。

本日のまとめ

今回の職人の図像については、詳細が『職人歌合』と重なる点が多いため、省いた点も多い。
しかし、昔は卑賤視などされていなかった職業や女性が時代を下るにつれて姿を見せなくなったのは、これまでの神仏などの権威の低下や価値観の逆転が無関係ではないだろう。
かと言って人は、病などを克服するために新たな科学、知恵などを獲得しないなどできない生き物だ。
問題は過去にできた卑賤視をしない考え方を今の価値観からどのように導きだすか、ということなのかもしれない。
ただ、あくまでもこのnoteでは猿楽師の過去の立場や伝統芸能などのあり方を様々な角度から検証し、史料の乏しい榎並猿楽をある程度知ること、大阪市東部の歴史、摂津国の歴史を知ることを主眼に置いているので、人権的な価値観の検証に踏み込む必要があるまでは以前にも述べた通りここまでとしたい。
2024年最初の歴史系の更新は、中世の罪と罰…要は刑法や独特のルールについて紹介するところからはじめたい。
しばらくは網野善彦先生の偉業をまとめつつ、その後最新の研究や経済へと移り、大阪市城東区や東成区、鶴見区などの歴史へと徐々に触れていき、その時々に必要な各時代の歴史も触れられればと改めて考えている。
今回はお付き合いいただきありがとうございました。
次回、2023年はあと2本程お付き合いいただけると幸いです。

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