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お酒が自由に飲める時代で、本当に良かった。

サンフランシスコに 「21st Amendment 」というマイクロブルワリーのビール屋さんがあります。サンフランシスコ情報満載のAkaneさんのブログでもおすすめレストランとして紹介されました。 人気の「スイカビール」、私も好きです。 シリコンバレーのからっとした暑い日差しの下で飲むとまた格別です。

お店の名前の由来は、アメリカの憲法修正第21条(21st Amendment)。この修正憲法のお陰で1920年代の禁酒政策が終わり、自由に楽しく飲めるようになった、という歴史があります。

まず背景から:

さかのぼること100年以上、 1900年代初めごろのアメリカ。イギリスから独立を勝ち取ってからまだ100年ちょっと。 その間、最初の13の州(東海岸)から徐々に国は広がっていきました。開拓民達が幌馬車で西へ、西へと向かい、人口も増え、穀物の生産もどんどん拡大していきます。

小麦、大麦、ライ麦などの各種麦、とうもろこし、どれも食料としてかかせません。麦といえば私は「パン」を連想しますが、多くの麦は「アルコール」生産に使われました。

その頃のアメリカ人はお酒ばかり飲んでいたらしいのです。最初はビールや発泡サイダーといった弱いものが多かったのですが、蒸溜技術が進み、麦やコーンの生産が増えると、ウィスキーやバーボンが作られるようになります。また、南部のサトウキビを使ったラムも出周ります。

安全な飲み水よりも、アルコールの方が手に入りやすい世の中。バクテリア混じりの汚い水でお腹を下したくないので、水分補給に安心確実なのはアルコール。朝・昼・晩と酒を飲むのが普通で、畑仕事の合間も酒。銃を持って狩りに出かける時も、酒。

昔の西部劇映画で、 「サルーン」と呼ばれるバーで男達がベレンベレンに酔っ払っている様子が出てきますが、実際もあんな感じだったのかもしれません。酔っ払って喧嘩したり、女遊びをしたり、泥酔して道端で寝てたり。。。 家では妻子がお腹すかして待ってるのに。大迷惑なアル中の男達。

これではいけない!アル中の体たらくぶりを改善し、世の中をもっと良くしたい!全ては酒のせいだ!酒なんてあるからいけないんだ!

1800年代を通じて、酒飲み文化に反対する、Temperest Society(禁酒協会)が積極的に草の根活動を続けます。アルコールの代わりに水を、と都市部に安全な水飲み場の設置もしました。当時流行った、「酔っ払いの進行の7段階」という絵がなんとも可愛いです。

清教徒(ピューリタン)を筆頭にプロテスタント協会の各宗派、カソリック協会、そして徐々に政治的存在を強めていった女性達 — 禁酒運動賛成派は勢いを増していました。

産業革命が進んで近代産業が発展し、「会社組織」が増えるのもこの頃です。工場やオフィスで雇われる「従業員」 をマネージする雇用者にとって、二日酔いで遅刻・欠勤続きのアル中男子は頭が痛い存在です。なので、禁酒運動はビジネス界からも支持を受けます。第一次世界大戦(1914ー1918年)もアンチ・アルコール運動を後押しする要因でした。

「酒がなくなれば世の中がよくなる」

積極的かつ効果的なロビイングの結果、禁酒運動はついに法的に酒を禁止することに成功しました。

これが修正憲法18条(18th Amendment)です。1917年に議会で承認されましたが、施行は1920年。第一次世界大戦直後、アメリカで女性が選挙権を持ったのと同じ年です。18th Amendmentが実行されていた期間を「Prohibition」(禁酒政策)と言います。

国全体で、しかも憲法レベルで、酒を禁じる必要があったほど、当時はアル中問題が深刻だったんだと思います。

ただ厳密には、「飲酒禁止」ではなく、「酒の製造と流通 」を禁じたものでした。なので、「飲む」こと自体は違法ではありません。製造を禁止しておけば、飲むものもない、という考えだったのだと思います。

