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心を開き、個人的な苦しみを乗り越える方法~祈り~

パートナー、友人、家族、同僚、隣人など、これまでに出会ったすべての人を想像してみてほしい。あなたを苦しめた人、親切にしてくれた人。最も裕福な人々から最も貧しい人々まで、今この瞬間に生まれてくるすべての人々、これまで地球を歩いてきたすべての人々、そしてこれから生まれてくる人々まで、人間の経験の広大なスペクトルでもって考えてみてほしい。これらのすべての人生は、その多様性にもかかわらず、苦しみという共通項によって結ばれている。愛する人、大切な財産、健康、若さ、夢など、誰もが喪失の苦悩に直面しあるいはこれから直面するだろう。

このような見方は殺伐としているように見えるかもしれないが、苦しみには深い目的がある。すべての生命を結びつけ、謙虚にさせ、団結させ、孤立の幻想や個人的アイデンティティへの執着から私たちを目覚めさせる。

自分の苦しみが私の苦しみと変わらないことに気づいたとき、不思議なことが起こる。 思いやりが生まれるのだ。

思いやりとは、他人が経験していることを理解するかのように、自分も同じように苦しんだことがあるかのように、またあるいはこれから苦しむことになると認識することである。

思いやりは人を沈黙させ、存在に与する。慈愛は人を沈黙させ、存在に与する。存在の核心を見つめる行為なのである。

この気づきは、あらゆるエゴの境界を溶かし、すべての衆生との深いつながりを育む。断片化された孤独から、全体性の至福へと人を導くのである。

思いやりは道徳規範や法律の必要性を超越したものであり、あらゆる争いを根絶する至高の知恵である。

エゴが怒りを見るとき、慈悲はその背後にある痛みを見る。では、どうして他者を傷つけたいと思うことができようか?この惑星に存在するすべての衆生に対して、親切である以外にどうすればいいのだろう?

とはいえ、どうすれば人生でもっと思いやりを育むことができるのだろうか?その答えは祈りにある。

愛の完全な体現としての祈り

敬虔な仏教徒の家庭で育った私は、幼い頃から祈りの重要性を教えられてきた。しかし大人になるにつれ、私たちの多くが祈りを個人的な欲望を満たすための取引道具としてとらえていることに気づいた。それとは対照的に、真の祈りとは思いやりの完全な体現であり、自分自身と他者に対する愛と優しさの態度を育むものである。

私たちの目まぐるしい生活の中では、慈愛の心を生み出すためのスペースを確保することが不可欠である。この祈りに適した時間は寝る前であり、明るさと平和の感覚をもたらすことができる。

祈りによって慈悲の心を呼び覚ますためのガイド:

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