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20 祭りは神様のためにある 前編(ポンガルの南インド トリヴァンドラム)

 南インドとひとことで言ってもそれはそれは広いのだけど、1月半ば頃からしばらく、あちらこちらでヒンドゥー教の大切な祭りが催される。
 ちょうどその時期に居合わせたことがある。

 ケララ州のコヴァーラム・ビーチに長居したので、そろそろ北上するべく、タミルナドゥ州のマドゥライまでバスを予約した。朝10時発、所要時間は約7時間とのこと。
 バスは州都トリヴァンドラムから出発する。ビーチからトリヴァンドラムのバススタンドまでは路線バスで小一時間だが、発車時刻が不明瞭なので、当日は奮発してタクシーに乗った。
 乗ったのだが。
 しばらく走ってビーチエリアを過ぎたところで降ろされた。トリヴァンドラムで祭りがあるから今日はここから車が入れない。オートリキシャで行けと言う。
 なんで乗る時に言うてくれへんのや。ああ。なんと。なんという日に移動を予約してしまったんだ。長距離バスは大丈夫なのか?マドゥライへは行けるのか?

 しかし、とりあえずはトリヴァンドラムへ辿り着かねば。流しのオートリキシャを探す。が、そんな日だからリキシャもフル稼働で普段みたいに走っていない。
 やっと来た1台に「トリヴァンドラムのバススタンド」と告げると、
「10ドル。ノー ルピー。ドル
 などとふざけたことを言う。
 次に来たリキシャに「50ルピーでどう」と交渉するとあっさり乗せてくれた。くーっ 20ルピーでもよかったかも。とか、こっちもせこいことを考えつつ、
いくつか町を抜け、トリヴァンドラムの中心地へ向かう。

 人人人を縫ってなんとかバススタンドに着き、リキシャを降りた。
 が、しかし。
 こここここれは。バス乗り場は全面的に祭り会場の様相である。なんだ、あれ、れんがをコの字に置いた、かまど、のようなものが無数に置かれてある。そして、椰子の小枝と炊飯鍋(壺状の、アルミの)と大荷物を提げた女性たちが、ぞろぞろ集まってくる。
 近くのヒンドゥー寺院から、お祈りか号令かわからない大音声がひっきりなしに流れてくる。
 バスは? バスは?

 チケットオフィスで尋ねると、乗り場の外、大通りに停めてあって、ちゃんと出発するから大丈夫、ここで待ってなさいとパイプ椅子を出してくれた。仕方ない。待つしかない。
 諦めと安堵で脱力している間にも人は増え、地面のミニかまどに飯炊き壺がセットされていく。そうして、わたしのバスが出るはずの10時、寺院からひときわ大きな合図が響くと一斉に、かまどに火がつけられた。

 木が燃えると煙が出る。
 すごく出る。ほどなく辺り一面まっしろになった。チケットオフィスにはエアコンがなく、開けっぱなしの扉から容赦なく煙が入ってくる。天井のファンが回ると余計にむせるから、と扇風機が止められた。暑い。煙たい。目が痛い。喉がらがら。鼻つんつん。助けて。
 職員もバスを待つ客たちも目は真っ赤、鼻水ずるずる、始終誰かしらがゲホゲホ咳き込んでいる。
 祭り、おそるべし。

 ご飯が炊き上がったら出来立て熱々を寺院へお供えに行くのだろう。たぶん。
 でも、誰かに尋ねる気力もなく、濡らしたタオルで鼻と口を覆い、目を瞑って耐えた。ここで燻されて死ぬかも。岸和田のだんじりで勢い余って死者が出たりするように、祭りで死ぬってあるしな・・・と、ぼんやり考えていると、
「マドゥライ! マドゥライ!」
 運転手か車掌かが呼びに来た。ああ・・・乗れるんや・・・ここを離れられるんや・・・。
 オフィスの係員が「な、ちゃんと出るてゆーたやろ?いってらっしゃーい」って感じでにこにこ見送ってくれた。真っ赤な涙目で。

 運転手と車掌二人組が飛ばす長距離バスは離陸しそうな勢いで、途中1回トイレ休憩をはさみ、およそ8時間でマドゥライに到着した。

 それにしても、祭り。日本ではのほほんと、露店が出て楽しいな、ってヒトの娯楽になっているけれど、いや、祭りとは本来、神様のためのものだったと痛感した。
 涙を流し、鼻水を垂らし、汗だくでお供えを拵える。車は通れず、バスは遅れて隅っこからこそっと発車し、ヒトは燻されて死にかける。それでも祭りは。

到着したマドゥライでも着々と祭りの準備が・・・。

 

 


 

 

 


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