見出し画像

新型コロナウィルスの影響でキャリア観に変化

新型コロナウイルス感染症の拡大が、転職活動やキャリア観にどのような影響を与えているのかを、株式会社ビズリーチがアンケート調査をされたとのこと。

「新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、自身のキャリア観に変化がありましたか」という質問に対し、「多少変化があった」(45.0%)、「大きく変化があった」(10.8%)と変化があった人が半数を超えています。

その「変化があった」と回答した人のうち「企業に依存せずに、自律的にキャリア形成する必要がある」と回答した人は9割いらっしゃったとのこと。

また、転職についても「以前から転職を検討していたが、ますます転職への意欲が高まった」(45.6%)「以前は転職を検討していなかったが、今は転職を検討するようになった」という回答も約1割あったということです。

私の親世代は、いい会社に入ってそこで勤め上げるという価値観が一般的だったように思います。

私たちは、その名残もありつつ、転職していく人もいました。

うちでは働いているインターン生(大学生)を見ていると、勤め上げるという考えはほとんどなくて、経験を積むというステップとして考えている人が多い印象でした。

このように若い世代になっていくほど、会社に依存しないという意識が高まっているのかなと思っていましたが、50代の方でも転職の意欲が高まっているようです。

このアンケートで年代別に見ると、50代において「以前から転職を検討していたが、ますます転職への意欲が高まった」(53.1%)が最も高い数字となっています。

任意でコメントでは、他の年代に比べて50代からは「これまでにない変革やチャンスが、今だからこそある」と捉える意欲的な回答が多かったとのこと。

キャリアがある人こそ、その経験を活かすことができるので、50代からの起業や転職、副業などもこれから加速するかもしれません。

中年の星と言えば、超個人的な意見ですが、北条早雲が日本代表と言えるでしょう。

生年1432年、死亡1519年とされている戦国大名の先駆け的存在です。

元々は幕府で働いていたのですが、妹(姉という説も)が嫁いでいる今川家で家督争いがあり、駿河に行くことになります。

それが1476年のこと。早雲45歳のころです。公務員から転職して一般企業に行くような感覚でしょうか。

その後家督争いをおさめ、その功績で静岡県の沼津にある興国寺城を拠点とすることになります。

それが1487年のこと。早雲56歳のころです。会社の事業部長くらいに出世したイメージでしょうか。

そこから次に隣国の伊豆を狙い始めます。

当時の56歳と今の56歳では全く意味合いが違うような気もしますが、早雲はそこから戦国大名へと駆け上がるのです。

1493年伊豆を奪い取ります。早雲62歳のころです。独立起業したイメージでしょうか。

1495年に小田原城を奪い相模国に進出。

1516年に相模国全域を平定。このとき84歳でした。

1518年に家督を譲り、1519年に88歳の生涯を閉じます。

北条早雲には、生年1456年説もあったり、まだまだ謎が多い人物でもありますが、いろんな経験を積み重ね、人生の最後まで生き抜いた人物だと推察できます。

そしてその人柄は「早雲寺殿廿一箇条」に現れます。

これは、北条早雲が定めたと伝えられるものですが、

・早寝早起きしろ
・一人で背負い込むな しかるべきものに任せろ
・暇があれば文字をみろ
・誰に対しても丁寧な態度を取れ
・嘘は言うな
・友達は学問の友を良い友として求めよ

など、今でも通じる、人生を色々と苦労した人にしか書けないものが残っています。

新型コロナウィルスの影響でキャリアを見つめなおし、その結果、意欲的な人が増えたのであれば、コロナウィルスもいい影響を及ぼしている面も多少はあるかもしれません。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?