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気持ちのいい風をめいっぱい浴びたい

気のせいだろうか。日中の暑さからは想像がつかないほど、ここ2,3日の夜風は気持ちいい。

わたしはマンションの5階に住んでいるので、高さがあることでより風を感じるのかもしれない。

このことを誰かと共有したい。だけどみんなもうクーラーを入れた時間だろう。我が家はもっぱら換気派なので、この空気を感じながら夜を過ごす。


もともと母が換気大好き人間なのだ。小さい頃はそれが嫌だった。夏休み友達の家にいくと冷房がついているのに、うちはつけてくれない。冬は母が起きてすぐ換気をするので寒くて目が覚める。もうちょっと寝たいから閉めて、と半泣きで訴えても、換気しないと息が詰まる、ゴミをだすから仕方ないでしょ、と事実だが都合の良い言い訳で丸められた。


そういう幼少期を経て、いつの間にかわたしも換気大好き人間になってしまった。冬もほんの少し窓を開けて寝ないと息苦しいと感じてしまう。夏は網戸にして窓全開で風が抜けるようにする。体がそう覚えてしまったのだ。熱い日差しと揺れるカーテンをみると、小学生の頃の夏休みを思い出して懐かしくなる。


今は電車に乗るのも気持ちが良い。毎年夏の電車の冷房に震えていたが、今は窓が開いているのでとても快適に乗れている。電車がすれ違うとすごい音と勢いのよすぎる風が顔を打つのでとてもびっくりするが、窓から風が抜けていくのはとても心地よく、それが夕焼けの時間帯と重なるとますます感傷的になってしまう。


朝ドラの「半分、青い。」で、律くんがそよ風の扇風機をつくっていたことを思い出す。仕事を辞めて、家族と別れて、そよ風の扇風機をつくりたいと言い出した律。一人の男が第二の人生を歩むのに、これはあまりにも馬鹿げているのかもしれない。それはただのロマンなのだろうか。何もかも失った人間の意地なのだろうか。フィクションだが、この場面から人生をかけて最後に追い求めるものが何なのかを考えさせられる。


わたしはまだ何も手に入れていない。仕事も中途半端だし、自分の家族も持っていない。これからどんな人生を歩んでいくかわからないが、年を重ねて、いろんなものを手に入れて、いろんなものをそぎ落として、その時に思い出すのは、冷たい空気に包まれて目が覚めた冬の朝や、汗を滲ませながら見た揺れるカーテンなのかもしれない。

もう思い出せなくなってることがたくさんあるのに、あの時の風は体が覚えている。風の温度、匂いでより鮮明に思い出す記憶もある。簡単に行けない場所にも、もう会えない人にも、風があの時へ連れて行ってくれる。


少し前までは風を感じる余裕がなかった。でも今はこの風を感じられる。この感覚にほっとする。いつまでも風に心打たれる人間でいられるよう、優しく穏やかに過ごしていきたい。

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