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若者の苦悩と葛藤 ~世界長期旅から得られた事とは?~

公務員を一年で辞めて、世界長期旅に出た。結果として、四十二か国に訪れる事ができた。

帰国して幾ばくかの月日が経った。

毎日考える事、悩む事が多く、迷いながらも今を生きている。生きるって、難しい。

公務員を退職する前、した後は、多くの人に勿体ないと言われた。自分の中では、元々入る前から漠然と一年で辞めると決めていたので、殊更自分に対しての驚きはなかった。

何故、世界長期旅に至ったかというとそれは大学生時代に遡る。

大学三年生の時、私達の世代は、新型コロナの流行真っ只中で、大学の授業の多くが、対面からリモートへと切り替わっていった。また、同時に並行して行わなければならない就職活動もリモートに切り替わっていった。

大学まで片道二時間半かけて通っていたので、リモートへと切り替わった事により、往復五時間という莫大な時間を手に入れる事が出来た。

就職活動の時期に、自己分析や業界研究をしていくようになり、将来について真剣に考え始めた。

元々、時間があると余計なことを考えてしまう性格だったので、時間が増えたことで、余計に考えすぎて深みに入っていたと思う。

大学二年生までは、公務員になると漠然と決めていたのだが、将来について考えるに連れて、これは俺が進むべき道ではないぞと違和感を持ち始めた。

モヤモヤはあったが、根は真面目なので、公務員講座を受講して、毎日しっかり5時間程は勉強していた。

モヤモヤを持ち始めた原因は、B'zの稲葉浩志と高校の先生の死が多くを占めている。

大学三年生の頃に、B'zにハマった。親の影響で、小学生の頃から聞いてはいたが、そこまで熱心なファンという訳ではなかった。
B'zというよりもボーカルの稲葉浩志に衝撃を受けた。何てカッコいい人なんだと純粋に思った。女性がジャニーズを見てカッコいいと叫ぶような感じではなく、あんな風になりたいという尊敬の眼差しを強く持った。

稲葉浩志自身も教員志望からロックシンガーになったので、ある意味自分の現状を重ねて見ていた。

そうなっては、公務員試験の勉強をしても頭に入ってこず、
俺もシンガーになると無謀な夢を掲げたものだった。

ただ、意外と行動力があったので、プロの作曲家に自分が作詞した物を送りつけたりしてみた。

今こうして、シンガーではないので、ご承知の通り、断られてしまった。律儀にも、僕よりもロックな人が向いていると言われ、作詞した歌詞からもロックな思いが出ていたようであった。

もう1つの大きな要因は、高校の先生がバイク事故で亡くなった事だ。担当してもらった事はなく、全く記憶にはない先生だったのだが、風の知らせでその一報が耳に入った。
それを聞いて、何処か胸に穴が空いたような気分になり、人間っていつ死ぬか分からないんだという感情を強く持つようになった。

やっぱりやりたい事をやりたいと思うようになっていった。

そこから、普通に就職するのは嫌だと思うようになった。ただ、そうは言っても、講座費用を無駄にしたくなかったのと親や周りの手前上、就職しない訳にも行かず、とりあえず公務員試験を受け、受かった所に行く事にした。

ただ、心の中はかなり尖っていたので、面接は何の対策もせずに受けた。
落ちたら、こっちからお断りだという考えだったので、緊張もせず、思った事をはっきりと言う事が出来た。
それが帰って良かったのかもしれないと考えている。最悪全部落ちても、半年間ヨーロッパ周遊をしようと考えていた。

その頃から海外に行く前兆はあったのかもしれない。

不幸か幸運かも分からないが、とりあえず地元の役所に就職することが出来た。親や周りはかなり喜んでいたが、周りの温度差と裏腹に私の心の中は恐ろしく冷たいものがあった。

職場の人は、優しい人が多かったので、色々と教えてくれた。就職してからも、やる気のある新卒を演じないといけないのが苦痛であった。毎日自分の本心に嘘をつくのが、精神的にしんどかった。

