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遠野になくてはならない酒蔵を未来へとつないでいく #015新里佳子

新里佳子
Niisato Yoshiko
上閉伊酒造株式会社 代表取締役

プロフィール
岩手県上閉伊郡大槌町出身。1990年に大学卒業。2001年には、夫が経営する病院の事務次長に就任。また、遠野市内の社会福祉法人の理事にも就任する。2008年、社会福祉法人理事長。2014年から、上閉伊酒造株式会社代表取締役に就任。遠野市在住歴26年。

1789年から遠野で酒造りを営む上閉伊酒造。日本酒はもちろんのこと、1999年からはズモナビールを醸造しています。その敷地の一角には、BEER EXPERIENCE株式会社の事務所もあります。

上閉伊酒造は遠野市が進めるビールの里構想にも関わっており、歴史ある酒蔵として重要なプレイヤーのひとつ。新里佳子はその上閉伊酒造の代表取締役として忙しい日々を過ごしています。

新里は岩手県大槌町の出身で、結婚した夫の実家が上閉伊酒造でした。当時の代表取締役は夫の兄でしたが、2001年に亡くなり、夫の姉が上閉伊酒造を継ぐことに。そしてその姉も2014年に退くことになり、次の代表取締役にと白羽の矢が立ったのが新里でした。

「その当時、主人も癌でどうなるか……という時期だったので、その話を受けていいものかと。主人に相談したら『やるしかないんじゃないか』と

そんな言葉もあり、新里は2014年12月に上閉伊酒造の代表取締役に就任。しかし、その3カ月後には夫が他界し、夫の経営していた病院も2015年6月に閉院することとなりました。

新里の代表取締役として最初の年は、暮らしや経営の不安を抱えながら、さまざまなことが同時並行で進んでいく1年だったのです。

上閉伊酒造は遠野になくてはならない酒蔵

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新里が上閉伊酒造の代表取締役に就いたのは、さまざまな思いがあってのこと。夫が上閉伊酒造に対して経済的なサポートをしていたことを無駄にはしたくないという思いや、従業員にも生活があることを考えると、何もせずに白旗は上げたくないという気持ち。

また、上閉伊酒造そのものをなくしてはいけないという考えもありました。新里が代表取締役に就いた当時は、上閉伊酒造は遠野で唯一の酒蔵となっていたのです。

「酒蔵があるのとないのとでは、その地域の文化は違ってくるんじゃないかと思います。お土産にしても地酒があるとまた違うと思いますし、そういう意味では、上閉伊酒造は遠野になくてはならない酒蔵なんだろうなと」

代表取締役就任の依頼を断って、会社をたたむという選択肢もありました。しかし、新里の気持ちとしてはそうはならず、なんとかして続けていきたい、そういう思いがあったと言います。

しかし、現実的には経営を続けていくのは難しい状態。新里はずっと親会社となる相手先を探しており、2018年12月から親会社のもとでの経営体制を整えることができるようになったのです。

新里が代表取締役に就いた前後の時期は、上閉伊酒造だけでなくビールの里に関わるところで、さまざまな動きがあった時期でした。初めての遠野ホップ収穫祭が開催され、「ホップの里からビールの里へ」という言葉のもと、遠野市全体が動き出した時期。

さらに、上閉伊酒造が現体制になった2018年は、BEER EXPERIENCE株式会社が立ち上がり、遠野ホップ収穫祭の来場者数も7000人を超えた時期でもあります。偶然といってもいい部分もありますが、2015年から2018年にかけてはいろいろな意味でも遠野が変わりはじめ、新しい基盤を固めていく時期だったといえるかもしれません。

TKプロジェクトは以前からあったんですが、それを進化させていこうという時期と重なっていますね。遠野ホップ収穫祭が始まった時期とも同じだし、新しいプロジェクトに加えてもらって、露出も増えていきました」

露出を増やすことが新たな動きにつながる

新里が代表取締役に就いてから、力を入れるようになったのは露出を増やしていくということ。まずは知ってもらわないことには、という思いが新里にはありました。

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「私が代表取締役になったとき、『上閉伊酒造ってお酒造ってるの?』と言われたことがあったんです。以前、2年ほど酒造りを休んで委託醸造していたことがあって。それを知っている人には、ずっとそうなんじゃないかと思われているようで。まずは今やっていることを伝えないと、と考えていました」

そして新里は、メディアに取材してもらうよう働きかけていきます。以降、徐々にメディアでも取り上げられ、上閉伊酒造が変わってきたと認知されるようになってきました。その他にも、新里は人が集まるところにはとにかく出向き、露出を増やす活動を進めていきます。

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またそれと並行して、お酒自体の認知も高まっていきました。ズモナビールは以前にもビールの品評会で入賞したことはありましたが、2018年にはインターナショナルビアカップで金賞を受賞。さらにイベント出店をきっかけとして、クラフトビール専門店からの引き合いも増えていったのです。

また、新里が大槌町出身だったこともあり、大槌復興米を使ったお酒を造りたいという話も持ちかけられました。大槌復興米とは、東日本大震災で流されてきた稲が3株だけ芽吹き、そこから収穫量を増やしていった品種。その米が、上閉伊酒造で「たえの酒」というお酒になっています。

「新商品は売れるかどうかわからないので、出すことには怖い部分もあるんですが、この話は上閉伊酒造で受けるべきだろうと。ただ、新商品を出したことで、杜氏のモチベーションも上がりました。その後も、杜氏からのボトムアップで、赤い酵母を使って『桃色にごり酒』を造りたいという提案も出てきたんです」

遠野を選んでもらう理由を増やす

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新里の言葉を借りれば、上閉伊酒造はまだ「足腰を強くする」段階。とは言っても、足腰を強くする計画は、目指すものがあってこそ。遠野がビールの里を目指すにあたって、新里も考えることはたくさんあります。

例えば、遠野はホップの産地であることが大きなアドバンテージ。ビールを造るだけでなく、上閉伊酒造がビアツーリズムの見学先のひとつになればと考えています。できたてのズモナビールが上閉伊酒造の敷地内で飲めるようになれば、それがまた遠野に来る理由のひとつになるかもしれません。

「私自身は100歳くらいまで生きるのが目標。東日本大震災で両親も亡くなったので、みんなの分も長生きしないと」

新里が100歳になった頃には、遠野を目指して来る人たちでいっぱいになればいい。目指す何かが遠野にある。教育や医療も充実していて、すべての人たちが垣根なく過ごせるような街に。

ビールの里も遠野を目指す理由のひとつ。若い人たちも増えたら嬉しいですし、教育でも福祉でも、遠野がいろいろな魅力のある街になるといいなと思うんです



ホップの里からビールの里へ VISION BOOK


富江弘幸
https://twitter.com/hiroyukitomie

企画
株式会社BrewGood
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