コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた⑥<コンピュータの普及とブリッジ、マインドスポーツとしてのブリッジ>
「コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた」シリーズの6回目です。前回は、ブリッジの国際大会の盛り上がりやコンピュータゲームの流行とその影響など、20世紀後半のブリッジ界の様子を概観しました。今回は1990年代を中心としたブリッジ界の動向を見ていこうと思いますー。
(前回までの記事はこちら↓)
①<ブリッジの祖先「ホイスト」〜19世紀ごろまで>
②<ホイストの派生ゲーム〜コントラクトブリッジの誕生>
③<コントラクトブリッジの流行〜エリー・カルバートソンの活躍など>
④<世界選手権大会〜国際組織の設立、「ミスターブリッジ」チャールズ・ゴーレン>
⑤<世界選手権大会の動向〜コンピュータゲームとブリッジ>
インターネットの普及とコンピュータブリッジの発達
前回の記事で1970〜80年代に「コンピュータゲームブーム」が起こったことについて述べましたが、一般家庭にゲーム機が普及すると時を同じく、「パーソナルコンピュータ(パソコン)」もオフィスを中心に利用が始まっていました。
さらに、1980年代後半ごろからは政府や研究機関などで研究や開発が進められていた「インターネット」の商用利用が解禁され、インターネットサービスプロバイダと契約すれば一般人でもインターネットを利用できるようになりました。そして、1995年に登場した「Windows95」によって爆発的にパソコンが普及し、それと共にインターネットも大いに発展していきます。ここからまさに「インターネット時代」となっていくわけです。
家庭用ゲーム機のコンピュータブリッジは前回の記事でご紹介しましたが、パソコンでできるブリッジソフトの開発もこの頃から行われていました。
インターネット上で遠く離れたユーザーとブリッジができる「オンラインブリッジ」の最も古いサービスとして知られる「OKBridge」は1990年に提供が始まりました。
また、優れたゲームを行うブリッジソフトも数多く開発され、そうしたブリッジソフトの実力を競い合うべく、1997年にブリッジソフトの世界大会「World Computer-Bridge Championship」の第一回大会が開催されます。(公式サイトはこちら)
このように、ブリッジのコンピュータ利用は人間のプレイヤーがインターネットを介して非対面でブリッジを行う「オンラインブリッジ」と、ブリッジの戦略を考えプレイするコンピュータソフトの技術向上の二つの方向性で開発が進んでいくことになります。
(この辺りのことは過去にも記事を書いたことがあります↓)
ブリッジのオリンピック参加を目指した取り組み
コンピュータの技術革新が続く一方で、1990年代にはコントラクトブリッジを「スポーツ」として捉え、スポーツの祭典である「オリンピック」の競技種目としての採用を目指す取り組みが始まりました。
知的ゲームを競技として行う「マインドスポーツ」という考え方は1990年代ごろから広まったとされますが、世界ブリッジ連合(WBF)はオリンピック参加を目指し、国際オリンピック委員会(IOC)にオリンピックに参加できる競技の国際組織としての認証を受けようと活動します。そして、WBFは1995年に「IOC承認国際競技連盟(Recognized Sport Organization)」の認定、1999年に「国際競技連盟(International Federation)」の認定を受けました。こうしてブリッジはオリンピックに参加できる競技の候補となる資格を得ることになりました。
さらに、2000年には国際的に活動するスポーツ競技団体が加盟する「国際スポーツ競技連盟連合(GAISF)」にWBFも参加。そして、2008年にGAISFの協力を得ながら、ブリッジと同じく「マインドスポーツ」であるチェス、チェッカー、囲碁の国際組織と共同で「第1回ワールドマインドスポーツゲームズ」という国際大会を開催し、マインドスポーツの認知度向上を図りました(競技種目はブリッジ、チェス、チェッカー、囲碁に加えてシャンチーの5種目)。
1990年代以降、様々な取り組みが行われながらも「マインドスポーツのオリンピック種目採用」には至らないところではありますが、アジア・オリンピック評議会(OCA)が主催する「アジア競技大会」では実際にマインドスポーツが競技種目として採用されました。2006年大会でチェス、2010年大会で囲碁、そして、2018年大会でコントラクトブリッジが競技として行われました。
様々なところで「多様性」が叫ばれる現代において、スポーツ競技の多様性も広まっていく中で、マインドスポーツ、とりわけブリッジが競技として広く認知される時代が来るのか。今後の動向も注目していきたいですね。
(こちらも過去に似たような記事を書いたことがあります↓)
というわけで、今回は1990年代頃から始まったコンピュータブリッジとマインドスポーツとしてのブリッジの歴史をご紹介する回となりました。今現在のブリッジのあり方が形成されたのはこの頃なんだなと思いつつ、①〜⑤の記事で見てきた過去の時代のブリッジとは大きく変わってきているなぁとしみじみ思うわけです。
本当は現代まで続けて書こうかと思いましたが、ちょっと長くなったので次回とさせていただきますーではー。
サポートはコントラクトブリッジに関する記事執筆のための調査費用、コーヒー代として活用させていただきますー。