アナログ派の愉しみ/本◎シートン著『ロボ、コランポーの王様』

シェイクスピア劇の
登場人物のように


『シートン動物記』という本が実在しないと知って拍子抜けしてしまうのは、わたしだけではあるまい。アーネスト・トンプソン・シートンがしたためた動物たちの物語を、戦前の日本で初めて翻訳出版するときに『ファーブル昆虫記』にならってタイトルがつけられたところ、爆発的な人気を博して定着し、やがて小学校の図書室などに常備されるようになったという。まあ、テレビがふんだんに野生動物のドキュメンタリーを流す現在にあっては、子どもだってもう思い入れがないかもしれないが、かつて『シートン動物記』を通じて未知の自然界のドラマに触れた者には、最新のカラー映像よりもこちらの文章のほうがずっとわくわくさせてくれた気がするのだ。一体、あれだけ想像力を掻き立てたものはなんだったろう?

 
19世紀なかばのイギリスに生まれたシートンは、父親が事業に失敗したことから家族ぐるみで新大陸へ移住して開拓生活を過ごすようになり、やがて画家の勉強のためにヨーロッパとのあいだを往復しながら博物館や動物園に通ってさまざまな知識を身につける。そして、34歳のときにアメリカのニューメキシコ州で一頭のオオカミと出会った体験を雑誌に発表したのを皮切りとして、以降、大陸各地の動物たちの生きざまを物語にまとめていく活動がはじまった。

 
そのデビュー作『ロボ、コランポーの王様』(1894年)は、かつてわたしも『オオカミ王ロボ』の題で読んだ覚えがあるけれど、もちろん原作は子ども向けの寓話などではなく、自分が手がけたオオカミ狩りの模様を非情なまでのタッチで報告したものだ。当時、ニューメキシコ州北部のコランポーの広大な放牧地を老練なオオカミのオスが支配していて、カウボーイたちのあいだでは「ロボ」と呼ばれて恐怖の的となっていた。ロボは灰色の体毛に覆われた巨躯を誇り、仲間の群れを率いて5年間に2000頭以上の牛を殺す一方で、驚くべき知力によって人間の仕掛ける罠や銃の攻撃を拒み、その首には人間の悪党よりも高額の賞金が賭けられていた。月並みな日常に嫌気が差していたシートンは、知り合いの牧場主からそのウワサを聞き込むと、オオカミの王に戦いを挑むために猟犬を連れてやってきたという次第。

 
かれもまた、計略のかぎりを尽くしてロボを罠に陥れようと試みたものの、相手はそれを上まわる悪魔のような知恵と勇気を発揮してことごとく斥け、相変わらず牛や羊を血祭りにあげていった。その経過をつぶさに追う文章は少しずつ熱を帯びるにつれ、憎むべき害獣でしかないはずのオオカミがいつしか崇高な輝きさえまとっていく印象を読む者に与えるのである。

 
しかし、そんなロボにもついに決定的な弱点が生じる。と言うのは、やがて群れに加わって全身純白の毛並みのメスを伴侶として、わがままな行動を許したせいで、カウボーイたちが「ブランカ」と名づけたその美しいオオカミはあっけなく罠にかかってしまう。シートンはただちにブランカを殺して囮に使うと、愛する伴侶を忘れられずに悲しみの咆哮を繰り返すロボはおびき寄せられて、ついに捕捉に成功するのだ。当初は凶暴に反抗したロボも態度を一変させる。その様子を描写した文章を引用しよう。藤原英司訳。

 
 私たちはロボの足をみんなしっかりしばった。だがロボは一度もうめかず、唸りもせず、また顔をふり向けようともしなかった。ロボをしばりあげると、私たちは力を合わせて、ロボの体をやっと私の馬の鞍にのせた。
 ロボはまるで眠っているように、静かに息をしていた。目はふたたび澄んだ輝きをとり戻していたが、私達のことを見ようとはしなかった。その目は今、かつて自分の王国だった雄大な波のうねりに似た高原へ、じっと注がれていた。悪名を馳せたロボの部下も、今は、その高原のどこかへ散ってしまったのだ。馬は小道を伝わって、しだいに峡谷の底へおりていく。そしてついに谷間の岩壁が視野をさえぎるまで、ロボはじっと高原の彼方に目を注いでいた。

 
自然界の支配者だけが身にまとう諦観と言ったらいいか。と同時に、そこにはシートンの祖国の先達、シェイクスピアの劇の登場人物のように生と死の厳粛な悲喜劇を演じる姿が二重写しになって見えてきはしないだろうか。おそらくは、かつてわたしの幼い想像力を羽ばたかせたくれたのもこうした物語のエネルギーのなせる業だったに違いない。この翌日、夜が明けてみると、すでにロボの老いたからだは冷たくなっていて、シートンは首から鎖を外し、カウボーイに手伝ってもらって死骸をブランカのとなりに横たえてやった。そのとき、カウボーイが大声で「これで、また、いっしょってわけだ」と口にしたことを伝えて報告は結ばれている。


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