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私たちの勘違いに溢れた女性性に寄せて

仏教研究家の友人から「あなたのエナジーはダキニ天だ」と言われたところからダーキニーブレスと名付け自身の中のダキニと繋がり、感じるままに進み続けた半年。

とあるプロジェクトに向けて、ダキニ女神について、ベルリンのアーティストと共に再びリサーチを始めた。
@myoka_murmurs

ダキニについて調べるときにいつも上がってくるのは驚き。世の中に封じられた女神の真の姿。優しく美しくて何でも許してくれるような女神像。ふわっとした優しい色に仕上がったそういった女神像を見るたびに内側から重い疑問が溢れてくる。

さて、それは誰が望んだ女神像なのか。

真の女神の姿は、強く勇ましく氣高い。破壊と再生、強さと優しさ。生命の誕生と死。それら両極なるものを併せ持ちながら、それらのチカラを殺し合わずに最強のまま併せ持つ。それが女神という存在でありそれらの姿はむしろ人々が怯えあがるほどに恐ろしい、そんな凄みをもった存在なのではないか。ダキニ女神には社会により封じられた真の女神像、野生の女性像があるのではないかと思う。

★★★
そして、昨日気がついたひとつのこと。

世界中にはたくさんの神様がいて、鹿だったり、牡牛だったり、蛇だったり、狐だったり・・・。この宇宙の中で、独自の煌めきを放つ生物の性質=スピリットを象徴として敬い、そのスピリットにサポートしてもらう。それが多神教的な神様。
多神教的な原始の世界の中で、ダキニは「人間の女性」の超原始的なスピリットを象徴として崇めたものなのではないか。そんなひらめきが降りてきた。もちろん、「人間の女性」というのは現代社会の毒素により弱められた女性のことではなく、社会毒の皆無なピュアな状態の女性

だから私達の世界には古代からダキニとしてのチカラを発揮するために
女神のヨガを行うヨギニ達がいた。それがタントラヨガであり、女神のヨガと言われたもの。私が偶然にも17年前に繋がり、人生の進む道を教えていただいた叡智。女神とはやはりふわふわキラキラしたお伽話の中の存在ではなく、野生が目覚めた力強く賢い女性であり、全てを切り裂き、破壊から再生に導く、シャーマンの長のような力強い存在なのだ。

「社会」という特定の人間層の意図により呪術を込めて作られた世界において、私達の内側の純粋な煌めきは簡単に損なわれるし煌めきを純粋なままに抽出するには大きな視野と繊細な瞑想が要る。「ありのまま」の幻想に依存するのはあまりに無知すぎる。世に溢れている呪術に対して私達はあまりに無知で無防備だ。(この件についてはまた書こうと思う。)

だから古代よりヨガがあり、私達のチカラと知恵を育み、純粋さをを守ることを助けてくれていた。人間の野生の煌めきを守るために、人間の本来の性質を活かせますように、そんな願いを込められて伝えられてきたのがタントラなのだと思う。

私の中にはまだまだ、社会から受けた教育による、血への恐怖や嫌悪感、排泄物への嫌悪感があり、それらはまだまだ本来の私を制限している。ひとつひとつ観ていくこと。それしかないなと思う。

ダキニについての気づきのおかげで、またひとつ、私を私たらしめるエッセンスと繋がり、目から血の涙が出そうに嬉しいながら、まだまだ私の内側に眠る叡智と繋がりきれていないことに気づく。知りたいことがあること、それは私が私の内側に見れていないことがあることでしかないのだと思う。

私が私と繋がりきれていないこと。
それを一つ一つ見ていくこと。それしか無いな、とまた足元を観る。

最後まで読んでいただきありがとうございます。私の体験の中のtantraについて綴っていきます。ハートを押してもらえると励みになります。


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