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コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた①<ブリッジの祖先「ホイスト」〜19世紀ごろまで>

コントラクトブリッジはトランプカードを使ったゲームですが、そのルーツを辿るとなんと16世紀まで遡るという、長い歴史を持ったゲームです。
このブリッジの歴史については当方がnoteを始めた頃に一度調べたことがありましたが、大変大雑把な内容だったので、久しぶりに書き直してみようと思います。
一つの記事に書くには長い内容なので、今回は、コントラクトブリッジの祖先のゲームである「ホイスト」が流行していた時代について書いてみようと思いますー。

カードゲームの発生(〜14世紀ごろ)

日本で「トランプカード」と呼ばれているカードは、英語では「playing card」あるいは単に「card」と言います。このカードの起源には諸説あり、はっきりとしたことはわからないようですが、14世紀ごろまでにはヨーロッパで広く遊ばれていることがわかっています。
といっても、ヨーロッパの中でも、地域によって作られていたカードは異なっており、バリエーションがありました。現在コントラクトブリッジで使用されているカードは「スペード、ハート、ダイヤモンド、クラブ」のスート(マーク)のカードが13枚ずつの52枚組のカードですが、これはフランスが発祥のカードで、イギリス、のちのアメリカにおいてもこのカードが普及しました。(※この辺りのことは過去記事の通りです)

「ホイスト」の登場とその流行(16世紀〜19世紀)

16世紀

コントラクトブリッジはトランプゲーム用語で言うところの「トリックテイキングゲーム」の一種です。プレイヤーがカードを一枚ずつ出し、カードの強さと「切り札」の概念で勝ち負けを決め、「トリック」を取る、というルールのゲームのことを言います。この形式のルールを持ったゲームは16世紀には遊ばれていたと言われています。

17世紀〜18世紀

17世紀にはイギリスで「ホイスト(whist)」のルールが広まり、上流階級の人々の間で科学的な戦略を要する知的なゲームとして流行するようになります。特に、エドモンド・ホイルが1742年に出版したホイストの研究書『A Short Treatise on the Game of Whist』は何度も版を重ね、長く読み継がれる権威書となりました。

また、16世紀後半から始まるアメリカ大陸への植民活動においてもカードゲーム文化は移住民たちとともに輸出され、ヨーロッパ同様にアメリカでも余暇のレジャーの一つとしてホイストを始めとするカードゲームが行われていました。
(以下はThe George Washington Foundationによるホイストの遊び方紹介動画とカードゲームの記事)

〜19世紀

ホイストの流行は19世紀末ごろまで長きにわたって続きました。当時の流行ぶりは、様々な文学作品や芸術作品にも表れています。
例えば、イギリスの小説家ジェイン・オースティン(1775-1817)の作品やアメリカの小説家エドガー・アラン・ポー(1809-1849)によるミステリ文学の祖『モルグ街の殺人』、フランスの小説家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の『八十日間世界一周』などにホイストが登場します。また、イギリスの小説家アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)が生み出した名探偵「シャーロック・ホームズ」もホイストを嗜んでいたようです。
(この辺りのことは過去記事を参照のこと↓)

また、ホイストの様子を描いた絵画作品として有名なもののひとつとして、イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレイによる「Hearts are Trumps」があります。カードテーブルに向かい合う上流階級の姉妹とテーブルに並べられたダミーの手札。ホイストが盛んに行われていた当時の様子を想像させられます。

(カードゲームの様子を描いた美術作品について書いた過去記事は以下↓)

※余談ですが、19世紀末には日本にもホイストが伝わっていたようです。国立国会図書館にはホイストを紹介している日本の古書が保存されており、インターネット上で閲覧できるものがあります。ご興味ある方は以下の記事を参照ください。

ホイストからブリッジへの変遷(19世紀末〜20世紀初頭)

前項で書いた事柄の他、1891年にアメリカで「アメリカン・ホイスト連盟」が設立されるなど、大変な人気を誇ったホイストでしたが、19世紀末になるとホイストから派生した新しいゲームが遊ばれるようになります。

1883年に「ビリッジ」、1896年にはビリッジの改良版である「ブリッジ・ホイスト」、そして、コントラクトブリッジの直接的な前身と言える「オークションブリッジ」が1904年に登場します。こうしたホイストの流れを汲むゲームがいくつも生まれた後、1925年に「コントラクトブリッジ」が成立することになります。
このように、コントラクトブリッジは4〜500年もの間流行したゲーム「ホイスト」の歴史の上に成立した伝統あるゲームなのです。

というわけで、今回はコントラクトブリッジが誕生するまでにどのような歴史があったのかをご紹介しました。(ブリッジの歴史というよりも、ほとんど「ホイストの歴史」という内容でしたけど。)
なお、記事執筆にあたっては、日本語版Wikipediaの「ホイスト」のページ英語版Wikipediaの「Whist」のページなども参照しています。

次の記事では、今回の続きということで「ホイストからブリッジへの変遷」の部分を詳しく見ていきますー。以下リンクよりどうぞー。


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