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御朱印について思うこと

わたしは仏像が好きで、寺社仏閣巡りが好きなので、ご多分に漏れず御朱印も集めていたりするわけです。私が御朱印をいただくようになったのは十数年前、見仏界の大スターみうらじゅんさんが、『見仏記』のなかで御朱印を収集なさっていて、それに感化されてのことでした。初めはとても緊張して、とにかく粗相のないようにとマナーやルールを調べに調べてから挑みました。お寺と神社は分けたほうがいいとか、おつりは絶対に出さないようにするとか、書いてもらっているあいだは無駄話をせず粛々と待つこと、とか。当時は御朱印ブーム到来前夜みたいな頃で、だから正直言って朱印所の方もいまほどウェルカムな感じではなく、実際に怒られたことはなかったけれど、それでも「御朱印の意味も知らない小娘がスタンプ感覚で集めてる」みたいなオーラをビシビシと感じることはあって、とにかく毎回恐縮しまくりながら御朱印帳を差し出していました。逆にわたしの御朱印帳をパラパラっとめくりながら「いろいろとあるんだねえ。わたしはあんまり書いたことないから緊張しちゃうなあ、あはは」みたいなユル住職とお会いしたことも。なんにせよ、直にさらさらと、あるいは力強く書かれる墨文字とそこに色を添える朱印のコントラストはとびきり格好よくって、だから当時はビクビクと怯えながらも素敵な御朱印、変わり種御朱印がいただけるところを探しては一日に何カ所もまわって集めたりしていました。

でも、もういまはそんなふうに「集めるため」に寺社仏閣を巡ることはしていません。参拝したところ、仏像を拝観させていただいたところでご縁としていただいている感じ。これだって、写経をおさめた証としていただくという本来の意味からすれば、だいぶミーハーだとは思うけれど。

なぜ以前のようにもりもりと御朱印を集めなくなったのか。それにはきっかけとなる出来事がふたつありました。

ひとつは、奈良のあるお寺を参拝した際、御朱印を書いてくださった方がとても気さくでいろんなお話をしてくださったのだけれど、そのときに何気なく言われた「死んだら棺桶に入れてもらうんだよ」という言葉がズンときたから。もちろんたまった御朱印帳は丁寧に保管してはいた。でもその先のことには考えが至っていなかった。そうか、棺桶に入れてもらうのか。とたんに、軽々しく「収集」してはいけないんだという思いが強くなったのです。わたしはノート術とか手帳術なんかの動画が好きでよく観ているんですが、たまに御朱印帳ではなくて旅の記録帳にパンフレットやショップカードやシールなんかとともに御朱印を貼っている人がいて、他人事ながらモヤってしまう。あれ、この先どうするつもりなんだろう。扱い方はそれで大丈夫? 御朱印帳を持ち歩くのが重くて嫌なんだったら、無理に御朱印もらわなくてよくない? どうせノートに貼るんだったら、家で御朱印帳に貼ったって同じじゃない? って。まあ個人の考え方だからわたしがどうこういうことじゃないんだけど、それがどうしても気になってしまうし、だからこそ、わたしは自分で管理できる以上の御朱印はいただかないようにしようと考えるようになったわけです。

もうひとつのきっかけは、平成最後と令和最初の日に、とあるお寺に四面も使う御朱印をいただきに行って感じた違和感。そのときはとてもよいアイデアだと思った。一度に二面ずつ、二度参拝することで完成するりっぱなアート御朱印を、平成と令和にまたいでいただくなんて! 案の定お寺は似たようなことを考える人でごった返していた。列に並ぶ人たちはみんな御朱印蒐集家で、並んでいるあいだもどこそこの御朱印はもうもらった? とか、あそこの月替わり御朱印いいよねとか、明日はあそこに行くんですとか、”渾身の一枚”みたいなやつを見せ合いながら、そういう情報が飛び交っていた。なんかそれを見て、あれ、御朱印てそういうふうにどっちの手札が強いか見せつけ合うもんだったっけ? それってカードゲームじゃん、わたしが魅了されたのってこういうことじゃなかったはずだけど、でも平成/令和の貴重な手札を手に入れようと並んでるわたしも、この人たちとマインド一緒じゃん、と思ってしまったんです。急激に、萎えた。その日から、いわゆるアート御朱印には手を出していない。それでいうと、御朱印所でメニュー表みたいなのを指さして「何番お願いします」って注文するスタイルもずっとひっかかってた。カラフルでポップな絵が「印刷」されただけのものが一枚1000円とかするのも、もはや商売じゃんと思ってた。もちろんそれで助かってるお寺や神社っていうのもたくさんあるのだと思う。それくらい寄進するつもりで払えばいいじゃんと言われればそうなのだろう。それで貴重な仏像や寺社が適切に管理されたり修繕されたりするのであればむしろ喜ばしいことではないか。でも、粗相のないように、バチがあたらないように、細心の注意を払っていたあの頃のことを思うと、ずいぶんと変わってしまったものだなあと遥かな気持ちになってしまう。そんなふうに違和感を抱きながら集めた御朱印を、わたしは黄泉の旅路に連れて行くのだろうか。

ブームってなんなんでしょうか。それともわたしがただ臍曲がりなだけなのかな。

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