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基本のキ

アメリカにいた時、
プライベートの日本語のデイケアのヘルパーとして10年近く働いた。

対象は5歳以下のお子様達。夏休み中は小学生も。

働き始めた2010年頃、主に駐在組のお子様、永住組のお子様、そして国際結婚組のお子様が「日本語環境での保育」を希望されて来園されていた。

一番大切なのは兎にも角にもSafety(安全)
施設である園長先生のお宅には定期的にインスペクター(保健所?)の安全チェックが入り、私たちヘルパーのおばちゃんであっても乳幼児のCPRとAED、外科的ケガの対処法やアレルギーの処置に至るまで赤十字で研修を毎年受けてライセンスを更新しなければならなかった。当然英語で。

災害時の避難訓練はもちろん、不審者が侵入して来た時の対処法から
お迎えの時に引き渡すルール(例え親であっても引き渡してはいけないケースもある)など細かく決まっていた。

これらSafetyが基本(ベース)にあって、はじめて保育となる。

『しつけ』
この言葉、私はあまり好きではない。
大人が都合の良いように乱用するから。

でも、いつだったか、ある保育科の教授おじいさんが
しつけとは「Doする事を付ける事」と説明された。
なるほどな、と思った。

子どもだから一回言っただけでは当然出来ない。
何度も、何度も、根気強く、しかも本人主体でDo出来るよう繰り返す。
保育者は安全を見守り、本人の「やりたい」を尊重し、出来ない事はさらりとスルー。できた事を存分に褒める。

ゴールはキンダー(5歳)
基本は三つ
Thank you , Please, そして Noだ。

Thank you
誰かに何かをやってもらったら必ず『ありがとう』
相手が大人でも子どもでも、大きな事でも小さな事でも、有形無形に関わらず、自分の為に誰かが何かをしてくれたら必ず、すぐに「ありがとう」。
当然、まずは大人がお手本。子ども達にありがとうのシャワーを浴びせる。
小さなお子様にもしっかり自尊心はあって、「ありがとう」シャワーを浴びるとそのハートは喜びでブルブル震える。逆に頭ごなしで理不尽な「しつけ」をされるとハートはザックリ傷つき、なかなか大人になっても修復できない。

Please
子どもは一人では生きていけない。大人でもそう。人だから。
周りの人に助けてもらう、協力してもらう、お願いする。求める。これは
とても大切なこと。『〜して下さい』と相手に伝える事は自分の弱さ、不便さを曝け出す事ではなく、私にはあなたが必要なんです、と相手をリスペクトする魔法の言葉。

No
日本はハイ!と言う子が素直で良い子
アメリカはキッパリNoと言う子がしっかり自己確立が出来てる良い子

使っているおもちゃを突然取られそうになった時
「やめて!取らないで。今ボクこれ使ってるの。あとで。」
「ノー!マイン!!」
ジャイアンがいるとあっちでもこっちでも「やめて〜!!!」と
悲痛な叫びが上がる。あ〜あ、とうとうジャイアンタイムアウト。

大人のお膝を独り占めの読み聞かせの時、お膝に割り込みされそうになって
「今、私が読んでもらってるの。こっち来ないで!」
シェアできるのか、出来ないのか、落とし所をネゴ。
でも、やっぱりヤダ。「ノー、あとで」。うん、言えたね。

トイレで下半身を触られそうになった時
「やめて!そこよその人が触っちゃいけないシークレットゾーンなの。
触らないで!」セクハラ・DV教育は小さい頃から始まっている。

お着替え手伝おうか?とヘルプを申し出た時
「ノー、プライバシーだから!」と洗面所のドアをピシャッ!
でも、夏のお外水遊びはパンツ一丁でも平気なんだね。
楽しさと嬉しさで、キラキラしてる子ども達。

お弁当のチャーハンをドン散らかして食べている時ヘルプが必要か聞くと
「ノー、自分で!」
そのうち上手にご飯を一粒残らず寄せられるようになるから凄い。

2013年頃からだったかな。

急激に日本語の教育目的としたお教室が周辺地域に増え
働くお母さんも増え、お預かりするお子様の低年齢化が一気に進んだ。
お教室に空きが出たから、とせっかく慣れたお子様がすぐ居なくなった。

保育が教育にすり替わっていったように感じた。
ゆったり流れていた子ども達とのやわらかい時間が
ささくれ立っていく感触があった。

すっかりティーンズになった女の子のクリスマスカード写真を見ながら
そんな事をつらつら思い返す年末。

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