アナログ派の愉しみ/本◎ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著『怪談』

その瞬間、わが家の
表札が砕け散ったわけ


30年前の晩秋11月の午後、わたしの母は東京・小平市の自宅のトイレで倒れた。救急車で最寄りの公立病院の集中治療室(ICU)へ運ばれて、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血と診断されたのち、ベッドで人工呼吸器をあてがわれたまま約2週間後、心停止に至った。享年57。

 
この間、脳死判定を下された母はいかにも穏やかに眠っているように見受けられたのに、若い医師が「もう脳は腐りかけているのです」と説明したものだから、家族・親族は激昂して、病院に担当医の交代を求めた。そこで、あいだに立った老練な医師はカルテを精査したあとに、「これまでの措置に間違いはなかったと思います。この病気は見送られる方にとって非常に辛いものです、突然意識を失くしてしまい、ひと言のお別れも交わせないのですからね。しかし、ご本人にとってはいまやなんの痛みも苦しみもなく、とても安楽な状態なのですよ」と告げてくれたことで、ずいぶん救われた。先の医師が口にしたのと同じ内容を別の表現に言い換えただけとはわかっていても。それからは、患者に最後まで残っているのは聴覚らしいという話を頼りに、幼い姪たちといっしょに耳に向かって呼びかけることに努め、いよいよ臨終を迎えたのは、わたしが当番で病床につきそって母の手を握りしめているときだった。

 
ちょうどその瞬間、わが家の玄関の門柱にもう20年以上も嵌め込まれていた陶製の表札がいきなり落下して粉々に砕け散ったことをあとで知った。

 
何が起きたのか? 長らく一家を支えてきた主婦の死に際して、家屋までもが驚天動地のさまを呈したというわけだろうか。ひとまずそんなふうに理解したものの、もうひとつぴんとこないままに歳月をやり過ごしてきた。それがとうに自分の年齢が母を超えてしまったいまになって、ことによるとまったく異なる事情だったかもしれない、と思いおよんだのは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が著した『怪談』(1904年)のなかに、文庫本でほんの5ページほどの『駆け引き』という掌編を見出したからである。こんな筋書きだ。

 
ある武家の屋敷で科人(とがにん)を斬首することになった。両腕を縛められた男は庭先で、納得がいかない、殺されたあとで必ず仕返しをしてやる、と吠え立てた。主人のほうは、ならば、その証に首が胴体から離れたら目の前の飛び石を噛んでみせろ、とけしかけて、相手が応じるなり勢いよく白刃を振るった。すると、血しぶきをあげて斬り落とされた首は、飛び石のほうへ向かって転がり、ひと跳ねして前歯ではっしと石にかぶりついたのである。家来たちはそのありさまに恐懼したあまり、必ず祟りがやってくるものとひたすら怯えていたところ、主人はみなに告げた。心配は無用だ、あの場で男はさかんに仕返しを口にしていたから、自分はその証を見せるよう持ちかけて男の一念をよそへ逸らしたのだ、と。そして、こう続けた。

 
「かれはあのとき、飛び石に噛みつきたいとの一念で相果てた。その一念は、それ、あのとおりみごとに果たせたではないか。ほかに意趣遺恨などはなかったはずじゃ。余のことなどは、とうに忘れておろうよ。まず、そんな道理よ」(平井呈一訳)

 
このエピソードが有名な『耳なし芳一』や『ろくろ首』よりもずっと心に迫るのは、幽霊や妖怪の力を介さずに、あくまで人間同士のかけひきをとおして、魂が生死のはざまをジャンプするときの虚仮(こけ)の一念が生々しく伝わってくるからだろう。

 
そんなふうに腑に落ちたとたん、わたしは母についても考えた。不意の脳卒中の発作によって家族との意思疎通が断ち切られたのち、おそらく病院のベッドで耳から入ってくる呼びかけの声だけを聞き取りながら、約2週間にわたって虚仮の一念を溜めに溜め込んだ。それを最期の瞬間にいっぺんに発散して、母の魂はみずからの証としてわが家の玄関の表札を思い切り蹴飛ばしたのではないか。かくて、他に一切の余念なく安らかに天上へ昇っていった、と信じたいのである。


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