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小説「会計年度任用職員の憂鬱」④#創作大賞2024

 噂の鬼塚が赴任してきた。
「初めまして、こんにちは。新たにこちらに赴任してきた。鬼塚です。よろしくお願いします。」
 女性らしからぬ、どすの利いた声をしており、名前と同じく、鬼のように怖い顔をしていた。女子プロレスの悪役レスラーににいてもおかしくないような風貌をしていた。初めて実物を見たが、噂以上の化け物に感じられた。課にいるものも同様の様で、固唾を呑んで鬼塚の事を見ていた。
 最初は、猫をかぶっていたようで、穏やかな対応であった。
課の誰かがミスをしても、
「大丈夫よ。気にしないで。今度気をつけてくれたらいいから。」
と優しく対応していた。
 その様子を見て、意外と噂の独り歩きではないかと思ったが、その当てが外れ、次第に本性を表しだした。

 鬼塚は、とにかく気分屋で、日によって態度がコロコロ変わった。機嫌が良い日は、愛想が良く、誰彼構わず必要以上に話しかけた。その日は、豪快によく笑った。機嫌が悪い日は、最悪で、冷たい態度をとったり、八つ当たりがてらに、ヒステリックに怒鳴り散らかした。電話も壊れるかと思うぐらいの勢いで取ったりした。その変わり様に、不気味さを感じずにはいられなかった。
 課の職員が少しミスをすると、
「どういう根拠でこれを起案しているの。」
と執拗以上につついた。幾分仕事が出来たため、更に質が悪かった。
 課長も鬼塚の対応には苦労している様で、鬼塚が話しかけると、しどろもどろになっていた。その姿を見て、どっちが課長なのかと思った。

 彼女が来てから、明らかに課の雰囲気が変わった。いつもどんよりとはしていが、殺伐とした空気へと様変わりしていった。みな、鬼塚の機嫌を損ねないように必死であった。
 美幸は、一体誰のために仕事をしているんだよと皆に少し怒りの感情を持った。
 鬼塚は、女性の嫌な所を集めたような性格をしていた。とにかく、ひん曲がっていた。
 美幸の係もその影響を受けた。
 鬼塚の前の三条は、穏やかであまり怒らない性格だったので、佐藤も自由奔放にやっていた。鬼塚になってから、彼女も他の職員の例に漏れず、度々叱責を受けていたので、今にも泣き出しそうな雰囲気になり、かなり応えている様であった。
 顔には出さなかったが、能面のような顔をしていた安井も相当応えている様で、明らかにため息の数が増えたように感じる。
 高橋も、前よりも引っ込み思案になるようになり、小さい体が更に縮こまった様に感じられた。
 その点、今別府はベテランという事もあり、上手く関係を保っていた様に感じる。鬼塚の機嫌を取るのが上手かった。鬼塚は、今別府と話している時は、他の職員に比べて、機嫌が良い様に感じられた。
 また、佐藤との関係も悪くならないように、神経を擦り減らしながらも上手く関係を保っていた。癖のある二人の女性を相手にしていたため、着任してきた当初よりも随分とやつれた様に感じる。
 美幸は、会計年度任用職員の立場であったため、あまり接点が無かったが、
「あら、早く帰れる身分はいいわね。」
とたまにちくりと嫌味を言われることはあった。
 それでも、今別府が赴任してきた事で、美幸が受け持っていた総務関連の仕事を今別府が担当する事になり、業務関連の憂鬱さが無くなり、気持ちにゆとりが出始めていった。約二か月ぶりに、定時退庁することが出来るようになり、夫婦仲は改善し、前にも増して息子を含めた家族仲が良くなった。

 鬼塚が赴任してきて、二ヶ月が経った頃、事件が起こった。
 新卒の安井が交通事故を起こして、一か月程入院することになった。
 何でも、休日に車で出かけていたときに、玉突き事故をおこされた様であった。むち打ちの状態になり、一か月程安静にしなければならないという事だった。

