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小説「会計年度任用職員の憂鬱」②#創作大賞2024

 一週間後に再び係会議が行なわれた。内容は、業務分担を変更するものであった。
 佐藤は、自身が即席で作成した業務分担表を配布した。
 木下が持っていた業務を残った四人で分担することになった。美幸は、初めての事だったので、不安に思った。
 佐藤の作成した業務分担表を見ると、森美幸、総務関連と書かれていた。
 新人二人もやっと事の大きさを理解したようで、頭を抱えていた。とりあえず、大まかな事業を係長が担当し、それから二人の新人、美幸へと配分された。

 美幸は、メール処理、物品購入、支払い処理などの総務関連の仕事を任された。木下が取り組んでいた業務で、木下が一番嫌がっていた仕事でもあった。特にメール処理は、とにかく面倒くさいと度々聞かされていた。
 佐藤曰、新人二人にその業務をやらせるのは可哀そうだという事で、美幸に白羽の矢がたった。
「お願いします。」
と普段以上に高い猫なで声で、お願いしてきた。
 普段美幸を雑に扱っていたが、頼み事をする時は、作ったようなわざとらしい猫なで声に加えて、甘えた目を向け、おねだりしてきたものだった。その態度に、女であったが、いつも少しドキリとさせられたものだった。心の中では、都合の良い奴めとは思っていたが、逆らうとそれ以上の業務を振られるので、黙って受け入れていた。
「分かりました。引き受けます。」
 佐藤の顔は、ぱっと花開いたように明るい表情になった。
「いきなり新人二人がやると、可哀想ですからね。」
 私の事は、可哀そうではないのかと少し腹が立ったが、新人の二人がうるうるとした目で、こちらを見つめていたので、引き受ける他なかった。

 そこから美幸の憂鬱な日々が始まった。

 その日以降、徐々に木下の業務が引き継がれていった。
 木下の空いている時間を見計らって、引継ぎを行なった。木下は、普段の業務に加えて、四人全員に引継ぎを行なわなければならないので、かなり忙しそうであった。
 木下から引き継いだ業務は、確かに、面倒くさいものであった。木下が言っていた通り、メール処理の業務に、かなりの時間を要した。
 世間は、デジタル化が進んでいても、公務員は今だ紙史上主義だったので、色んな課からくる照会メールをいちいち印刷して、起案する必要があった。起案したものの決裁を取るために、三人の係長に見せ、課長補佐、課長まで回す必要がある。内容的に大した事が無い物が多かったので、忙しそうにしている管理職に声をかけるには、気が引けた。
 起案するだけでなく、毎日の様に庁内から来る照会メールを、フォルダに逐一保存する必要もあった。保存するだけならまだ良いのだが、課で一つのフォルダを共有していたため、その容量が溜まってくると、保存できない状態に陥った。
 そのため、決裁が済んだメールを逐一消す必要があった。美幸からすると、どれも同じ物に思えたので、たまに間違えて、重要なメールを消してしまう事もあった。
 そのことを佐藤に報告すると、いつもため息をついて、冷たい目をこちらに向けてきた。怒鳴りはしなかったが、小言を言われた後、メールを通して説教された。陰湿な事に、そのメール内容は、CCを通して、課全体に共有された。
 美幸からすると、怒鳴られた方が幾分ましであった。
 毎日、メールの事を考えるだけでも憂鬱になった。美幸も木下と一緒にアメリカに行きたい気分に陥った。

 木下の退職日が近づいたので、少し早かったが退職祝いも兼ねて、係長を除いた係の四人で職場近くの居酒屋に行くことになった。美幸だけでなく、木下も佐藤が苦手であったので、誘わないでいた。
 佐藤は、今までの課の飲み会にも参加した事が無かったので、誘った所で結果は目に見えていた。

 仕事終わりに、集まって目的の場所に向かった。勤務時間外という事もあり、四人とも少し肩の荷がおりて、顔が緩んでいる様に見えた。
「いらっしゃいませ。ご予約されてました。森様ですね。」
 美幸は事前に予約していたので、一行はすぐに通された。本音を話すことが出来るように、個室を事前に選択しておいた。
 美幸以外はここに来るのは、初めての様で、何度かここに来たことがある美幸が船頭に立った。
「何にしようか。先に飲み物を決めようか。皆は、何にする。」
「どうしようかな。色々ありますね。うーん、決めた。私は、ビールで。」
「私も、木下さんと同じもので。」
「僕は、レモンサワーで。」
「私もどうしようかな。いきなりビールでもいいんだけどね。決めた。じゃあ私は、コークハイにするわ。食べ物はどうする。定番メニューをもう適当に、頼んでいくわ。」
一通り、メニューを見て決め終わった後、店員を呼んだ。

