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カミング・ホーム

 深夜2時、ようやく仕事を終えタクシーに乗った。アスファルトが湿っていて、窓にはネオンを反射した水滴が残っている。少し雨が降っていたようだが、もう止んだみたいだ。

 運転手に行き先を告げ、言われる前にシートベルトを着けてしまう。世間話をする気力も、AirPodsをつけて音楽を聴く余裕もなく、シートに深くもたれた。

 雑誌の編集なんて誰がやっても同じなのに。編集とかデザインの仕事って、もはやゴールがない。時間をかければそれはいいものができるけど、時間をかけすぎても仕事にならない。眉間を揉みながら目を閉じて、首都高に乗ってから目を開ける。いくつも流れてくる暗いビルの輪郭を眺めていた。どうせなら湾岸にでも家があれば、帰り道の夜景も綺麗だったのに。闇に混じるビル群は昼よりも背が高く、聳えて見えた。

 タクシーに乗ってぼんやりしていると思い出す、江國香織の詩がある。


 そうして私はおうちに帰る
 夜中のタクシーの窓をすこしあけて
 遊び疲れて キスもたりて
 情熱の言葉をあびて
 胸の中だけが からっぽのままで



 なるべく思い出さないように、いつもタクシーで音楽を聴いていた。窓も絶対に少しも開けない。

 この詩が好きだと言ってた女の子がいた。今はもう会えないけど。その人へのどうしようもない、どうにもならない、宙に浮いた好意みたいなものを思い出したくなかったのだ。なんかどっと疲れたな。意図せず思い出してしまったこの詩を反芻させながら、そうして僕も家にかえる。



* *


 実を言うと、その子を思い出すことは日常、多々ある。特に会話ベースで。例えば、通勤先の渋谷駅にあるエスカレーターが併設されている階段。

「私バイト前ね、絶対ここエスカレーターじゃなくて階段使って上がってた!」
「なんか意外、なんで?」
「なんでって、おらおらおらって! 気合入れるために」

 マックのドリンクを見てもそう。

「私の母親、マックのコップを飲み終わってもまたその中に飲み物入れて飲んでる。烏龍茶とかジュースとか。まじでやめてほしい」
「確かにあんまりしないかも。なんで?」
「またマック気分を味わえるかららしい。ほんと謎」

 あとは、無花果も、煙草のメンソールカプセルも、ベージュのカーネーションも、誕生日のカツカレーも、表千家もお茶菓子も、yamaの「春を告げる」の首を傾けたジャケ画も。それを見ると、その時にした会話が思い浮かんでしまう。


 まだ2、3回目のデートで、花見ついでに満開の目黒川沿いの店でジンギスカンを食べに行った。咲き誇った桜が全然見えない、奥まった小上がりで、僕らは煙をもうもうにして、立ち上る水蒸気がミストサウナだ、ナノケアだと言ってはしゃいで食べた。彼女はジンギスカンを「ジンギスカンという名前の生物の肉」だと思っていたらしい。

「え、羊? そうなの? 私、北海道だけにいる鳥か何かだと思ってた」
「んなわけ。動物園でジンギスカンって見たことある? なくね?」
「本州じゃ生きられない幻の鳥的な。北海道、行ったことないもん」
「社会の先生になるんじゃなかったっけ? 将来の夢」
「違うし、国語ね? 教員免許試験どうしようかな〜」
「社会でも国語でも、ジンギスカンは一般常識です」

 生ビール、ジンソーダ、赤ワインをボトルで。次々と食べて飲んで空けた。
 
 店外の中年夫婦はテラス席で飼い犬をポールに繋いで食事をしていた。それを発見するや否や、外に煙草を吸いに行くと彼女は席を立った。煙草吸うんだ、と意外に思いながら気の無い返事で送り出したが、戻りが遅い。貴重品の確認だけして外に出ると、彼女が夫婦と談笑しながらできるだけ綺麗な桜の花びらを、せっせと集めていた。

「お~。集めてどうするの? 花びら」
「ワンちゃんが桜、もっとみたいって言うから集めてる。桜のシャワーしてあげようと思って」

 いやいや、と思いながら夫婦の顔色を伺うとニコニコとしていたので、「どうもすみません」と断ってから「これとこれと、これとかは?」と2、3枚拾って彼女の窄めている手のひらに置く。しゃがんでいた彼女が僕を見上げ、目を線にして笑った。
 
