アナログ派の愉しみ/本◎古今亭志ん生 著『なめくじ艦隊』

貧困と貧乏は
似て非なるもの


「貧困」と「貧乏」は似て非なるものではないか。日本社会の格差拡大にともなう貧困の問題は新型コロナ禍を経ていっそう深刻さを増し、セーフティネットの整備が急がれる一方で、事態の根本的な打開の方策を見出せないでいるのが実情だろう。この際、わたしは問題を「貧困」のひと言で片づけてしまわずに、少々角度を変えて、昔ながらの「貧乏」の視点から眺めると新たなヒントが見つかるように思うのだ。

そこで、貧乏に学ぶならこのひと、「昭和の大名人」として知られる噺家の五代目古今亭志ん生だろう。自伝『なめくじ艦隊』(1956年)には、積年の貧乏生活をめぐるエピソードがてんこ盛りで、いまとなってはこのうえなく貴重な記録だ。

志ん生は30歳を越してようやく真打に昇進し、知人の世話で結婚もしたものの、相変わらず酒とバクチの明け暮れで懐はすっからかん。そこに関東大震災がやってきて仕事もあがったり、カネがなくて住まいを転々とするうち、「家賃はタダ」と言われて本所・業平の長屋へ一家4人で越してきたのは、昭和初年のことだった。その家がものすごい。もともと池だったところを埋め立てたので、夜分に電灯をつけると蚊が群がり集まって部屋に蚊柱が立つといった具合。そのあとに続く記述を引用しよう。

 まア蚊の方は、蚊帳さえあれば防ぐことが出来ますけれども、ここはナメクジの巣みたいなところで、いるのいないのってスサマジい。それも小さいかわいらしいやつならまだしも、十センチ以上もある茶色がかった大ナメクジが、あっちからもこっちからも押しよせてくる。よくナメクジに塩をかけるとまいっちまうというけれども、そこのナメクジは、塩をかけたくらいでまいるような生やさしい奴ではないんですよ。
 女房が蚊帳の中で、腰巻ひとつで赤ン坊をおぶって内職をしていたんですが、どうも足のうらの方が痛がゆいんで、ハッとみると、大きなナメクジが吸いついていやがる。世のなか広しといえども、ナメクジに吸いつかれた経験をもつ人は少ないでしょう。(中略)夜なんぞピシッピシッと鳴くんですよ。ナメクジの啼き声なんぞ聞いた人もないでしょうナ、気味のわるいもんですよ。
 なにぶんにも、土地が低くてジメジメしているんで、ナメクジにはもってこいの世界なんですよ。その上に足の長いコオロギがウヨウヨいやがるし、ノミがいる。だから、みんな居つかなかったんですナ。よくもまああんなところにいて、からだがもったものだと思いますよ。

わたしが幼少時を過ごした東京都小平市の小さな庭のついた都営住宅でも、ナメクジやコオロギの他に、カタツムリ、ヤモリ、ガマガエルから、けっこうな長さのヘビまでが出没したことを思い出す。貧乏な世帯はたとえいかに荒んでいてもレッキとした生態系をなし、そこには自然の呼吸があるのだ。だからこそ、ナメクジやコオロギばかりでなく、やがて近在の人々も寄り集まって心の通った交流が生じていく。こんなふうに――。

 「醤油がすこし足りないから貸してよ」
 「サア、つかっておくれ」
 「お茶がなくなっちまったんだけれど……」
 「ああ、うちに少しはあるから持っていらっしゃい」(中略)
 だれかが、からだの工合でも悪くなったというと、まわりのお神さんたちが、みんなドヤドヤやって来て、医者へとんで行く、湯タンポをこしらえる、自分のうちにある薬をもってきて服ませる。苦労をつんだ人が多いから、みんな人情があたたかくて、同情心がふかい。おたがいに理解しあい、助けあっていく。だから、ああいうところで暮らしたときのことが、今だってなつかしく忘れることができない。いばりちらしたち、きどったりする人がいない、ほんとうの人間の心と心がふれあっているから、たとえ生活は苦しくても、たがいになぐさめあって、人間味がゆたかだから居心地がよい。

まさしく落語の人情噺に出てくる光景だろう。もちろん、時代も状況も隔たった現代にそのまま当て嵌められはしないにせよ、問題を「貧困」とパラフレーズしたとたんに、こうした「貧乏」の持ち味がすっぽり抜け落ちてしまうように感じる。たんに救済のための社会的なセーフティネットを用意することがすべてではなく、自然の呼吸と人間同士の交流により、いわば「貧困」を「貧乏」へと転換する発想があってもいいのではないか。志ん生は、みずからが歩んできた道のりを振り返ってこう述べている。

 人間てえものは、ほんとうの貧乏を味わったものでなけりゃ、ほんとうの喜びも、おもしろさも、人のなさけもわかるもんじゃねえと思うんですよ。

 至言である。

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