酒がない=「Dry」なProhibition時代の1920年代に栄えたものが三つあります:

(1)ドラッグストア、特にWalgreens
(2)カクテル
(3)グレート・ギャッツビー

まず最初にドラッグストア(Drugstore)。(薬(Drug)だけでなく、食品から化粧品、全ての日用品が揃うところです。)

「医薬品」としてのアルコールは禁じられてないので、飲みたい人はお医者さんに処方してもらうのが一番の早道でした。頭痛、腹痛、腫れ物、できもの、ストレス。全てアルコールが治してくれたらしいです。「お酒」と書かれた処方箋をもってドラッグストアで「お薬」を出してもらう。今でもドラッグストアには必ず、 ありとあらゆるお酒がズラリと売られてるのはここに由来すると思います。

シカゴ市ではじまった「Walgreen」というドラッグストアはこの時期にとくに急成長をとげてます。今でいうユニコーン企業のごとく、店舗数を伸ばし、1929年の大恐慌の間も順調に売り上げを伸ばしていました。それはウィスキーを「処方」するための特別購買経路を持っていたから、だそうです。つまりシカゴのマフィアと上手く付き合っていたらしいのです。

Walgreen はProhibition後の1937年にサンフランシスコに進出、今でも市内でもっとも多くの店舗数を誇っています。Prohibition中の成長がその後の拡大も支えたんでしょうね。

二点目のグレート・ギャッツビー(Great Gatsby)。

F. スコット・フィッツジェラルドの小説の主人公、Jay Gatsbyは「Roaring 20s」(狂騒の1920年代)の象徴として知られています。

Gatsby はどうやって巨大な富を作ったのか?

それはBootleggingといって、闇商売でお酒を動かしていたから 、らしいのです。だから禁酒政策中の20年代にあんなにご馳走やお酒を振る舞うことができた、と。Gatsbyパーティーのイメージはこんな感じ:

Gatsbyはどうして友達があんなにたくさんいたのか?

彼自身はシャイで社交が苦手なのに、パーティーには方々から華やかな人々が集まり、きらびやかな宴を一晩中続けてました。でもGatsbyはその人達と交流せず、遠くから見守るだけ。彼の目的はただ一つ、愛するDaisyさんの心 を勝ち取ること。そのためのパーティーです。

ではパーテイーの参加者は誰だったんだろう?それは酒の匂いを嗅ぎつけてきた野次馬が殆どだったみたいです。「お酒が出る」となると、誰のパーティーだろうが構いません。友達の友達のまたその友達を引き連れて、酒飲みにいくぞ〜、という感じで参加するのがOK、という時代だったらしいです。酒は友達を増やす最大のツールだったんですね。

三つ目のカクテル。

20年代の禁酒時代に多いに流行ったそうです。多いのがジン系のもの。アルコールにジュニパーやニッキなどの強い香りをつけ、蒸溜するとできるジン。「Bathtub Gin」という、自家製のジンが出回ってました 。ジンを作るの容器としてバスタブを使ったものです 。いったいどんな味の代物だったんでしょう。。。他にも出所が明らかでない、低品質でまずいウィスキーやバーボンも出回りました。こんな感じで作ってたらしいです:

まずいお酒も、他のものと混ぜて、お化粧直しすれば飲めるじゃないか!というのがカクテルの始まりです。 柑橘系&蜂蜜を混ぜようとか、トニックウォーターなどの発砲水を入れて味をごまかそう、とか。

また、この頃のカリブ海のラム製造業も多いに栄えたそうです。カリブの島から近い、フロリダ州(特にマイアミ)のマフィア経由で密輸されました。カリブでは棚ぼた的に儲かった大金持ちが増えたそうです。

作るのも、運ぶのも、売るのも、飲むのも、すべて闇ルートでマフィアが絡んでいました。禁酒制度の取り締まりは各地方自治体に委ねられていたので、マフィアと地元警察が結託したり、賄賂があったり。特に都市部では禁酒政策への反発が強く、闇酒が多いに出回ってました。そのもっとも有名な立役者がシカゴのAl Capone(アル・カポーネ)氏。有名なマフィアボスですよね。年商$100 millionを稼ぐ、大物セレブでした 。

