アナログ派の愉しみ/映画◎マルセル・カルネ監督『天井桟敷の人々』

最上階席の民衆が
見下ろしていたものは


マルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』(1945年)をフランス映画史上の金字塔と見なすことは同意するものの、登場人物たちの立ち居振る舞いにはとうてい共感できないというひとは多いだろう。わたし自身、第二次世界大戦中に、それも実質的にナチス・ドイツの占領下にあって、よくぞこんな絢爛豪華な大作をつくりあげたものと感心する一方で、第一部と第二部の計3時間を超える長丁場のラストシーンに辿りつくと、主人公に向かって「いいかげんにしろよ」と呟きたくなるのがつねだった。

 
ときは19世紀前半のパリ。第一部では、劇場や見世物小屋などが建ち並ぶ通称「犯罪通り」で、パントマイムを演じる青年バティスト(ジャン=ルイ・バーロー)は、ひょんなことから年増の女芸人ガランス(アルレッティ)と知りあってひと目惚れする。彼女のほうも憎からず受け止めるが、かねてインテリの悪党ピエール(マルセル・エラン)の愛人だったうえ、プレイボーイの俳優フレデリック(ピエール・ブラッスール)とも関係を持ち、さらには富豪のモントレー伯爵からの求婚を受け入れてしまう。

 
第二部では、その数年後、バティストは劇場主の娘で女優のナタリー(マリア・カザレス)と結婚してひとり息子を儲けていたが、長い海外旅行から戻ってきたガランスと再会するなり、ふたたび激しい恋情の焔を燃えあがらせる。その周囲では、夫のモントレー伯爵が妻の不倫相手をフレデリックと勘違いして決闘を申し込んだり、悪党ピエールはその伯爵の不遜な態度を憎むあまり刺し殺したり。だが、そうした喧騒に目もくれず、ナタリーの懸命な引き留めも振り切って、バティストは「犯罪通り」の喧騒に揉まれながらひたすらガランスのあとを追うのだった……。

 
確かに、当時のフランス映画界の名優たちによって繰り広げられる群像劇は間然するところのない見事さだが、そうだとしても、やはり主人公の生きざまはワガママに過ぎるのではないだろうか? 数年の時間を経ながら自己に変化のないことが、ときにまわりをどれだけ傷つけるかもわきまえずに。とまあ、かつては妙な義侠心に駆られ、健気なナタリーに肩入れしてバティストの不実をなじりたかったが、最近になって見方が百八十度転回した。わたしはいま、数年の時間を経て変化のないことへの非を鳴らしたけれど、実はこうした変化のなさこそ、カルネ監督が描きたかった主題なのではないか、と。

 
第二部のクライマックスで、久しぶりの再会を果たしたバティストとガランスは、月明かりの下、彼女が貧しかったころに暮らしていたアパートの部屋を訪れて語りあう。

 
 「ここは少しも変わっていないわ。机も同じところにある、私が寝たベッドも」
 「あなたも変わっていない、その優しい声も、その目の輝きも」
 「いまや小さな輝きよ」
 「ああ、あなたの鼓動が伝わってくる」
 「バティスト!」
 「やっとわかった、恋なんて簡単だ」

 
こうしてふたりは初めて身体を重ねるのだが、うわごとめいた対話が伝えてくるのは、思春期の少年少女のような無邪気さではない。れっきとした大人がついに変化しなかったことへの自負であり、この映画の制作陣にとってはナチス・ドイツの支配下で多くの映画人が海外へ脱出したなか、あえて国内にとどまり大作を完成させたプロフェッショナリズムの凱歌であったはずだ。主人公のバティストは近代パントマイムの創始者となった実在の芸人ジャン=ガスパール・ドビュローをモデルとしており、つまりフランスの芸術の象徴に他ならない。そう、芸術においてはワガママこそが美徳なのだ。

 
タイトルの「天井桟敷」とは劇場でいちばん安い最上階席のことを指し、いつの時代もしぶとい民衆が占めていた。かれらがそこから見下ろしたのは、たんに舞台の悲喜劇だけでなく、そのときどきの政治の荒波を乗り越えて芸術が永遠に生き抜いていくドラマでもあったことを、この抵抗の映画は主張しているのだと思う。
 

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