アナログ派の愉しみ/映画◎森 一生 監督『ある殺し屋』

かつて、
殺し屋という職業があったらしい


かつて、殺し屋という職業があったらしい。らしい、と言うのは、実際にどれだけの従事者が存在したのかは不明ながら、ひところ映画やテレビ・ドラマでは当たり前のように登場していたからだ。

 
森一生監督の『ある殺し屋』(1967年)もそのひとつだ。37歳で夭折した不世出の二枚目スター・市川雷蔵が扮する「塩沢」は、表の顔は小料理屋の主人で、裏では凄腕の殺し屋という役回り。得意とする必殺技は太い針を相手のうなじに突き立て延髄を貫くというもので、冷酷非情な手腕を買われて、ヤクザ同士の縄張り争いの渦中に巻き込まれていく筋書きについては紹介するまでもないだろう。わたしの見解ではこの映画のポイントはふたつ、まるで別なところにある。

 
ひとつは、「塩沢」がカネで動く殺し屋になった理由だ。部屋には仲間と戦闘機を前にした記念写真が飾られているように、太平洋戦争の末期、かれは海軍航空隊に所属して九死に一生を得て生き残った。いまや見渡せば腐りきった連中がはびこっている世間に対して、戦友たちの若い命がむざむざ大空に散らされたことへの復讐心からと設定されている。その結果、時代劇で市川が持ち役とした机竜之介や眠狂四郎が戦後によみがえったかのように妖しくもニヒルな殺し屋が出現したのだ。こんなふうに見得を切りながら。

 
「オレは自分しか信用しない。死刑台もオレひとりでたくさんだ」

 
もっとも、ドラマのなかでの口数はごく少ない。「塩沢」が寡黙を押し通す人物像に設定れている理由が、もうひとつのポイントだ。そのへんの事情について、手元のDVD付属の解説書に収められた森監督の発言を見てみよう。

 
「僕はときどき考えるんですがね、戦争前の映画はあまりセリフがなかったように思うんですよ。〔中略〕戦争中に増えたと思うんですよね、僕は。どうしてかといったら、セリフによって国威宣揚しようとしたところがあるんですな。だから、戦争中のシャシンはセリフがとっても多いですよ。なにか理屈をつけて、なんとかかんとか(笑)。戦争に四年ほど行ってましたでしょう。で、帰って日本のシャシンを見たらセリフが多いんで、どうしてかと考えてみると、やはり大政翼賛とか、必ず言わされてたということがありますよ。して、その余韻が、いまも残ってるような気がしますね。〔中略〕だから『ある殺し屋』では、セリフが少なくて、画ではっきりわかるようにと、そうしたんですけどね」

 
やや長めに引用したのは、大変重要な論点を含んでいるからだ。かつ、現在の日本においても映画はともかく、毎日のテレビでは騒々しくセリフが氾濫しているように見えるからだ。「なにか理屈をつけて、なんとかかんとか」――。もしわれわれが寡黙であることに我慢できなくなっているなら、一度立ち止まって足元を確かめてみる必要があるのではないか。

 
ともあれ、この映画の主人公をめぐって、内面には戦争の犠牲となった世代の葛藤がわだかまり、外面には当時の映画制作への批判が込められるというかたちで、戦争体験が二重に影を落とし、その深い影から立ち現れたのが「塩沢」なる殺し屋だった。そうした意味で、これは敗戦から20年あまりが経過し、戦争体験の記憶と経済大国の矛盾とが交錯するタイミングで現れるべくして現れた映画と言えるかもしれない。

 
しかし、とわたしは首をひねる。キネマ旬報社の『オールタイム・ベスト 映画遺産200 日本映画篇』(2009年)を参照すると、この1967年から「ベスト200」に5本の作品が選ばれており、そのうち『ある殺し屋』に加えて、野村孝監督『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(宍戸綻主演)、鈴木清順監督『殺しの烙印』(宍戸綻主演)、舛田利雄監督『紅の流れ星』(渡哲也主演)と、殺し屋を主人公としたものが計4本を占め、さらには『ある殺し屋』のヒットを受けて年末に続編『ある殺し屋の鍵』も封切られている。いくらなんでも、これほどまでの殺し屋稼業の繁盛ぶりには合点がいかないのだが……。
 

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