 また、例のごとく係会議が行なわれた。この会議が開かれるたび、美幸は憂鬱になった。
「森さんは、以前やっていた総務関連の仕事をお願いします。」
 木下の時と同様、二か月ぶりに安井の業務を分担することになった。
 ただ、その時に比べて、安井が戻ってくるのは、分かっていたので、係の者はそこまで悲壮感を漂わせていなかった。業務分担の話が終わると、珍しく新しく来た鬼塚についての愚痴になった。
「最近、酷くないですか。」
と佐藤が、端を発したのがきっかけで、各々不満を述べ出した。
「皆さんも感じられていると思いますが、あの人、かなり対応が酷いですよね。機嫌によって態度がコロコロ変わるが、どうしてもね。最近は、いつにも増してここにくるのが億劫になってます。私ここにくるのが本当に嫌なんですよ。今は、責任感でのみ来てます。」
 佐藤が、こうやって不満をたらたら述べる姿をあまり見かけた事が無かったので、少し驚いた。彼女も鬼塚には相当まいっているらしく、どこにも鬱憤を出せない不満が、溜まっている様であった。
 確かに、鬼塚の前の三条は優しく、特に佐藤は甘やかされていた。そのため余計に応えている様であった。美幸は、佐藤の姿を見て、やっぱりいくつになっても、甘やかすばかりでは駄目だなと思った。
「確かに酷いです。」
「しんどいですね。」
 高橋と今別府もそれに続いて不満をもらした。
 高橋、安井は特に目の敵にされていた。新入職員が嫌いな様で、意地悪な指摘をされ、答えられないでいると、執拗に嫌味を言われた。入院するのは気の毒だが、安井は事故を起こして良かったと思っているに違いない。
 端から見ると、今別府は鬼塚と上手くやっていると感じていたが、相当気を遣っている様で、最近は眠れない日が続いているとの事だった。
 各々不満をある程度言った後、佐藤が解散の音頭をとった。
 全員がため息をつきながら、席を立った。共通の敵が出来た事で、この係は幾分一体感を増した様に感じた。共通の敵がいるので、団結するのは、どこでも共通なのだろうなと思った。

 そこから、度々鬼塚対策の為に、係会議が度々開かれる事になった。鬼塚対策という名目ではあったが、会話を介する事で、係は今までより良い方向に、雰囲気が変わっていった。
 それは、係長の佐藤に起因している。佐藤も係の者と会話を重ねるごとで、幾分本音も出るようになった。
 そこが、彼女なりのはけ口になりつつあるらしかった。佐藤は、会話を重ねるごとに、どこか憑き物が取れたように、穏やかな雰囲気へと変わっていった。以前は、鬼塚に負けず劣らずの鬼の形相でキーボードを叩き、業務に取り組んでいたものだが、今はその様な表情になる事は極端に少なくなり、仏のような顔つきに変わっていった。
 その変わり様に、美幸も驚いた。
 自分にゆとりが出来始めると、美幸を含めて係の職員に対しても、
「大丈夫ですか?」
と自分が忙しくても度々声をかける様になった。
 今までは、自分の仕事一辺倒な印象を受けたが、日に日に変わっていった様に感じる。
 恐らく、長年無意識のうちに纏っていた公務員の魔物が取り払われ始めたのだろう。
 佐藤の姿を見て、仕事では自分なりの鬱憤のはけ口がどこにあるかを自覚する事が大事なのと、人間関係を良好にするために一番大事なのは、会話なのだろうと学んだ。
 
 美幸が所属している係は、体感的にあまり話さない職員が多くいた。佐藤の前の係長もあまり話さない職員だったので、偶然にも似たような性格の人物が職員が集まるようであった。
 それに比べて、隣の係は、よく対話が出来ている様に感じた。かなり忙しい係であったが、幾分雰囲気も良さそうにみえ、忙しくても悲壮感というものが漂っていなかった。

 美幸の佐藤への評価が変わり始めた頃合いで、佐藤と二人で対話する機会に恵まれた。ずっと、二人で話してみたいとは思っていたが、中々実現することはなかった。
 どうやら個人面談という名目で行なうらしかった。
 個人面談は、係長と係の職員とが一人一人と進捗状況を確認したり、少し対話をしたりするものだ。
 こちらの係でも、たまに行なう事があったが、正規職員同士で行なう事が多く、会計年度任用職員の美幸には縁がないものだと思っていた。職員が 出払っている時は、いつも係の留守番をさせられていた。少し羨ましい気持ちを持っていたが、自分にはあまり縁がない事だと諦めていた。
 最近の佐藤は別人のようになったので、美幸一人だけしない訳にもいかず、忙しいにも関わらず、時間を設けてくれたようだった。その心意気が嬉しかった。
「森さん。今お時間大丈夫。」
「はい。大丈夫です。」
「それでは、行きましょうか。」
 佐藤に声をかけられた後、会議室に向かった。