毎日これで良いのかという自問自答の繰り返しも同時に行っていた。

忙しい課だったので、あれこれと考える暇は無かったのだが、当時流行していたコロナに罹り、二週間自宅で療養した。
その時、考える時間があったので、辞めようという結論を密かに出した。

ただ、一年で辞める決心をしても、周りは露知らず状態なので、相変わらず熱心に指導して頂いた。本当に大事に育ててもらったと思う。

騙し騙し勤務する事に罪悪感が募っていった。いっそ嫌われたいと思いながら、毎日勤務していた。

そのため、最終勤務日は、その申し訳無さで涙が止まらなかった。

何の才能も無かったのだが、若気の至りということもあって何か特別な存在になりたいとという感情を捨てきれないのと好きな人の記憶に残りたいという感情の二つで、何か凄そうな変わった事をしようと考えた。

この二つの感情は、多くの人が胸に秘めていると思う。

手っ取り早く凄そうなものは何かなと考えるとそれは世界一周であった。実際は、仕事を辞めて長期旅行をするだけではあるが、字面だけ見ると世界一周って凄そうに見えたので、それを選択することにした。

あまり海外に行った事がない、自分の性質を知らないにも関わらず、かなり無茶な時間、予算設定をしてしまった。

海外に行く事が動機ではなかったので、なるべくお金を使いたくなかった。そのため、空港泊、野宿、食べない、安いパンを食べるなど体に悪い事ばかりしていた。そもそもあまり海外に行ったことがなく、世界一周からぶっつけ本番だったので、ホームシックになってしまった。

その影響もあって、精神的に衰弱してしまった。

全く、楽しくなかった。旅行というよりは、修行に近い感覚であった。

私は、人よりかなりの飽き性だったので、一つの都市に一日で十分であった。
インドネシアのスラバヤにいた時は、ホームシック、罪悪感も募って、精神的に参ってしまい、部屋に引きこもってしまった。見所もあまりないのにもかかわらず、二週間ほど滞在してしまった。

時間があって、する事がないと、自分は何をしているんだろうと時間があってする事がないと、ネガティブで鬱気味になる。ベルトで首を吊ったらどうなるんだろうなどと邪な考えも出てきた。

若くして死ぬことに多少の憧れもあったので、海外で死ぬのも悪くないなと考え始めた。尾崎豊、ブルースリーなど若くして亡くなり、伝説になる事に憧れていたからだ。

それでも、やっぱり死にたくなかったので、別のことを考えたり、毎日出歩くようにはした。そのおかけで、最悪の事態は免れた。

帰りたい気持ちが募っていたが、スラバヤからは何とか帰国せずに済んだ。インドネシアから色んな国を周って、香港にいる時に、途中帰国した。

香港は、物価も高かったので、空港泊を度々した。香港空港にいる時に、眼の前にやってきたホームレスが食パンを食べているのを見て、未来の自分に姿が重なった。
そう思うと、何やってるんだろう俺と思い、既に購入していた香港からバンコクへ行くチケットをキャンセルして、香港から日本への帰国チケットをTrip.comのアプリでとった。

帰国が決まると、嬉しさと悔しさの両方が心の中に募った。

早く日本には、帰りたかったが、帰国したらしたで、罪悪感が募った。周りには最低一年間は帰国しないと豪語していたにも関わらず、呆気なく日本に帰国してしまった。
その情けなさで、犯罪者の気分になり、知り合いには誰一人会いたくなかった。人が多くいる所に行くときには、過去吸になりそうな事もあった。

そこからは、少し日本に滞在した後、再び出国した。
本当は、行きたくなかったが、途中で投げ出すのもかっこ悪かったので、気持ちも落ち着いてきた頃合いを見計らって、再び海外に出た。

