アナログ派の愉しみ/映画◎岡本喜八 監督『肉弾』
シナリオを読むたび
おのれの股間も疼いて
かつてまだ映画のビデオなど見当たらなかったころ、過去の名作に触れるのは至難の業で、それが日本映画となればいっそう絶望的な状況だった。忘れもしない、わたしは中学の時分にNHK第二ラジオの『中学生の勉強室』という番組にかじりついたことがある。なんと、国語の教材に黒澤明監督の『七人の侍』が取り上げられたからだ。市販のテキストにはシナリオの一部とスチール写真がのっていて、毎回30分、講師が解説したあとで当該個所の音声を流すという授業に胸躍らせて聞き入ったものだ。
そうやって渇を癒す方法を知ったわたしは、たまたま書店の棚に『脚本 日本映画の名作』(風濤社)という本を見つけるなり小遣いをはたいた。これは映画評論家・佐藤忠男の選定によって6作品のシナリオが収録されたもので、扉のページを開くと『肉弾』の文字が目に飛び込んできた。岡本喜八監督が撮った1968年の映画で、シナリオも岡本自身の手になるという。そして、「海と空とのド真ン中に、ドラム缶が一つタテに浮かンでいる。ポッカリ、ポッカリ、のどかに浮かンでいる」と、あたかも詩のようなト書きではじまる世界にたちまち取り込まれていった。
ときは太平洋戦争末期の昭和20年夏、ところは東海地方の小都市とだだっ広い大砂丘。学生出身の兵隊の〈あいつ〉は、陸軍の演習場でシゴかれる日々を送ってきたが、広島と長崎に新型爆弾が落とされるにおよび、いよいよ最後の本土決戦に向けて特攻要員を命じられ、その前に24時間の休暇をもらう。せめてもの今生の思い出に童貞を捨てようと女郎屋街へ繰り出したものの、年増女たちの化け物じみたありさまにうろたえているうち、向かいの店の窓越しにセーラー服の〈少女〉を見かけて因数分解の宿題を解くのを手伝う成り行きに。
彼女は空襲で死んだ両親の代わりに店を切り盛りしているとのこと。しばらくして、土砂降りの雨のなかで再会を果たしたふたりは防空壕に飛び込み、着衣を取り去り、つい先だって〈少女〉の父母が命を落としたその場所で結ばれる。
翌日、〈あいつ〉はひとりで太平洋に面した砂丘へ赴いてタコツボを掘り、そこから敵上陸部隊のM四戦車めがけて爆薬もろとも突っ込んでいく自主訓練をはじめる。日がなのどかに寄せては返す波を目の前にしていると、夜の帳のかなたをB29がふたたび市街地の空襲へと向かい、そこから逃れてきた者によって〈少女〉も猛火のなかで焼け死んだことを知る。絶望に駆られるひまもなく〈あいつ〉には新たな命令が下され、砂丘での敵の待ち伏せをやめて、こちらから先手に打って出るべく、むきだしの魚雷にドラム缶をくくりつけただけの特攻兵器に乗り込んで大海原に繰り出していく……。かくして、冒頭のト書きの場面に回帰するのだ。
なぜ、あんなにハマったのか? 本には他に『無法松の一生』『生きる』といった名作も並んでいたのを尻目に、ひとえにこの作品に没頭したのは、自分とさほど年齢の違わない主人公への共感からだろう。戦争の不条理に青春を散らして、ひたすら一途でぶざまなかれの姿に、平和ボケの時代を生きるわたしはとめどない羨望を覚えたのだ。どす黒い笑いと悲しみが充満するドラマにあって、そこだけ純白の花が咲いたような防空壕での〈あいつ〉と〈少女〉の交わりの場面は、シナリオでこんなふうに書かれている。ここを読むたび、思春期に差しかかっていたわたしはむらむらとおのれの股間も疼きだすのを自覚したものだ。
入口に少女がいて、歩きはじめた。
あいつ「……どこへ……」
雨がはげしく降っている。
振り返った少女が毛布をさっとぬいで裸になった。
少女「……きれい?」
あいつ「うン、とても……」〔中略〕
肉と肉とが、はげしく打つかる音。
はげしい、二人の息づかい。
あいつ「おれは死ねる。これで死ねる。君のために死ねる。……おれは、君を守るために死ねるぞィ……」
雷鳴、風、どしゃぶりの音。
もちろんのこと、今日では『肉弾』のビデオも商品化されて容易に鑑賞できるようになったのは知っていた。しかし、ずっと手を伸ばさずにいたのは、若かりし日にシナリオを繰り返し読んだせいで自分なりのイメージがすっかりできあがり、それが損なわれるのを恐れたからに他ならない。もしも、あの〈あいつ〉と〈少女〉の防空壕の場面に幻滅してしまったらどうしよう、と――。
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