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#30 ーうつ病みのうつ闇ー 曝露療法(ばくろりょうほう)…自分で選ぶ

曝露療法とは、専門教育を受けた精神科医や、臨床心理士とやりとりしながら、トラウマ体験を克明に思い出し、言葉にする(曝露)精神療法。定期的に10~15回繰り返して、感情のコントロールを身に付け、認知のゆがみを修正していくと言う方法らしい。

私はこれを、過去にショックを受けた出来事はもう起こらず、安全なんだと認識し直し、感情をコントロールすることで、そのような発作が起こらなくなるというものだと解釈(かいしゃく)した。記憶に対する反応の上書きのようなものかと。

治療を受けた人の85%に効果があるなどとする説もあり、トラウマに苦しむ者に大きな希望を与えそうにも見える。

素人の私がこの治療法自体を良い悪いと言うつもりはない。ただ、多くの深刻なトラウマを抱える立場として、どうしても気になることがある。
 
まずこの療法をできる人が日本には少ないらしい。もしこの療法を受けるなら、治療実績などを調べて、きちんとこの療法ができる治療者に受けること。

しっかりとしたサポートと治療者との信頼関係、治療に対する丁寧(ていねい)な説明が必須(ひっす)だということだ。

もしも、ネットなどで見て「ただトラウマが起こる状況に身を置けばいいのか」などと判断して、自己流でサポートもろくに受けずにやってしまえば、かえってトラウマが強化されかねない。

例えば電車に乗るとパニック発作が起こる人が、駅に行く→一駅電車に乗る→二駅電車に乗る…などというふうにして克服したという話を聴いたことがあるが、これもある種の曝露療法だろう。

これで克服できる人は、トラウマの深さが、まだ比較的浅いのではないかと思う。

だからいって、その苦痛が人によって大きく違うとは思えない。むしろそれは同じというか…同等のものだと思う。心臓発作やくも膜下出血の苦しみが、人によって大差のないように。

ただ、トラウマで傷ついている潜在意識の深さみたいなものがあって、それが深ければ深いほど、より深刻な抜けない毒針(どくばり)のようになっていて、回復しづらいのではないかと思う。

また、曝露療法に関しては、不安の回路を強化してしまうという説もある。

現に私のように、口にすることすら難しいタイプに、この療法は向いていない気がする。ただのカウンセリングでさえ、かえって症状が悪化した。

そこを乗り越えて、治療することが必要だったのかもしれないが、治療者と信頼関係もできず、療法に関する丁寧(ていねい)な説明もなかった。

受けた苦痛は非常に大きく、しかも、ただそれだけという結果に終わった。他の人にはこういう思いはして欲しくない。

どんな治療法も、説明をしっかり聞いたうえで、積極的にしたいと思えれば、その人には合っているのかもしれない。私などは、事前に説明されていれば、認知行動療法を受けたいとは思わなかった。

自分の体験を口にするだけで、とんでもない苦痛に襲われるし、口にすることそのものが難しい。ということは、自分には合わない、もしくはまだ早いというサインなのだろうと思う。自分の心の声が、一番間違いない。

 
今、私は自分の心の声を尊重する訓練をしている。ある資格取得の為に勉強していたのだが、申込をしたけれど受験をやめた。

以前はフルタイムで働いた後に、夜や休日勉強しても苦にならなかった。テキスト代と受験料を合わせれば、私にとってはかなりの金額だった。今はうつのせいもあり、無理して勉強したが全く頭に入らない。

問題を解いて間違ったところを勉強しても、また同じところを間違えてしまう。数か月間格闘したが、これ無理だなと思った。

そして、何のために勉強しているのか、自分は勉強したいのか、自分の心に訊(き)いてみた…答えはとっくにわかっていた――

ここまでかけたお金がもったいないとか、いろいろな人に受験を応援してもらっているのにとか、このまま止めたら負けじゃないかとか、ただ怠(なま)けたいだけなんじゃないかとか…
そういう気持ちで、何とかせねばと思っていた。自分の心のベクトルが、以前とは明らかに違っている。

そこで思い切って、テキストを見えないところに片付けた。そしたら、心底ほっとしたのだ。お金が惜しいとか、もう少しやってみようという気が起きるかもと思ったが、そんなことは全くなかった。

何かに追われるような気持ちでいることが、どれだけ自分の負担になっていたことか。そんな気持ちでやることが、うまくいくはずもない。

もしも、またやろうと思ったらやれば良い。うつから脱出すれば、やる気が出るかもしれない。それが今年なのか、来年なのかはわからない。もう二度と思わないかもしれない。

でも、人生の時間は限られているのに、不毛(ふもう)な努力に時間を使い続けるよりはよほど良い。今までの私だったら、あのまま勉強を続けて、受験日まで頑張っただろう。

でも今は、誰かの力を借りずに、自分一人で自分の心の声に正直に耳を傾け、決断できたことに満足している。一つの曇りもないすっきりとしたこの気持ち。新しい一歩を踏み出した自分をひそかに褒めている。

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