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私がカカオセレモニーをやる理由②

「セレモニカ」という言葉が降りてきたところまで描きました。

「セレモニーをする仲間を集める」というミッションまではわかったのですが、私はセレモニーというものにちゃんと参加したことがなかったんです。何度か、南米でセレモニーに参加する予定もありましたが、その度に飛行機に乗り遅れたりして、チャンスを失っていました。私自身、yogaの修行に夢中でメディスンをとる体験に興味も情熱も持っていなかったのです。アフリカのジンバブエで一回シャーマンがトウモロコシのお酒を飲んで行うセレモニーに参加したことがありましたが、意識の変容の次元までは体験できませんでした。だから、セレモニーというものの定義が体験として私の中にはなく、「セレモニーってなんだ?」というレベルだったのです。

セレモニカのために動くと決めた頃、たまたまセレモニーを行っているシャーマンの男の子に出会いました。とても純粋なバイブレーションをまとった人物で、その子のガイドの元、海外でセレモニーを受け取ることができることになったのです。最も純粋で安全な形で受け取れるチャンスが回ってきたようでした。

南米の植物とカエルの毒を使ったメディスンをいただいたのですが、その時に体験した強烈な陰陽、肉体に起こる強烈な痛みと、その後のワンネスの体験。それはとにかく強烈なものでしたが、最終的にはワンネスという究極な慈愛の世界に行き着くものでした。そしてそれは意識の領域にまで働きかけ、1週間に渡り、私は夢を見続けました。私の中のまだ目覚めていなかった脳の部分が動き始めたのです。私は自分の中にいる蛙、爬虫類を見続け、1週間するとそれが白い蛇になりました。私の中の蛇が目覚めたのです。それはクンダリーニとはまた別の、艶かしい蛇でした。蛇はどの神話でも原始の存在です。神と繋がるもの。背骨があり脳があるという最もシンプルなカタチは原始のいのちの記憶そのもの、スピリットの形を表すように思います。私の中の原始の力が目覚め始めたのです。

そして一つの確信が私を貫きました。

「私はこの体験をいつもダンスでしている!!
 ダンスは地球に届けられた意識のためのメディスンだ!!」

究極の陰陽の後のワンネス。光と闇の統合。それは私がダンスを通していつも体験していること
でした。

そのようにしてダンスメディスンは生まれました。「セレモニーで受け取った体験をダンスを通してする」ことがダンスメディスンを通してやっていることです。「ダンスは意識の変容をもたらすためにセレモニーの中で行われるもの」それは私が5年間の旅の中で見つけたものでもありました。

ノマと出会ったトルコの道にて。

そしてダンスメディスンのワークショップを始めた頃、もう一つのメッセージが降りてきました。

「子宮の解放を行いなさい!地球上の女性性を癒しなさい!」

その声が聞こえ始めた頃、私はまた身体が動きにくくなり、寝込みがちになっていました。意識が上に上がりすぎて、肉体を維持することが難しかったのです。その声はとても強く、それを始めない限り、私の身体は動かないのだろうということが私は感覚的にわかりました。「女性性の癒し、子宮の解放」その声が鳴り響く中、私には自分が何をすべきかわかっていました。それは5年くらい前にインドでタントリカ(タントラの道を行く者)のシャーマンから受け取った卵巣呼吸というブレスワーク、ウーマンズサークルを開くことです。インドでその会に参加したときに、私はクンダリーニの覚醒を体験しました。それは本当に信じられないような強烈な体験で、メディスンを通したセレモニーの経験を経た今でも、私の人生の驚きナンバーワンを占めています。

それは動きだけでも脳に強烈な刺激を与えれば、強烈な変性意識状態に入り、この世の次元を超えた体験をする能力が、人間には機能的に与えられているという証拠でした。その体験を通して、人間は魂の領域、スピリットの領域を生きることが可能になる。世界の見え方が全く変わる。わたしはそれを証明したくて、17年に渡りタントラヨガの行を続け、道を歩んできたのです。幻想を見ず、現実的な修行の中で光を見つけること。決して盲目にならず、冷静な視点で黙々と行を続ける中で、それを社会に伝える準備を積み上げてきたのです。

自分がゴールに辿り着いたことで、どうすれば安全に皆がここに辿り着けるか、そして辿り着いた先に、本当の自分を生きることが絶対的に始まるのだということがわかりました。そして、「これを日本であなたに伝えてほしい」という言葉もその時にいただいていて、自分としても、これを伝えていくことが自分の役割なのであろうことは何年も前にわかっていたのです。だけれど、これは私にとってもあまりに強烈なことで、「これをやることで世間が私をどう見るのか」そして「こんなに深い領域の仕事を本当に私ができるのか」「そこまでの人間力や能力が自分にあるのか」信じきれないという私の自信のなさや、完璧主義な部分が、確信的な体験を経てもなお、それをやることを長年に渡り妨げていたのでした。


私にこのワークをさせるために火事が起こり、新潟という土地から私を離させ、沖縄という枠を外した土地に運ばせたのでしょう。私はボロボロの身体で、神様と約束するみたいに涙を流しながら、卵巣呼吸の開催を決めました。それが現在のダーキニーブレスです。

1/23始まりのとき。

初めて開催するワークにも関わらず、沖縄に全国から参加者が集まり、すぐに枠は埋まりました。私にとっては生まれて初めてのワーク。そして、それは起こりました。セレモニーとしてワークが起こった初めての会でした。ワークがワークを超えて、意識の次元に働きかけ、確かにセレモニーは起こったのです。涙と歌と嗚咽とダンス。それらが自然と立ち現れ、人々は理性を超えて、自分の奥底にある野生と繋がり、それらを解放しました。私はその様子を見て自分の奥底にある力が解放されるのを感じました。そのセレモニーを執り行うことで、私の中の野生、本質に火がつき、今まで出すことのなかった私の本来の力を発揮し始めたのです。
「これが私なんだ」
皆が、本来の自分に繋がるのと同じように、私は私の中の本性と繋がったのです。私には人間の闇を暴き、光と闇を統合する力があったのです。



私には20代の頃から、その人の魂の完全体が見えるという性質がありました。同時に身体付きを見るだけで、その人のチャクラの状態や抱える闇が見えてしまう。そしてそれをどのように排出したらその人が本来の健康な魂の状態に戻れるかが見える。そのことから生まれる嫌悪感に悩む時期もありましたが、30代後半に入り、次の段階に入りました。私にとって光と闇は善悪ではなく、「闇」はその人の魂のカラダ、スピリットとしてのカラダを強化するための材料になったのです。日常ではそれが見えても黙っていなければなりませんが、私を信頼して来てくれる場であるセレモニーでは、それが見えた瞬間にその人のパワーに統合するようにとっさに動いてしまいます。

踊りの中でもそう、私は踊りを通して、観客の集合意識とつながる性質があるのですが、繋がった時に「闇」に触れても全然怖くないのです。その闇をどうしたら力にできるか知っている。闇の奥の光を知っている。その確信があるから、より深くその闇と繋がることを選択できます。そして十分に繋がったところで、それを上げていくのです。昇華させていく。その時に浄霊が起こることもあります。私は繋がった霊的存在、集合意識と共に泣き、喜び、そして手放すのです。


ダンスを通して培った、集合意識とつながり昇華していく力が、ワークの中で、それをセレモニーにしてくれるようになったのです。それは私の中での光と闇の統合でした。

長くなりましたが続きは③へ!

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