見出し画像

少食さんのお皿



画像1

©️photo taken by me. 品川/中華そば和渦TOKYO(絶品でした)


男性でも女性でも少食さんはいることでしょう、
わたしも少食です。

胃が弱いとか、病後とか、理由も様々なことでしょう。
併せて口の中の問題、歯が悪い場合も少食傾向のこともあるかもしれません。
わたしは以前は美味しい美味しいとたくさん食べることもあったのですが、
あとで後悔。

必ずお腹こわすのと、貧血気味になり、
立っていられなくなるのです、

どうやら胃下垂ぎみであることもわかったので、
若い時のこの経験をふまえて腹八分目を鉄則で生きています。

昔、ほんとに美味しい浅草の焼肉屋さんで食べ過ぎて動けなくなり
二階の座敷に寝かせてもらった経験が(汗)恥ずかしい。

もしかしたら少食な人がうらやましいと思う人もいるかもしれないですが
仲間と食事の時など、「え、もう食べないの?」などと言われるのが
なんとなく嫌だったりします。これが適量なので、と、いちいち言いますけどね。

「食べ放題」、絶対に損してしまいます笑。

そういえばTVでやってる大食い番組がかなり苦手で、
これは少食さんに限らず苦手と思う人も多いかもですが。
どう見ても飲んでる、あの食べ方が美しいとは全く思えないし、
美味しそうとも思えなく、料理が可哀想とも思うし、
そもそも食べている場面を映し続けることはお下品なこと、
やめてくれと思います。あと笑いながら食べないでほしい。

さて少食なひとの呟きを。

ある日お腹が空いて入ったトンカツ屋さんの
大盛りすぎるご飯に悲しくなることがありました。

友達との食事で「ご飯残ってるよ?」が
とても嫌だったことを思い出します。

残してしまった罪悪感、
相手と食事スピードが違うことの劣等感、
もう食べられないお腹いっぱいなリアルな自分。

わたしは揚げ物屋さんに入っちゃダメなのかなとすら思いました、
美味しいもの食べたいのだけど。

大概、揚げ物屋さんメニューは
たっぷり食べる人向けにできていますものね。
それが当たり前。

わたしは揚げ物3種類くらいに野菜たっぷり、
そしてご飯はほんのお子様ランチ程度で充分なのに。
だって揚がったパン粉で充分に満たされるもの。
でもそれは絶対に叶いません。

ついに少食ではあるけれども、外食の時に
「ご飯残ってるよ?」を絶対に言われたく無い、
と、思うようになりました。
友達と同じように食べきりたいとも。
なんか意地になってるかな。

でも、まてよ?、
残るご飯は捨てるだけ?、
勿体無いじゃないの?。
資源のことを考えたら、そうですよね。

それ以降は街で食事をする時には
給仕してくれる方に、
ご飯は少なめにしてください、と、
必ず言うようにしています。

しかしお願いしても厨房で揚げ物などの
ガッツリした料理を長年作り続けている
がっしりとした料理人さん(イメージです)にとって

多分、ご飯少なめ、は意味不なコトバでしょう、
こちらにいただく器の中のご飯の量は、、、
いえ、このまた半分くらいでいいんですけどね。
そう思うことがほとんどです。多分食事提供している立場から
そんなに少なくはできない、ということもあるでしょうけども。

料理人さんは悪くないです、悪いのはわたし、
ご飯は軽くしてください、などと、
揚げ物屋さんで意味のわからないこと言うのですから。
すっかり弱気。

揚げ物やさん、天丼屋さん、定食屋さん、、、。
メニューを見て、穴子天丼いいなあ、
クリームコロッケとメンチ盛り合わせイイなぁー
ハンバーグ定食イイなぁー

このメインディッシュを美味しく食べたいので
注文時、ご飯の量を伝える時に
目つきが鋭くなっているかもしれません。

「ご飯少なめでお願いします」

「ほんとに少なくてイイです」

「オコサマランチテイドデイイデス」。

ご飯は残したってイイんじゃない?
と言う人もいます。
厨房の人ももしかしたら
残ったお米を捨てることに慣れているのかもしれません。
残すことも含めて料金を払っているのだから、
少食だからご飯少なくしてくれ、
なんて言わなくてもイイのかもしれません。

でもね、

出されたものを、
自分のテーブルに出てきた料理を残したくないのです。
少食さんは、誰かと食事の時はとくに、
同着で食べ切りたいと思っているのです。
ひとりの時にも、食べ切ってまっさらなお皿を
さげてもらいたいのです。
そんなこと思うのはわたしだけかな?

これは少食とはまた別の話になりますかね、
今はフードロス問題として
取り上げられるようにもなりましたが、
家でも食事を作っていると
無駄な食費を減らすことにもつながりますから
残さない量で作ることが1番重要でもあります。

残ったら冷凍、多めに作って冷凍、それはありですが、
皿に出した食べ物は食べ切れる量、というのがわたしの中では
食べ物に対して真摯なやりとりなんじゃないかな
と、思う節があります。


脱線しますが、昔聞いたことがある話ですが
西武グループの堤会長さんは
寿司屋で小皿にドボドボと醤油を出すなんて
自分の食べる量すらもわかっていない人だと
苦言を言ったことがあったそうで、
その話にわたしはなんとなく納得した覚えがありました。

小皿に醤油がなくなれば
また注げば良いだけですし、
残してしまわない量をわきまえられることは

寿司屋さんの仕入れのこと、片付ける人の手間、
資源のこと、いろんなことを思えるということかもしれません。
そして仕事においてもなんらかの繊細な感覚や想像力を
発揮できることにつながるかもしれない。

もしかしたら堤さんはそこらへんに
気を配れないなら仕事もできん、と
思っていたかもしれません。

料理の「適量」は胃の問題、口の中の問題、
そして資源の問題も。
あとは性格の問題もあるかもしれません。
人それぞれ、
それぞれ想いがあることと思います。
わたしも自分の胃下垂少食傾向がなければ
思えなかったことなのかもしれなくて。

とにかく、出先でいただく食事を
残す、ことを、いろんな観点からしたくないわたし。

最近はお正月のお節の食べ切れる量、というのがわかってきました。
新年三ヶ日過ぎてもまだある高級食材に飽きてしまうことほど
哀しい年明けはありません。

どうか街の料理人さま、
ご飯少なめで、と言うお客さんがいたら
思い切って少なめで笑。

わがままなことを書き連ねてしまった
2021年の初note。



自分で撮影した写真を主に掲載します。美味しい食べ物のことや思い出話、または好きなartやdesign関連など、あまりカッコつけずに書きます。どこか共感してもらえたら嬉しいです^_^。常にログインしていませんが♡してくださった皆様や、フォト利用の方の記事は必ず拝見しております。