アナログ派の愉しみ/音楽◎萩原英彦 作曲『光る砂漠』

万葉集からまっすぐつながる
孤独な魂の触れあい


どなたにも、そんな甘酸っぱい思い出があるのではないだろうか。中学生のころ、放課後にふだんは近づかない図書館へ足を向けて、夕映えを浴びた書棚にまるで自分を待ち受けていたかのような一冊の詩集を見出す……。わたしの場合は、矢沢宰(おさむ)の『光る砂漠』(1969年)がそれだった。大型の正方形の本には、薗部澄によるモノクロームの風景写真を添えて、たとえばこんな詩があった。

 
「再会」

誰もいない
校庭をめぐって
松の下にきたら
秋がひっそりと立っていた
 
私は黙って手をのばし
秋も黙って手をのばし
まばたきもせずに見つめ合った

 
大それた作品だとは思わない。しかし、自分でも戸惑うほど琴線に触れたのは、それが腎臓結核の業病のもとで14歳から詩を作りはじめ、わずか21歳で息を引き取った作者によるものという事情もあったろう。わたしは夭折の詩人に憧れを抱いて、涙をこぼしながら54編の詩をひとつひとつノートに書き写していったのだ。

 
そんな思春期の感傷はいつしか過ぎ去り、矢沢宰の名前も手書きのノートのことも忘却してしまって、さらにずいぶんな歳月を重ねたのちに、わたしはレコード店で再会したのだ。萩原英彦の作曲になる合唱曲『光る砂漠』(1972年)と。あの詩集に収録されたものとされなかったものを含めて、九つの詩に曲がつけられ、少人数の混声合唱団がピアノ伴奏でうたうそれらは、中間管理職の日々にあえいでいたわたしを柔らかく包み込み、ふたたび涙をこぼさせたのだった。

 
「早春」

雀の声の変わったような
青い空がかすむような
ああ土のにおいがかぎたい
その春にほおずりしたい
何を求めていいのやら
ああ土の上を転げまわりたい
きっとしまっているような
淡い眠りの中の夢のような
生きなければいけないけれど
何だか死んでもいいような
去年の春女(あのひと)がくれた山桜
まぶたの中に浮かぶような

 
想像してみる。おそらくは古代の四季に彩られて、万葉集の言の葉たちもこうやってうたわれたのだろう。そして天皇・貴族から庶民までがだれしも対等に、おたがいの孤独な魂を触れあわせたのに違いない。令和の新年号が決まったとき、にわかに万葉集ブームの巻き起こったことが記憶に新しいが、わたしにとっては万葉集に発祥した日本の詩歌の伝統はこの『光る砂漠』までまっすぐつながっているのだ。


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