また、Bootlegger達が違法に運ぶ酒を売る「Speakeasy」(もしくはBlind Pig)と呼ばれるお店が随所にできました。裏口や地下がバーになっていて、暗号パスワードを知ってる人が入れるSpeakeasy。警察は見て見ぬふりだったり(=カクテルと引き換えに?)、捕まっても大したお咎めもなかったりしたそうです。

闇取引のリスクを負っても、儲けは格段に良いので、まさにハイ・リスク、ハイ・リターンの世界。しばらく牢屋に入ってもすぐに出てきて、また 稼ぐ人も少なくなかったようです。

1920年代の好景気にはそんな社会背景がありました。禁酒を守って真面目に働く人々や、リスクを取りながら上手く立ち回って設けた勝ち組と、その波に乗れない負け組の差がどんどん広がっていったのが分かります。なんとなく、今のアメリカ社会に似ている気もします。

そして時は流れ、1929年に世界大恐慌が始まり、世の中が一変しました。

「禁酒政策」は完全に形骸化し、意味をなさぬものとなりました。

酒を禁止しても結局、同じことじゃないか、と。みんな結局、飲んでるし。 みんな、飲みたいし。

連邦レベルで「禁止」にするよりも、各自治体レベルできちんと「規制」しましょう、という(非常にまっとうな)考えが広まり、18th Amendment 18を撤回することになりました。また、酒類販売を規制する、ということは課税できる、ということなので、大恐慌後の枯渇した地方予算の新しい財源確保にもつながりました。なるほど〜、ですよね。

18th Amendment を法的に撤回した のが「21st Amendment 」。1933年2月に上下両院で承認されました。実際の条文はこんな簡単なもの。

Section 1. The eighteenth article of amendment to the Constitution of the United States is hereby repealed.  (修正憲法18条は撤回。)
Section 2. The transportation or importation into any State, Territory, or possession of the United States for delivery or use therein of intoxicating liquors, in violation of the laws thereof, is hereby prohibited. ( 酒を持ち込んだり、酒を使用するには、それぞれの州・領地が定めるルールに従うべし。)
Section 3. This article shall be inoperative unless it shall have been ratified as an amendment to the Constitution by conventions in the several States, as provided in the Constitution, within seven years from the date of the submission hereof to the States by the Congress. (この修正条文は各州の承認をもって、有効となる)

Section 3に 従い、各州がOK! (法律用語では批准)する投票が行われ、およそ10ヶ月後の1933年12月5日に正式に修正憲法として施工されました。

これは当時の新聞の見出しの一例。やっと終わった!って感じですね。

細かい話ですが、21st Amendmentは飲む権利を保障するものではありません。飲酒に関わるルールを作るのは各州であるべし、と。ワシントンDCの連邦国家が口を挟むものでなく、それぞれの自治体(州)で決めてくれ、というものです。なので、今でも州(もしくはその下のCounty(郡))によってルールが違います。カリフォルニア州ふくめ殆どの州で飲酒は21歳からですが、南部(ルイジアナ州、テネシー州等)では18歳だったり、ビールとワインだけは18歳から買える(ウィスコンシン州)とか、バリエーションがあります。なお、今なお、保守的なコミュニティーでは自主的に「Dry(禁酒)」を継続しているところもあります。

酒を自由に飲みたい、ユーザーの圧倒的支持を受けてかなった、憲法改正。

酒の力はペンよりも、剣よりも、強かった、ということですね。

自由に飲む権利には、責任を持って飲む義務が付いてくるので、皆様飲み過ぎにはくれぐれも注意しましょう。美味しいお酒を安心して自由に飲める世の中に、cheers!

参考文献:
18th と 21st Amendmentについて
Walgreensについて
Prohibitionとグレート・ギャッツビーについて
Temperance(禁酒)運動について



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