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自主学習ノート

小学生のころ、自主学習ノートに夢中になっていたことを思い出します。

わたしは転校生だったので3つの小学校に通いましたが、どの小学校にも自主学習ノートがありました。毎日の宿題に加えて、自分で課題を見つけて一日1ページ勉強するのがわたしの決め事の一つでした。


自主学習ノートをやってくる人はクラスで10人に満たないほどの少人数だったので、わたしはとにかく「先生に褒められたい!」という理由で毎日頑張りました。毎日やってくるのは少数派の中でもさらに少数派でした。


宿題と一緒に自主学習ノートを提出すると、放課後には先生がシールを貼って返してくれます。頑張った証のシールをぽんっと一枚貼ってくれる先生もいれば、自主学習ノートの出来栄えによってランクの違うシールを貼ってくれる先生もいました。


ランクのあるシールをくれる先生のときはどうしたら良いシールがもらえるのかを一生懸命考えました。そうすると、図を加えたり、表をいれることによって良いシールがもらいやすくなることに気づきました。吹き出しをつかってより詳しい解説を話す博士の絵を加えたりすると先生は喜んで良いシールを貼ってくれました。


しばらく経つと、同じような工夫をしているはずなのに高い評価のシールをもらえなくなってきました。わたしは不安になって、どうしてもらえないのかをどうしても知りたくて、わたしよりも良いシールをもらった友達のノートを見せてもらいました。


彼は自分の大好きな恐竜の絵と説明をノートいっぱいに書いていました。どこがかっこよくて、他のどの恐竜と似ている部分があるか、彼なりの視点とこれまでみてきた図鑑の説明をまとめた自主学習ノートでした。彼が恐竜好きなことは全く知らなかったけど、そのノートをみていると本当に彼は恐竜が大好きなんだということが伝わってきました。


でも、当時のわたしは納得がいきませんでした。こんなのでもらえるの?と、思ってしまいました。


「表もないし吹き出しもない。そもそも恐竜は学校で習わないし、わたしは全く興味がない。それなのに先生はこれが好きなの?」


わたしの自主学習ノートは、前の日に習った小数の割り算が、どうして割り算なのに答えの数字が大きくなるのか自分なりに分析したり、まだ習ったことのない薔薇という漢字を書けるようにするための覚え方を自分で考えたりしてまとめたノートでした。先生が前に「なんでだろうね。」とポロっと言っていたことを聞き逃さず、先生に教えてあげたくて、わたしが考えてきたよって言いたくて勉強してきたのに、なんで彼の方がよかったんだろう、とすごくショックを受けました。


今のわたしが先生なら、わたしも彼のノートに一番良いシールを貼ってあげます。わたしのノートには、「もっと自分のお気に入りをみつけて書こう」と先生がよく使う赤ペンで書いてあげたい。


わたしは自分のためではなく、先生のために自主学習ノートをしていました。先生のためにしたらきっと先生はわたしのことを好きになってくれるだろうというさみしい理由で。


わたしは小さなころから、自分で自分が傷つきやすくなることをずっとしてきたのかもしれません。勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に傷つく。そういう経験もあってか、人の目を気にせず自分の好きなことを好きなだけやる人にとても憧れています。


このnoteも自分の好きなことを好きなように書こうと、まず3日続けて改めて思いました。毎日書こうとすると話題に困ってしまうこともあると思うけど、それでもなんとか続けていこうと思います。彼の自主学習ノートみたいに、一日一日想いを込めて。



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