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満を持す『月と散文』

この本を80ページあたりまで読み進めて出てきた言葉は「どいつもこいつも天才かよ」であった。

今まで又吉さんの小説を読んだことがない。
又吉さんの本は出版される度に世間で騒がれていたし、映画化までされてさぞかし面白いのだろうということは読まずして理解していた。
この読まずに理解するというのは、彼が本を紹介する番組や雑誌の文章を読んでいたことが大きいと思う。
又吉さんが本を、そら絶対面白いのだろうと期待させるだけのことを彼は言っていたし、本についても博学だった。
ではどうして今まで手に取ってこなかったのかというと、読みたいけど今じゃないなみたいな感覚だったから。
何でもかんでも読めばいいってわけではないし、ちゃんと響く時というのを見計らって読みたいみたいなところがある。
小説とは出会いたいし、満を持したい。
満を持したいって日本語としてどうなのか知らないですけど、そんな気持ちなんです。

『月と散文』は人に勧められたのもあったけど、エッセイということで手に取りやすかった。
物語は読む方もエネルギーが要るのに対してエッセイは気軽だ。
友人の家で友人の話に耳を傾けたフリをしながらでもいけるようなところがある。
満を持さなくてもいけるエッセイ、素晴らしい。

本を開いて読み進めると冒頭から又吉さん特有のネガティブな感覚と、そんなところに着目するんだという斜めからの視点が面白いし、それが妙に的を得ていて腑に落ちるところが気持ちよくて一日の終わりに少しずつ読んでクスッとしたくなるようなエッセイだ。
読者が読むのが勿体ないと感じるのは良い本だということの証明だと思う。
また、冒頭で書いた「どいつもこいつも」というのには、つい最近スタンド・バイ・ミーの原作を書いたのはスティーブン・キングだと知ったことにある。
スティーブン・キングといえばホラー界の巨匠というイメージを持っていたがショーシャンク、グリーンマイル、スタンド・バイ・ミーまで彼の作品だった。
これにはカァァーッと唸った。
ちびまる子ちゃん以外にカァァーッと口に出す人が居たのだ。
ちなみにこのカァァーッには洋書を大して読まずにそんなことすら知らなかった恥じらいや悔やみも含まれている。
スタンド・バイ・ミーの映画は素晴らしかったけど、出来れば記憶を消して先に文章で出会いたかった。
しかし知らなかった頃にはもう戻れない。
私がこれから読む彼の小説はリヴァー・ファニックスでトム・ハンクスでモーガン・フリーマンが展開していく物語だ。

本を読むことは餌を食べることに似ているなと思う。
考えや表現を吸収したり、心を動かされたくて読んでいるのに読み終わると大抵餌食になって食われた感覚になる。いい意味で打ちのめされている。
私が天才と感じる作家は本を読み一体どれほどそういう気持ちになったのだろう。自分の無力さを感じては起き上がり、再びペンを握ったりパソコンに向き合ったのだろう。そう考えると果てしなさを感じる。

実はこのnoteはここまでで終えて投稿するつもりだった。
しかし下書きに保存して『月と散文』に戻って驚いた。
80ページから始まる「どこで間違って本なんか読むようになってしまったんや」という話の中にある文章だ。

本を読むことが好きなのは揺らぐことのない事実だが、個人的に本を読み勝手に感動したり打ちのめされたりするだけで、感想を誰かに伝えることなく生きてきた。

『月と散文』P.82

そうだよね、やっぱり打ちのめされるよねと思ってしみじみと読み進める。
その直後の文章で

五年生になると勇気を出して『スタンド・バイ・ミー』の原作と第二次世界大戦関連の本を母に買ってもらった。
『スタンド・バイ・ミー』の原作は難しくて少しずつしか読み進められなかったが、眠る前に同じ個所を繰り返し読むのが楽しかった。

『月と散文』P.84

す、スタンド・バイ・ミぃぃ。
私今書いたよ、スタンド・バイ・ミーって書いたよ。
ちょっとやめてよ又吉さん、内容がまる被りだよ。
しかも私が今思ったり唸ったりしていることに小五で辿り着かないでくれないか、ちびまる子の下りとかすごく恥ずかしいじゃないか。

こんな偶然を書いて嘘くさいって思われるかもしれないということが頭をよぎったが別にそう思われたって、いいか。

満を持さなくても行けるエッセイ。
しかし、どうやら『月と散文』は満を持していたみたい。


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