豊かな人生。
書くことは、手段であって目的ではなくて。
豊かな人生のため。だけにあると言っても
過言ではないなあ、書くことはとも思います。
もちろんそのことを「生業」とされている
方もおられる中でなので一概に言えません。
でも究極は、豊かな人生のためであって。
(豊かな人生とは、人それぞれ)
また、
「文章は、人の生き方そのものが出てしまう」
というのは、
自分に対しても、他者に対しても
そうだなあ、と思います。
ネガティブな意味ではなく、
「出ちゃってるよ」ってことを、
他者も自分も自覚的であることが
大事なんだろうと思います。
「てにをは」一つ。
「真摯・誠実とは何か?」という命題は
とてつもなくでかいですが、
「自分に嘘ついてない?」
ってことに、本音で答えられるかどうか、
いま。と思いますを
(わたしは自分に嘘つきがちです)
「ライターさん」にも、
「ライターさん」と
「ライターさん以外」の人生もあります。
「人間力を鍛える」って、
よく言われますが、
「目の前の人を心底知りたくて知ろうとする」
ことと、
同時に、
「自分のことを心底知りたくて知ろうとする(
ことなんだろうと思えてきます。
そしてそれは、
他者を愛すること以上に、
自分を愛することなんだろうと思います。
よく書こうと思えば思うほど、
自分の生きている世界を
「自分が」好きでいられるか、
なんだろうと思います。
どこから見るか?
においては、自分からいかに離れられるか
になるのでしょうか。
自分だけど、自分じゃないところから
見られた時に、
オリジナリティが生まれる。
で、結局、
自分がどこを見るか?
をいかに、
「他者と違う」視座でみられるか?
という。
そのために、他者を知り、
世間を知ることが起点になるという
矛盾?
と、あんまり難しく考えずに、
ああ、これを自分は好きだし
得意だし、他人はどうあれ、
面白いと思ってることに、
胸を張って書き連ねていけばよいんだと
思えてきました。
きょうとお読みいただきありがとうございます
写真の、道路標識は、
いつも30km/hなんですよね。
なのに、視座を変えると、
周りの景色次第で、
それが、10km/hのときもあれば、
50km/hでかけぬけたいときもある。
(あかんけど)
ということなんだろうと、思います。