 会議室に入り、お互い向かい合う形で座った。初めての事だったので、少し緊張していた。
「お忙しい中、ありがとうございます。」
「いえいえ、私も二人で話すなんて、初めてなので緊張しています。」
「こうでもしないと二人で話す時間作れないでしょ。」
そこから、業務関連、日頃思っている事や他愛ない事を話した。少し、話しやすい雰囲気になった所で、佐藤から
「実は、森さんに謝らないといけない事があって。」
どうやら、これが本題らしかった。少し気持ちを落ちつけてから、
「森さん、今まで本当にごめんなさい。忙しくなると、私周りが見えなくなるみたいで、結構冷たく、雑に扱ってしまったわ。そのせいで、色々と不快になるような事をしてしまったかもしれないです。やっぱり立場上、周りには弱い姿を見せてはいけないと思って結構突っ張っていたと思います。それも責任感からくるものでした。ただ、少し変な方向に向いたかもしれないわ。許してほしいとは思わないのだけれど、少しわかって貰えたら、嬉しい。そして、いつも遅くまで残業ありがとうございました。」
 一瞬、どういう風の吹き回しかと思ったが、どうやら美幸に対しては、色々と責任を感じていたようであった。美幸は、佐藤に対して誤解していた。美幸もあまりにいい印象がなかったので、あまり知ろうとせず、歩み寄ろうとはしなかった。そのため、一方的な印象で判断している節もあったかもしれない。
 佐藤の気持ちを汲み取り、
「こちらこそ、ごめんなさい。あなたの事どこか誤解していたようだわ。」
 佐藤の顔が明るくなるのを感じた。
 お互いがお互いを理解しようとせず、悪い方向へとどこかすれ違いをしていた様だった。
 この日を境に、少し、佐藤とは分かり合えた気がする。
 そこからは、少しずつ心を開いてくれたようで、
「おはようございます。」、「今日もお疲れさまでした。」
と前よりも愛想よく、挨拶を交わしてくれるようになった。

 他にも、係の職員が、鬼塚にいびられると、佐藤が代弁して、擁護するようになった。鬼塚の度重なる姿を見て、堪忍袋の緒が切れた様だ。
「いい加減にやめてください。みんな何も悪い事してないじゃないですか。」
鬼塚は、抵抗されたことにムッとした様で、
「何を生意気に。」
と反抗した。
佐藤としても係長としても責任感と意地があったので、負けじと
「機嫌でコロコロ変わるの本当に迷惑しているんです。私だけでなく、他の人たちも思っています。いい加減気付いて下さい。」
すると、その様子を見て、他の職員が援護射撃をしてくれた。
「そうですよ。何も間違った事言ってないですよ。」
「もう少しだけ、気遣いして欲しいです。」
 鬼塚もばつの悪そうな顔をして、黙っていた。流石の鬼塚も多勢に無勢だと折れた。
 それでも、度々いちゃもんをつけてきたが、折れずに佐藤は立ち向かっていった。大体、他の職員も援護してくれ、多勢でぶつかっていくと、鬼塚もどこか観念したようで前よりは大人しくなった。
 佐藤の責任感と意地が垣間見える事が出来た。

 そうこうしているうちに、安井が戻ってきた。ずっと入院していたようで、元々細かったのが、より細くなったように感じた。
 安井は、前よりも良くなった課の雰囲気の変わりようを感じ取っていた。暴君の鬼塚も大人しくなり、係も今まで以上に明るくなっていた。
 疑問を持った顔で、安井は、
「何かあったんですか。前よりも明るくなった様ですけど。」
係の者全員が、口を合わせて、
「秘密。」
といたずらっぽい笑顔を一人知らない状態の安井に向けた。
 安井は、きょとんしているようで、何が何だかなという顔をしていた。それでも、すぐにその係に溶け込んだ。
 そこからは、代わりに行なっていた業務が安井に引き継がれ、美幸の業務も例年通りに戻っていった。

 早いもので、二月になっていた。

続き

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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