アナログ派の愉しみ/映画◎シャールト・コプリー監督『第9地区』

南アフリカから発信された
ブラックな人類の未来図


アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968年)は人類の未来について、1960年代の英米が構想したヴィジョンだった。だからこそ、スクリーンに登場するのは類人猿とWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)ばかりで、月面のモノリスを探査するのも、ディスカバリー号で人工知能HALと死闘を演じるのも、最後に太陽系を覆いつくすかのような転生を遂げたスターチャイルドも、すべてが白人のイメージに占められたのだ。それに対して、シャールト・コプリー監督の『第9地区』(2009年)は、現代の南アフリカが構想したヴィジョンに他ならない。

 
ついにアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃され、肌の色の違いによる差別の解消が進みつつある首都ヨハネスブルグで、巨大なUFOが上空に現れる。のちに判明したところでは、はるかな惑星の生命体が宇宙を航行中に感染症で指導層が死滅し、あとに残された劣等種属だけが地球に辿り着いたのだった。その醜怪な外見から「エビ」と呼ばれるエイリアンたちを政府は受け入れ、フェンスで囲まれたかつての黒人スラムの第9地区をあてがって住まわせた。それから20年あまり、エイリアンの個体数が増加して不衛生な環境下で過密状態となり、新たな居住区へ移すことが計画される。

 
その事業責任者として軍需会社の社員ヴィカスが傭兵部隊を率いて乗り込むと、第9地区では暴力や盗みを生業とする粗暴なエイリアンたちばかりでなく、かれらを捕まえて生体実験にいそしむ科学者のグループやら、かれらの持ち込んだ兵器で武装した黒人のギャング団やら、人間どもの魑魅魍魎も跋扈していた。こうしたカオスに立ち向かって奮闘するうち、ヴィカスはやがてエイリアンのクリストファーと出会い、どうやらかれは過去の指導層の生き残りで、幼い息子とひそかに上空の宇宙船を復旧させようと準備しているらしいことに気づく……。

 
まあ、こまごまとストーリーを追うまでもあるまい。つまりはアフリカ南端の赤茶けた大地を舞台に、かつての支配者・被支配者の白人、黒人、カラード(混血)の肌の色の違う人々と、宇宙からやってきた「エビ」たちと、さらにはかれらが開発した戦闘用ロボットまでもが入り乱れて、画面いっぱいにグロテスクなユーモアとホラーを撒き散らし、生命の尊厳と差別をめぐるドラマが繰り広げられていくのだ。ただのスラップスティックとも、人類永遠のアポリアに迫った哲学劇とも見なせようが、いずれにせよ、かくも奇天烈な映画をつくれたのが南アフリカのそれも若い世代のスタッフだけだったことは確実だ。

 
同国のノーベル賞作家のナディア・ゴーディマは、人種の社会的な融和が進行していく過程で人々が直面する心情を主題に短篇集『ジャンプ』(1991年)を発表したが、そのなかのたとえば『どんな夢を見ていたんだい?』にこんな場面が出てくる。車のなかには、アパルトヘイトに反対する初老の白人女性と英国から訪れた白人男性、それに途中で拾い上げた現地人のカラードの青年の3人が乗り合わせている。白人のふたりが盛んに議論を戦わせているあいだ、カラードの青年は後部座席で眠りこけ、運転していた白人男性がふいに「よく眠れたかい?」と訊ねると、こう答えるのだ。

 
「ああ、マスター、さっきはほんとうにくたくたでした。心底疲れてました。休ませてくれたあんたに、神さまの祝福がありますように。腹がへってるもんで、すごく具体的な夢をみるんです。いろんな夢をみた、つぎつぎと。車の中にいるということなど、すっかりわすれてました!」(柳沢由実子訳)

 
そう、かれらが過ごしているのはまさしく睡眠中に脳内を去来する夢のような状況なのだろう。アパルトヘイトが悪弊なのは自明の理だ、しかし、差別する者とされる者とが分断されているかぎりは、その座標軸のもとでおたがいに憎悪を向けあいつつ安定していたと言えるかもしれない。ところが、差別の座標軸が失われたとき、すぐに別の新たな座標軸が取って代わるわけではなく、とりとめのない空虚と不安に苛まれるとしたら、そうした現実に人々はどうやって折り合いをつけたらいいのか。何も南アフリカにかぎった話ではない。世界の距離がどんどん近づいていく21世紀のいま、これは地球上に暮らす全人類が直面している課題のはずだ。

 
いつしか人間社会から追われる立場となったヴィカスは第9地区に身をひそめ、クリストファーと組んで傭兵部隊や黒人ギャング団を撃退しながら、満身創痍でエイリアン父子の地球脱出に尽力する。だが、双方のあいだに相互理解は生まれず、どこまでも不毛なディスコミュニケーションが横たわっているのだ。そんなヴィカスはただ、かれらとの交わりを呪いながら、みずからもまた徐々に「エビ」と化していく運命を受け入れることしかできない……。





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