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新温泉町ワーケーション日記 あとがき

コロナ禍から始まった新温泉町とのつながりだが、折しもコロナが5類になるこのタイミングで、GWを利用して3年弱のつながりの活動をまとめられたことは、補助をいただいたこともあり、多少でもアウトプットができて肩の荷が降りた。

この日記にずっと登場するF室長(現在はF課長)の、粘っこく不気味(失礼!)ですらある巻き込み力がなければ、縁もゆかりもない、東京から普通に航空券を買えば往復5万円する鳥取からレンタカーで30分以上かかる兵庫の県境の町にこんなつながりができることは決してなかった。半ば引きずりこまれるような経験だったが、良い時間を過ごさせていただいたことに改めて感謝。

コロナ禍という状況でなければ、テレワークやワーケーション、もっといえばデジタル環境の整備やワーキングスペースがこんなに急速に整えられ拡がることもなかったであろうことを考えると、厄介なウイルスではあるが、ある意味で進歩の一助であったと考えられなくもない。

人流が回復し、今年のゴールデンウィークはコロナ前の9割とも言われる人出だったそうだが、私は結局ほとんどこの日記の創作と近所の散歩と読書、少々の外出だけとなった。
人流がない時に頻繁に遠隔地に訪問し、戻ると篭るという逆張りのようなことをしてしまったのだが、ワーケーションも人手の分散を狙っている側面がある。ある程度空いている快適さを味わうと、混んでいるときにわざわざ出かけたくないと思ってしまう。
私の中ではワーケーションということ自体は続けていくように思うのだが、もはや「ワーケーションしよう」という意識ではなく、職場や自宅以外で会いたい人や訪れたい土地に行って仕事もする、くらいの名もなき行為になっていきそうな気がする、というか、もうそうなっている。

結局訪れ続けて何が残ったのか。明確な成果はこれ、というものがないことが心残りだった。
ワーケーションを推進する側の目的は究極的には移住定住、都市部からの人口分散ということだとは理解しているし、往来し続ければいつしかここに住んでみたい、という気持ちは生まれるかもしれない。
ただ最初は全てが好ましく思えても、何度も訪れると当たり前だが自分に合わないところも見えてくる。
自分に合わないところに気づいた時にそれとどう折り合いをつけるか、訪れる側の気持ちがどこまで保てるか、もう少し自分を観察してみたくもある。

noteは執筆につまづいても関心が似た方のおススメ記事がどんどん更新され、読んで新たなインプットを得られるし、勉強になる上、テキストに表れるnoterさんのパーソナリティを想像したり、むしろ読み専の方が楽しいと思ってしまう時もあったが、こうしてアウトプットを助けてくれるとても良いメディアだと思った。

少しでも読んでくださった方、ありがとうございました!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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