 この時だった。あ、この子いいな、と思ったのは。

 コッカースパニエルとトイプードルのミックスらしい、白い子犬は前足を枕にして地面に寝そべり尻尾だけはひらひらと振っていた。

 満腹で店を後にした。ジンギスカン臭の男と女で夜桜を眺める。帰り道、おんぶをしろというのでしてあげると、背中が揺れる、揺れる。バランスを崩してよろめいた。

「なになに? 危ない」
「あ、ごめ。ちょうど目の前に桜の花びらが来たからキャッチしようと思って」

 取り損ねたらしいその桜の花びらが、すでに決まっていたかのように排水溝の金網に吸い込まれて落ちていった。



* *


 会議に会議を重ねて、こだわった誌面も校了明けの休みとなると、自然とどうでもよくなる。昨日あれから泥のように眠ったのに、体の芯に残る疲労感? というか徒労感がまだまだ体に馴染まなくて、二度寝した。

 昼、起きるとこれは本当に気まぐれで、国立新美術館に企画展でも見にいくか、となぜか重いはずだった腰を上げた。毎度のことだが、底なしの徒労感と同じくらい、校了明けは底抜けの解放感があるのだ。沈みながらも気持ちは前を向いている。休みたいと、一日を無駄にしたくないという気持ちを両立させたかった。

 今やっているのは、メトロポリタン美術館展とダミアン・ハーストの桜の企画展か。桜? もう5月も終わりなのにと訝ると、明後日で終わってしまうらしい。今年の春、お花見できなかったしなと思い、台所で換気扇を回しながら煙草を吸い、桜の方のチケットをネット予約した。

 本来見えないはずの極彩色で表現された桜の絵は、キャンバス自体の大きさと、天井の高い抜けのある空間と、迷いのない色の置き方が見事で迫力があった。まあでも、普段こういう美術や芸術に触れていない自分(腐ってもクリエイティブな仕事をしているはずなのに!)にとって、花や枝の配置や構図に違いはあれど、意外にも展示物が単調で、すぐに退屈になる。絵の前にある鑑賞用のベンチで心を無にして自分の目が捉えた、絵、お客さんたち、壁、床、光で構成される視界の画をまるで写真のように眺めていた。

 この後、中にあるカフェで珈琲でも飲もうかな。朝、飲んでないしな、とぼんやりついでに考えていると、百合の匂いの香水がふわっとした。「ホワイトリリー? あ、懐かしい」と思ってふと目線を近くの人々に合わす。すると、どこかで見たことがある線の細い白いミュールを履いた彼女が目の前を通った。どうして? と思う間もなく、隣の男性と腕を組んでいるのに気づいた。さっと目を逸らし、その素早い目の動きの反動からか、視点が虚空の一点に定まり、動かなくなって固まった。頭の奥が一瞬でじんと鈍く収縮した。耳に聞こえるくらい、2回息を吐いて、なんとか立ち上がり、振り返らずに、出口を目指し早歩きでその場を去った。

 その後1階のトイレで手だけ洗ってやっと、「まあ2年も前のことだしな」と何を今更な感想が心に浮かんで、恥ずかしながら落ち着きを取り戻した。ハンカチを忘れたので手を振って乾かした。

 珈琲を飲むかどうか、しばらく迷ったが、なんとなくやめておいた。

 2年も引きずる自分を嘲笑しながら、実際どこかでばったり会ったら会ったで固まってしまったことに驚きと呆れの感情が湧く。おかしく、滑稽で、暫く、ただただあの一連の瞬間を脳内で再生していた。もう社会人になったのだろうか。あの頃から少しだけ短くなった髪が、彼女を大人びさせていた。

 あの詩の、最後の一節がまた反芻する。
 

 胸の中だけが からっぽのままで


 帰り、六本木の中華屋にでも持ち帰りの冷凍餃子を買いに寄ろうかな。ビールは青島ビールかな。あれ? 青島ってどこに売ってるっけ? 成城石井にある?
 白々と独り言がいくつも頭に浮かぶ。

 急に風が吹いて紙切れのゴミが転がってくる。「2LDK、6880万円、カップルやDINKSにおすすめ!資産性◎」くたびれたマンションのチラシはわざとらしく街路樹に引っ掛かるようにして止まった。

 なぜか無性に、いつかのような花吹雪く、こぼれ落ちる満開の桜が見たくなった。今度は一枚くらい花びらを掴めるだろうか。今の季節もうどこにもそんなものはないことぐらいわかっているけど。

 


 そうして僕はおうちにかえる。

 胸の中だけが、あのときのままで。




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