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加賀日記② 金沢

金沢という街には、不思議な魔力がある。


私は昨年その街を訪れてから惚れ込み、この1年で5,6回は訪れている。

金沢の街が纏う気品は、間違いなくその魅力だ。加賀前田氏が120万石の莫大な財力を惜しむことなくつぎ込み醸成された伝統文化や伝統工芸。幸いにも江戸時代から姿を変えず残る武家屋敷群。北陸のある種独特で高度な仏教文化。多くの文学者を輩出してきた「四高」の学都。(私が好きな井上靖が旧制高校時代を四高で過ごした)

そして絶対に外せないのは金沢の食文化。伝統的な京料理の影響を受けながらも、荒い日本海から来る新鮮な海の恵み、手取川などの清流と豊穣の土地に育まれる加賀野菜などの豊富な地場産品。我々は金沢でそれらの食を体験することができる。
先ほども触れた加賀野菜は、全国的な知名度こそ低いものの、極めて質の高い地場野菜の一つ。私が好きな料理は鴨肉と加賀れんこんなどの加賀野菜を煮込んだ「治部煮」だ。
そしてなんといっても魚介。のどぐろ、加能蟹、ぶりなど、豊富な海産物が私たちの舌を楽しませてくれる。
蟹はもちろんだが、あえて私が推したいのはのどぐろ。新鮮なものは出回らないため刺身は相当価値があるが、脂の乗ったこの魚を最も美味しく頂けるのはやはりシンプルな焼きだろう。焼くことで適度に脂が落とされ、本来の上品な白身と上質な脂が組み合わさり、この世のものとも思えぬ絶品になるのだ。今回の旅行で食べたのどぐろの焼きは、本当に素晴らしい体験だった。
金沢は高級なお店が多いから、お金のある方はホテルのコンシェルジュなどで尋ねて行かれると良いと思うが、実は金沢は回転寿司のレベルが異常に高い。(その分少し値は張る)
それに居酒屋のレベルも高いので、片町で居酒屋巡りと洒落込むのも良いかもしれない。

さて、あまりに食について熱く語ったが、もちろん観光だって色々ある。ここでは金沢と周辺市町村で巡った観光名所に触れよう。

金沢21世紀美術館は、世界中から若者が集う日本の現代美術の一大拠点。今回はアメリカのアーティストだったが、前回行った時のイヴ・クラインの展示がとても良かった。イヴ・クライン・ブルーとも呼ばれる青一色の作品群と、彼の芸術に対する姿勢に感銘を受けた。
彼が短命の芸術家であったのが悔やまれるが、彼の表現しようとした脱物質化への試みと、それをわかりやすく素人にも分かるように説明してくれた21世紀美術館の展示に大変感動したのを覚えている。普段から触れる人だけでなく、老若男女すべての人が現代美術に触れる機会を設けることは、大変良いことだ。多くの人は「わからない」と口々に言うが、それでも良い。人々の心に何かを楔として打ち込むことができたなら、それは既に芸術の勝利なのだから。

そして兼六園は日本三大庭園の一つ。加賀前田氏の庭園として作られ、今も大切に保存されている。驚くべきはその規模。とてつもない広さである。隣接する金沢城と比較しても遜色ない広さに、贅沢にも様々な趣向を凝らした庭園が広がる。また松を中心に多くの植物や池を配しており、写真スポットが無限にある。さらに驚きなのは入場料。320円である。安過ぎるのではないかと心配になるが、隅々まで手入れされた庭園に格安で入れるのはここだけだと思う。
さらに兼六園に関して言えば、兼六園は城の防御施設としての役割を持っていたのではないかと推測している。城と市街地の間に挟まるように配された兼六園は、さながら金沢城の砦のようである。(これは私見)

金沢では武家屋敷も一つの大きな目玉だ。東茶屋街は海外からも人気の観光地。大きな街で未だに江戸時代の風情をそのまま残す地域は全国でもほとんど無い。その美しい佇まいは、瀟洒でありながら侘び寂びの精神のような、奥深くに無骨さを秘めた美しさがあり、武家の街金沢の精神を体現している。夜に武家屋敷街を歩くのもまた乙である。民家でもあるため大声はもちらんNGだが、静かで落ち着いた路地には独特の魔力がある。

また白山神社(白山市)は、石川県の名峰白山を御神体とする山岳信仰の総本社でもある。北陸を中心に多くの信仰を集める神社だが、御神体が山とあって、本殿にはそこまでの派手さはない。しかし宝物館に残された文書からは、この社が中世においては、比叡山を別当とする大きな武力財力権力を持つ「権門」の一角を担う組織だったことが分かる。比叡山を中心に、中世は相当強力な勢力であったらしい。石川県史では外せない戦国時代の加賀一向一揆とは武力衝突を起こし敗北している。
ここで一緒に触れてしまうが、北陸は仏教が強い。それは比叡山を追われた蓮如上人が熱心に布教したことももちろんあるだろうが、それ以上に地域や血族の連帯意識を高める装置として大きな役割を担ってきたからではないかと感じる。加賀を含む北陸の人々が仏教を厚く信仰していることが、定期的に行なわれる報恩講などにも表れている。
歴史的に見ても、北陸が中世において多く荘園となっていたことも影響しているかもしれない。(私見)
公家や武家だけでなく、仏教などの宗教勢力が多く荘園を支配していたことで、自ずと仏教が広まりやすい下地があったのではないかと思っている。(繰り返すが私見)

ここまで、今回巡った金沢と周辺の土地について色々と書きました。能登にも行ったので、それはまた次回に。




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