 飲み物は、すぐに届けられた。
「じゃあ、皆お疲れ様。今日は、忙しい中、ありがとう。木下さんもあと踏ん張り頑張りましょう。」
と美幸が乾杯の音頭をとり、各々グラスで乾杯をした。
「ありがとうございます。何かまだ実感が湧きませんね。」
「お疲れ様です。木下さん。新天地でも頑張って下さい。」
「あともう少しで、退職されると思うと、寂しくなりますね。」
 各々、木下に声をかけた後、手にしていた飲み物を喉に流し込んだ。
 プアッと仕事終わりに飲むキンキンに冷えたアルコールは、最高であった。
 その後、先程頼んでいた料理が続々と運ばれてきた。その間、四人は料理をつまみながら、他愛もない話をして、大いに盛り上がった。
 木下、安井、高橋のそれぞれ、職場では見られない顔を見ることが出来た。
 木下は、普段はツンとして冷たい印象であったが、酒を飲むと笑い上戸になる様で、よく笑った。今まで職場で見せたことが内容な笑顔をしていた。笑い上戸なだけでなく、よく喋った。美幸だけでなく、他の二人も驚いた表情を向けていた。
 思えば、職場以外での顔を見たことが無かったので、恐らく、こっちが本性なのだろうなと思った。そう考えると、今職場にいるものも、結構仮面を被っているのかもしれないなと思った。
 木下だけでなく、安井と高橋も飲みの席だと違った顔を見せてくれた。
 安井は、酒が入ると、喋るに喋った。酒を飲むと、饒舌になる様で、ある事ない事、余計な事をペラペラと話した。普段口数が少なく、あまり何を考えているか分からない男であったが、意外と話したら、面白かった。色んな趣味を持っているようで、叩けば叩くほど面白い話が出てきた。
 高橋は、酒が入ると幾分強気になった。普段職場では、物怖じして、あまり何も言わない大人しい性格であった。酒が入ると、この場では私はおろか木下にまではっきりと意見を述べている。初めて、赴任してきた時は、大人しくて少し心配になったが、中身はしっかりしているようだった。この子なら、どこでもやっていけそうだと思った。
 酒に強い美幸は、アルコールが入ってもあまり変わらず、冷静に彼女らを見ていた。

 ふと時計を見やると、夜九時を指していた。彼是、三時間半ほど飲んだり、話した事になる。あっという間に時間が過ぎ、時間的にもそろそろ終盤かなと皆が思い始めた所で、木下は、神妙な面持ちで、本音を漏らし始めた。
「ちょっと皆さん、お時間大丈夫ですか。」
 いつもとは、異なる雰囲気であったので、少し心配になった。
「どうしたの。」
「私、本当はアメリカに行く事が凄く不安なんです。」
と泣き言を漏らし始めた。職場の中では、そんな弱みを一度も見せた事が無かったので、驚いた。
 少し木下の様子を見てから、出来るだけ穏やかな表情をつくり、
「木下さんなら、絶対大丈夫。」
と励ました後、優しく肩に手をおいた。
「そうですかね。海外で生活する事が初めてで、凄く不安で。あっちの方って日本に比べて治安が悪いみたいで、今からかなり不安なんです。仕事の面でも、周りはハーバード大学、ケンブリッジ大学などの世界的に有名な大学出身者が多いみたいで、私自信無くしちゃって。」
「凄いじゃない。そんな所にいけるの。木下さんは、日本が誇る東大じゃない。それに挫けたって、木下さんはまだ若いから絶対大丈夫よ。」
「そうですよ。絶対、木下さんなら、大丈夫ですよ。」
「羨ましいですよ。アメリカのしかもニューヨークで働くこと出来るなんて。それに、優秀な人なので、絶対大丈夫だと思います。」
 各々の励ましの言葉で、少し潤んだ様子で、
「皆さん、ありがとうございます。私なんて、買い被られているだけですよ。本当は、私かなり心配症な性格で、それを悟られない様に、いつも周りには強気な態度を見せていました。」
 三人は、木下の話を黙って聞いていた。
 美幸にとっては、木下が周りに本音を見せてくれたので、少し熱い気分になった。こんな事なら、もっと早くに話し合いたかったなと思った。
「すいません。ハイボールお願いします。」
と冷めやらぬ気分のまま、追加でアルコールを注文した。まだまだ、飲めそうだと思った。

「皆さん、お疲れ様です。本日は、ありがとうございました。明日もよろしくお願いします。」
と美幸が解散の音頭を取った後、各々解散した。
 腕時計を見ると、夜の十一時を指していた。
 この時間帯は、人の数も疎らで、多くの店が閉まり始めていたので、まるで街全体が眠りに入るように感じられた。段々と、暗くなっていくネオンで彩られた街並みと、反比例するかのように、月明かりが存在感を増していった。
 美幸は、ふと夜空を見上げた。
 そこには、綺麗な満月が佇んでいた。
 暫しの間その情景に風情を感じ、立ち止まった後、少し肌寒い月明かりに彩られた道を歩き出した。

「木下さん、お疲れ様でした。」
木下の最終出勤日である七月三十一日に勤務終了後、課で労った。

 課で事前に用意していた花束、プレゼントを渡した。
「ありがとうございます。」
と普段職場では見せない顔を見せ、課にいるものにお礼の言葉を述べた。無事に退職日まで迎える事が出来た安堵感と長年勤めた場所を去る寂しさの両方を兼ね備えた表情であった。
 木下のこれからの抱負を述べた後、課長が終了の挨拶をした。
 少しひと段落した後、木下の所に向かい、
「今まで、お疲れ様。最後に色々と話が出来て、嬉しかった。新天地でも頑張ってね。」
と声をかけた。
 木下も頑張って止めていたものが外れた様で、目に涙を浮かべながら、美幸に抱きついた。 美幸ももらい泣きをし、そっと優しく抱き返した。

続き

#創作大賞2024 #お仕事小説部門


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