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「文章は、人の生き方そのもの」が出ちゃう


そもそも私は、文章はその人の生き方がすべて出てしまうものだと思っていて、だから、それは教えられるものだとは思っていません。
だけど、文章を書くことに真摯に向き合って、取材相手に誠実に向き合って、言葉を選んで問いを投げかけ、そしてもらった言葉を丁寧に紡ぐ。
その方法を一緒に考えてきた仲間が、それを取材相手に爽められるほどに実践できているのだとしたら・・・・・・・。
それは、本当に豊かな人生を過ごしているのだろうと想像がつきます。

「書く仕事がしたい」佐藤友美さん


豊かな人生。

書くことは、手段であって目的ではなくて。

豊かな人生のため。だけにあると言っても
過言ではないなあ、書くことはとも思います。

もちろんそのことを「生業」とされている
方もおられる中でなので一概に言えません。

でも究極は、豊かな人生のためであって。
(豊かな人生とは、人それぞれ)

また、
「文章は、人の生き方そのものが出てしまう」
というのは、
自分に対しても、他者に対しても
そうだなあ、と思います。

ネガティブな意味ではなく、
「出ちゃってるよ」ってことを、
他者も自分も自覚的であることが
大事なんだろうと思います。

「てにをは」一つ。

「真摯・誠実とは何か?」という命題は
とてつもなくでかいですが、

「自分に嘘ついてない?」
ってことに、本音で答えられるかどうか、
いま。と思いますを
(わたしは自分に嘘つきがちです)



考え、考え抜いて、問い、書き、生きているそのライターさんの時間は、とても幸せな時間であったろうと思う。
だから、泣きたいくらいに嬉しく思ったのです。
書く仕事がしたい。

同上

「ライターさん」にも、
「ライターさん」と
「ライターさん以外」の人生もあります。

そう思えば、私たちは、おのずと世界と丁寧に向き合っていくことになります。
いま、目の前の人のことを、一生懸命に知ろうとする。すると、その人の知らなかった側面がどんどん見えてきます。その人を生み育て、その人に関わった人たちにまで想いを寄せることになります。
いま、世の中で起こっていることを、一生懸命に知ろうとする。すると見えなかった一面が見えてきて、これまでの解釈を新たにさせられます。そのたびに、世界は昨日と違って見えます。

同上

「人間力を鍛える」って、
よく言われますが、
「目の前の人を心底知りたくて知ろうとする」
ことと、
同時に、
「自分のことを心底知りたくて知ろうとする(
ことなんだろうと思えてきます。

知ること。
知ろうとすること。
それは、ほとんど、愛することに近いと感じます。
いろんなことを知ろうとし、何かを知るたびに、愛せるものが増えていきます。
良く書こうと思えば思うほど、私は、私の生きている世界を、好きになります。
私が、この仕事が好きな理由はここにあります。
Love the life you live. Live the life you love.

同上

そしてそれは、
他者を愛すること以上に、
自分を愛することなんだろうと思います。

よく書こうと思えば思うほど、
自分の生きている世界を
「自分が」好きでいられるか、
なんだろうと思います。

ここで私は、そもそも、「視点」って何だ?
「切り口」って何を指す?と考えを進めま
した。
そして、面白いと言われるコラムやエッセイを分解してみると、そこには「視点」だけではなく「視座」があるように思いました。
「視点」とは、ものごとの「どこを見るか」です。多くの場合、この「どこを見るか」が、書き手のオリジナリティが発露する部分に思われています。
一方で「視座」は、ものことを「どこから見るか」です。あまり語られていないように感じるけれど、この「どこから見るか」にも、書き手のオリジナリティが出ると私は思いました。

同上


どこから見るか?
においては、自分からいかに離れられるか

になるのでしょうか。
自分だけど、自分じゃないところから
見られた時に、
オリジナリティが生まれる。


そして、この視点と視座の数だけものの見方(つまり切り口=図解の矢印の部分)
が生まれるのであれば、いろんなパターンの切り口を作れるのではないかと考えまし
た。
「どこを見るか」の視点だけ勝負だと、オリジナリティを出すのは至難の業です。
でも、「どこから見るか」と「どこを見るか」の組み合わせであれば、凡人でも組み合わせ次第で角度のついた面白い切り口が作れるような気がしました。
ちょっと希望ある!

同上

で、結局、
自分がどこを見るか?
をいかに、
「他者と違う」視座でみられるか?

という。

そのために、他者を知り、
世間を知ることが起点になるという
矛盾?

そう考えていくと、連載によっては、視点も視座も毎回固定して書けるコラムもあることに気づきます。
たとえば前述の「ドラマな女たち」は、「ドラマの登場人物の役柄」(視点)を「髪型」(視座)で切り、書き続けています。
この場合「視点」のほうには何の工夫もありません。ドラマの役柄について書いている人はたくさんいます。でも、ドラマの登場人物の「髪型」に注目して、その役柄を見るという「視座」のほうに特徴があるので、同じドラマコラムでも、切り口に角度がつきます。

同上

と、あんまり難しく考えずに、

ああ、これを自分は好きだし
得意だし、他人はどうあれ、
面白いと思ってることに、
胸を張って書き連ねていけばよいんだと
思えてきました。


きょうとお読みいただきありがとうございます

写真の、道路標識は、
いつも30km/hなんですよね。

なのに、視座を変えると、
周りの景色次第で、
それが、10km/hのときもあれば、
50km/hでかけぬけたいときもある。
(あかんけど)
ということなんだろうと、思います。

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