他文化を通じて目を開く──『文化人類学の思考法』読書感想文
書籍データ
感想
特に気になったところを記載。
文化人類学という「そのコミュニティに属さない他者視点」での観察・比較は、大なり小なり私たちが属すコミュニティに限定された、閉じられた視点では得られない発見をくれる。
貨幣と信用
貨幣も仮想通貨も信用で成り立つ。信用を担保する仕組みとして、ビットコインのように政府や銀行のような特定の管理者を置かず「公に見守らせる」という仕組みはなるほどとても斬新だなと思った。
戦争と平和
戦いをするのは、決して特別に暴力的な人ではない。
自分と同じ人間としての倫理観を持ち、理解・共感できる人格を持つ人がなぜそうせざるを得なかったのか。その背景、考えの変容、行動に至る経緯を想像することが大切だということ。
戦争に限らず、日常生活や仕事においても異なった考え方を持つ人や対立構図にある人に対して、そういう視点で考えられる想像力が必要だと思う。
子どもと大人
変化しない時代はなかった。変化は当たり前であり、変化に応じた変化もまた必然であると常に意識しておく必要がある。
親族と名前
新たな親族研究の潮流の中で「親族する(kinning)」という表現が考案されたということ。血縁だけが親しい関係のすべてではない。
「育てる」ということは何も、生育やそれにまつわる金銭を担うことだけではない。仕事などを通じて、若い世代と現実と理想的な未来をすり合わせ、私たちが一緒に何をなすべきかを語ることだって立派な「人を育てる」行為だと思う。
血縁を超えて私たちは次世代に何をすべきか。子どもを持っている・持っていないに関わらず次世代に対する責務は、この世に存在する全員が担うもの。
ケアと共同生
ケア=支援を必要とする場面=新たなコミュニティが形成される瞬間。
このコミュニティは、ケアされる者とケアする者の二者間に止まらない複雑さを持っている。世界を構築しているのは「ケアを必要とする人」を助けるという人と人の根源的な論理だけではない。(選択や交換の論理、ヒエラルキーの論理や、さらに言語化できないさまざまな論理を含んでいる)
「私たちはこうあらねばならない」に縛られすぎているというのは、今まで生きてきた中で非常に感じることであるし、自分で自分の首を絞める呪いみたいなもの。その呪縛から完全には逃れられなくても、少なくとも自覚はしておきたいもの。
市民社会と政治
マイノリティに目を向けること、自分を特権階級だと無意識に思い込まないこと、他者の声に耳を傾けること。広い視点が必要だけど、自分が広い視点を持っているという思い込みもまた危険。
特に頷けたのは、「人の関係性はそれがたとえ同一人物同士AとBの関係であっても、一つの側面だけで完結するものではない」というところ。そういう関係の複雑性を認め、例え矛盾があってもそれら全て事実として包括した状態でその人との関係を大切にすること。
常に謙虚に、目の前の人に対したい。
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