アナログ派の愉しみ/映画◎木下恵介 監督&市川 崑 監督『破戒』

そのとき丑松は
なぜ謝罪したのか?


島崎藤村の『破戒』(1906年)の出だしはよく知られている。「蓮華寺では下宿を兼ねた」――。この文章をあえて深読みするなら、仏法がつかさどる世間に人間はただ仮住まいするだけ、といった含意を見出すのも無理ではないだろう。

 
そんな人間どもが勝手次第に身分や階級をこしらえ、世間に差別を持ち込む。明治の文明開化によって四民平等が標榜され、日清戦争に勝利して列強の仲間入りを窺う時分となっても、なお旧弊な因襲はわがもの顔にのさばっていた。長野県・小諸の被差別部落に生まれた瀬川丑松は、決して出自を明かしてはならぬ、との父親の戒めを固く守って平民になりすまし、学業を終えると飯山で小学校の教師をつとめていた。だが、蓮華寺に越してきたころから身辺が風雲急を告げ、その父親の頓死や部落民出身の思想家・猪子蓮太郎との出会いをきっかけに、真実の生き方に目覚めていく……。

 
この小説を原作として、木下恵介監督・久板栄二郎脚本の『破戒』(1948年)と、市川崑監督・和田夏十脚本の『破戒』(1962年)のふたつの映画が存在する(2022年に3度目の映画化がされた)。太平洋戦争の敗北を経て、GHQ(連合国軍最高司令官総司令本部)のイニシアティヴのもとで新たな日本国憲法が誕生する一方、日米安全保障条約の改定をめぐって国論が二分されるといった激動の時代に、みずからの足元を見つめ直そうとするかのように『破戒』が相次いで映画化されたのも偶然ではあるまい。

 
両者はもちろん、基本の登場人物や筋立てが共通するうえ、どちらもドキュメンタリー・タッチのモノクローム映像が、信州のたおやかな山並みを背景に名優たちの迫真の演技を際立たせ、それぞれに日本映画史上の傑作と呼ぶにふさわしい出来栄えだ。しかし、わたしの理解するところ、双方から受け止める印象にはかなり懸隔があり、社会的差別という主題への向きあい方はほとんど真逆とさえ言っていいのではないか。

 
その懸隔はこんなふうに要約できるだろう。あとから制作された市川作品は、それだけにはっきりと視座を設定できて社会的差別の主題が中央にどかんと居据わっている。言い換えれば、社会的差別とは個人の外側にある制度がもたらす問題で、その過酷な重みを背負った丑松(市川雷蔵)を取り巻いて、親友の土屋(長門裕之)は楽天的な態度で終始し、恋人の志保(藤村志保)はひたすら愛情のみをもって接し、また、猪子蓮太郎(三国連太郎)はハナから丑松を自分と同じ部落民出身者と見なして迫ってくる。つまり、登場人物たちはそれぞれ主題への立ち位置が明瞭で、あたかも時代劇のようにドラマが運んでいく。その結果、わかりやすい。

 
それに反して、木下作品のほうはわかりにくい。主題に対して手探りの状態にあるばかりか、そもそも丑松(池部良)が何を思い悩み、土屋(宇野重吉)がなぜ親切を尽くし、志保(桂木洋子)がどうして思いを寄せるのか、また、病身の猪子(滝沢修)はなんだって死を賭して丑松の前に現れたのか、登場人物たちの行動する根拠がさっぱりわからないのだ。しかし、実はわれわれだって、近所に住む隣人や職場で机を並べる同僚とおたがいの根拠を知らずにつきあっているわけで、そんなあやふやな人間関係がともすると差別をはびこらせるのではないか。そう、こちらはあくまで現代劇として、社会的差別を個人の外側ではなく内側に巣食う問題と見立てているのだ。

 
「許してください」。小学校教師をやめることを決意した丑松は、かれを窮地に陥れた職員室の同僚にも、教室のけなげな教え子たちにもこう告げる。市川作品では激しく、木下作品では静かに。こうして追われる者のほうに逆に謝罪を強いる圧力が、島国・日本における社会的差別の特徴なのかもしれない。

 
明治維新から150年あまりが過ぎた令和の現在、『破戒』が描いたようなあからさまな光景は見かけなくなった。しかし、それは果たして社会的差別が消えてなくなったことを意味するのかどうか。ネット上には相変わらず居丈高なヘイトスピーチのたぐいが氾濫しているのを眺めるにつけ、われわれの意識はあまり変化していないような気もする。「蓮華寺では下宿を兼ねた」――。その文章をもう一度じっくり噛みしめてみる必要がありはしないか。


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