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師走

改札で別れた友人は振り返り、もう一度丁寧に手を振った。
世界の中心はここですと言わんばかりの雑踏で、私たちだけが時間を止めてしまったその瞬間は永遠のさよならを言われたようでどうしていいかわからなかった。

「もう、そろそろですので」
父を囲んだ病室で心電図を確認した看護婦さんが優しい口調で言った。
彼女がこんなに辛い言葉を今まで何度も口にしてきただろうことに申し訳ない気持ちになる。

間もなく永遠のお別れですと告げられた私たちはスヤスヤと眠る父を前にどうしていいかわからずにいた。
もうずっと前から覚悟していのに信じられず、仕方なさと手持ち無沙汰を交互にやり過ごしていた。

姉がスマートフォンで矢沢永吉の曲を流す。
プレスリーとJazzが好きな父は晩年、車を運転しながら聴く矢沢の良さに目覚めたようで、車に誰かを乗せるたび「俺、矢沢って好きだなぁ」と目を細めた。
寝て過ごすことが多くなった頃、ふいに枕元で矢沢を流して欲しいと言った。夜中に影が迎えに来ることがあるのだという。
カーステで流れていた矢沢は毎晩父に寄り添うようになっていたから、入院中に矢沢をかけてやれないことを母はいつも悔やんでいた。
姉にYouTubeの矢沢かと聞くと、この為にダウンロードしたベストアルバムの矢沢だと言った。

それぞれが心電図の波と血圧の数値と睨めっこしていた。雨が降っていたけど少しだけ窓を開けた。外の空気を吸わせてあげたいと思ったし、病室の空気が滞留していて蛍光灯の白さが息苦しかった。休日の虎ノ門はとても静かでしとしとと葉を濡らす雨の音と矢沢の声は妙にマッチして、窓を数センチ開けただけでいつもの自宅のあの部屋にいる空気が流れた。
そんな空気の中で父の血圧は次第に落ちていき、本当のさよならの時間がやってきて、ついに嫌だ嫌だと私は泣いた。小さな子供のようにわんわん泣いた。
何日か前の二人きりの病室、許された10分という時間で最後に伝えておきたいことはもう伝えていたから、お別れは嫌だという気持ちだけしか本当に私の中には残っていなかった。

2番ホームに立つと先程の友人からまた遊ぼうねとLINEが届く。
さっきのさよならは公園で遊ぶことが全てだった頃の、5時のチャイムに切なくなってしまうみたいなことだったのだろうか。
あの頃は毎日にしっかりと始まりと終わりがあったのに、いつの間にか曖昧になって今はずっと続いていくような日常を生きているなと思う。
約束をせずに知った誰かが集まっている場所など私にはもうとうにないのだ。
だからどうか、丁寧に手なんか振らないでほしい。
またすぐに会えるような雑な素振りで別れてほしい。

無関心の集合した山手線で矢沢を一曲ダウンロードする。忙しさの中のふとした瞬間にこそ、普段無意識の中で感じてる気持ちと向き合うのだと思う。
べらぼうに酔っぱらって幸せかと尋ねたら「そう思う時もあるよ」というあの人の答えはとても秀逸だなと思った。
イヤフォンから流れる矢沢が優しくて愛される人なのだと思った。
ガラスに映った自分の顔がとても疲れている。
そんな私に父の亡霊が言う。
「お前はダメ、努力しないもん」

私のことをよく見抜いているのだなと思う。


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