そこからは、長期ではなく、二ヶ月ほど行って帰るの繰り返しであった。前回みたいに、精神が極度に衰弱する事はなかった。

それでも、生粋のバックパッカーではなかったので、ホームシックを常に誘発していた。

海外に行っても、重たいリュックを背負いながら長距離歩いたり、ヨーロッパ、アメリカなど日本と比べて時差がある所に行っても、時差ボケをせず眠れたり、水道水を飲んでもお腹を壊したりとしなかったので、体は旅人に向いていた。

その反面、精神は海外向けでは無かった。海外が好きで行った訳では無かったので、海外に滞在している時は、帰りたくてしょうが無かった。というよりも、行く前から行きたくない気持ちで一杯であった。

海外に行っても、観光地、食事に興味がなく、その国の治安の良さに関心を持っていたので、着眼点がズレていた。おまけに人と話すのが苦手なので、日本にいる時以上に話さなくなった。

常に孤独、寂しさを感じていたので、たまに海外で日本人の方に会うとそのつけを取り返すが如く、喋りに喋った。常に孤独、寂しさを感じていたのにも関わらず、外国人ではなく日本人と話したいというわがままぶりもあった。

海外で出会った日本人の多くは、海外が好きな生粋のバックパッカーであったので、私のような存在は異質に写ったと思う。

自分が興味を持つよりも興味を持たれることの方が多かった。

現に、出会った日本人の多くに、「不思議な人ですね。」と言われたりもした。日本人だけでなく、外国人とも時たま会話をしたが、海外にいるのにあまり海外が好きではない私の返答に困っていた。

基本、話しかけて欲しくなくて、自己との対話であった。その分、色んな事を感じたり、考えたとも思う。

海外ではなく、日本の事が好きになった。海外にいても、帰国したら、日本のどこに行こうかとばかり考えていた。

今の多くの日本人が失った愛国心というものを持ち合わせたと思う。日本のことを馬鹿にされたり、舐められたりすると、自分の事のように腹が立つようになった。

トイレが綺麗で無料、飲食店で千円以内で美味しい料理を食べられる事、コンビニがあること、夜に出歩いても危険ではない事、公共交通機関が遅れず、時間通りに来る事など当たり前だと思っていた事が、当たり前ではなかった。

日本にいる時は、「感謝、感謝」と言っても、本当の意味でも感謝をする事が出来ていなかったと思う。毎日変える場所がある事、迎えてくれる人がいる事、気を張らずに眠る事が出来る部屋があるなど、数え切れない感謝の気持ちを持つ事が出来た。

日本にいるとどうしても気付けない感情などに気付くことが出来た。これは日本に限らず、人、物でも同じだと思う。失ってから、離れてから当たり前でない事、大事だった事に気づく。

この考えの派生で、物事の本質はどれも同じだという事がわかった。幸せについても、そうだと思った。毎日何食べよう、次の休日何しよう、などの選択肢を選ぶ事が出来る些細な事が幸せだと気付いた。

鈴虫寺の和尚さんも「毎日平和に暮らせていることが幸せ」と言っていたので、幸せの本質は同じだと思う。

他にも人生は帳尻合わせだと気付いた。航空券、宿泊費一つ取っても、何処かで安く購入出来ても、何処かで割高の物を買ってしまうので、結果としてはプラスマイナスゼロになってしまう。

色んな事を感じたり、考えたりしたので、精神的には、かなり成長したと思う。

旗から見ると、ただフラフラしているとしか思われず、今は一人だけ止まった時間を生きてる感じがしている。

日常が平和であればそれだけで幸せなのに、このまま無難に終わりたくないとさらに自分の願いを強く持ってしまった。まだ、二十代という事もあって、大学生と同じことを思っている。

恐らく、その感情は、自分の願いを叶えないと消えないのだと思う。だから、自分がきちんと納得できる人生を送りたいと思う。

色んな事を考え、悩みながらも生きていくしかない。

#創作大賞2024 #エッセイ部門


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