アナログ派の愉しみ/本◎増田隆一 著『うんち学入門』

悩ましくも重大な
おつきあいの行方は?


講談社のブルーバックスといったら、中学生のときに学校の図書館で『相対性理論の世界』を手に取ってページを繰るうち、アインシュタインのおかげで、アタマがよくなった気分に浸ったのを懐かしく思い出す。以来、この理科系新書シリーズのお世話になったタイトルを指折り数えてみると、ほんの両手で足りるほどだが、わたしにとってはいずれもスペシャルな読書体験だった。したがって、先般、書店のブルーバックスのコーナーで増田隆一著『うんち学入門』を見かけて久しぶりに買い求めたのは、よほど琴線に触れるテーマだったからに違いない。そう、半世紀前の相対性理論に匹敵するくらいの。

 
わたしだけじゃないはずだ、もし「うんち」がなかったらどれだけ人生を心安んじて過ごせたろう、と考えてしまうのは。小学校の遠足でバスの移動中にお腹が鳴りだし、我慢に我慢して、やっと目的地に着いたとたん公衆便所へ駆け込み、ことなきを得たと思ったら級友たちに嘲笑されたのをはじまりとして、毎日通勤列車に揉まれながらサラリーマン生活を送ってきた現在に至るまで、ときならぬ便意に泣かされた数々の記憶がある。そうした身にとって、『うんち学入門』と題した書を看過することはとうていできまい。

 
著者は北海道大学大学院理学研究院教授で、哺乳類を中心とする分子系統進化学および動物地理学が専門という。その広汎な知見にもとづいて、単細胞生物から多細胞生物へ、動物だけでなく植物までも含めて、ありとあらゆる「うんち」の諸相を教えてくれる。

 
そもそも、排便とは生きものとって恥じることのない当たり前の行為にもかかわらず、ヒトだけがとかく不浄の領域と見なすのは直立二足歩行をするようになったのが原因という。そのため、他の動物では排便後も肛門が清潔に保たれるのに対して、ヒトは肛門が下方向に開くので「うんち」が周囲に付着して、いちいち手を使って拭う必要が生じたのだ。それでも狩猟・遊牧生活のころは自然の生態系のもとにあったし、農耕・定住生活に入ってからは肥料として活用されたから存在理由もあったのだけれど、やがて社会が発展して都市への人口集中がはじまると、「うんち」はただの廃棄すべき汚物と化してしまい、かくして小学校のトイレで用を足した子どもがいじめの対象にもなりかねない始末に……。

 
まあ、そうと知ったところでなんら事態の改善にはつながらないまでも、「うんち」にまつわる苦労は自分だけじゃない、二足歩行に踏みだした人類全体が負っている宿命だと考えればいくばくか気も晴れるのではないか。のみならず、近年の研究はさらにその謎を解明しつつあるらしい。

 
「うんち」の成分の約80%は水分で、消化管の通過時間にともなう水分の比率が最終的な状態を決める。イギリス・ブリストル大学のヒートン博士が1997年に提唱した「ブリストル便形状スケール」では、消化管を約100時間かけて通過したタイプ1(コロコロした便)から、タイプ4(普通の便)をはさんで、約10時間のタイプ7(水状の便)まで七つに分類して、下痢や便秘の症状の診断基準として活用されているそうだ。

 
それ以上に注目するべきは、水分を除いたあとの成分だ。「うんち」の残り約20%を(1)食べものの未消化物、(2)腸管から剥がれ落ちた細胞組織、(3)腸内細菌とその死骸が三分の一ずつ占め、このうち(3)の腸内細菌について、健康なヒトの成人の大腸に寄生しているのは500~1000種類、600兆~1000兆個で、重さは1~1.5㎏に達し、そうした多様性をお花畑になぞらえて「腸内フローラ」と呼ぶことはすでに広く知られていよう。この「腸内フローラ」は一個人ごとに異なり、同じ個体のなかでも体調とともに変化していく一方で、親子間の伝播を調べると、家系によっても特徴が見られるところから、そこに伝わる体質などの特徴は遺伝性だけでなく、腸内細菌によってもたらされたものも含む可能性があるという。話はまだ終わらない、そのあとにこう続くのだ。

 
「最近、マウスの『うんち』の腸内細菌を使った、たいへん興味深い研究成果が発表されました。若いマウスの『うんち』の腸内細菌を高齢マウスの腸に移植したところ、高齢マウスの脳の認知機能や免疫機能が回復したというのです」

 
不浄どころじゃない、「うんち」は高齢化社会の救い主として降臨するのかも??
 

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