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2 ほんとうに困ったら、カミサマが現れる(西寧→ゴルムド)

 当時チベットのラサに向かうにはゴルムドからバスに乗るのが一般的だった、というかそれしかなかった。鉄道はまだ敷かれていなかったから。それで、まずゴルムドを目指すことになる。ゴルムドへは西寧から、列車とバスと両方出ていた。さて、どちらを選ぶか。列車は快適そうだけど本数が限られるし、切符を買うのに並んだり窓口で無視されたりが面倒だ。その点バスは駅前から何本か出ているようだし、夕方出発したら翌朝ゴルムドに着くらしい。

 急ぐと厄介なことになる。という法則を、これまでの旅で知っているのに、急いでしまった。西寧から早く出たかったのである。旅していると、人と同じように土地とも相性があることをしみじみ思う。そしてそれは、バスなり列車なりでそこに降り立ってみないとわからない。西寧は合わない街だった。
 
 殺伐としたバススタンドに、どれがどこ行きかわからないバスが屋根に荷物を積んで何台も好き勝手な方を向いてめちゃくちゃに停まっている。運転手だか何だかわからない男たちが大声で行き先を連呼する中、乗客は自分のバスを探して巨大な荷物を携え歩き回っている。わたしの乗るゴルムド行きは、ひときわガラの悪そうなおっさんが仕切っているボロバスだった。バックパックを抱えて乗ろうとすると、荷物は屋根だと言う。貴重品バッグだけ持ってリュックを渡すと、荷物代の30元だか50元だかを払えと凄んでくるので、他の客は払ってないとテキトーな中国語で言い返したら、あっさり諦めた。けど、ああ・・・なんか嫌な予感。

 まあしかし、ひと晩乗っていれば、明日の朝にはゴルムドだから。ちょっと我慢して寝ていればいいんだから。むりやり納得して、リクライニング・シート(半壊)を倒す。運転手二人(夜行バスは大体二人体制だった)は、定刻の18時を過ぎても客を呼び込んでいる。満席になるまで発車しないつもりか。席が8割方埋まった19時過ぎ、バスはそろりそろりと動き出した。屋根の荷物が重すぎるのかよろよろしている。いやまあしかし、明日の朝にはゴルムドに・・・・

 着かなかった。
 寒くて目が覚めたら、バスは停まっていた。外はひどい雨。薄暗い。腕時計を見ると、5時半ぐらい。え、なに?ここどこ?もう一度窓の外をよく見ると、一面、水である。洪水かと思って呆然としたけれど、そういえばバスは青海湖沿いの道路を通るはず。一面の水は湖だった。それにしても、動かないバス。故障だろうか。バスの故障ならどこの国でもよくあること。ドライバーが修理するのをしばらく(もしくは数時間)気長に待っていれば再び走り出す。が、しかし、この二人の運転手は席に座ったままだ。

 そのうち、他の乗客たちも目を覚まして、ざわざわ、運転手に問いかけ始めた。のらくら答える二人。だんだん激昂していくお客たち。おぼろげに聞き取れたのは、燃料切れということ。で、停まってる。給油できる町までは戻るのも進むのも30キロぐらいあるらしい。なんやそれ。どうするつもりや。
 と、対向車線から乗用車が1台やってきた。バスの運転手がそれを止め、乗用車に交渉して、ガソリンをちょびっと分けてもらった。・・・って、そうやって滅多に通らない車からちょっとずつ燃料せしめて走らせるつもりか。最初からそういう魂胆でガソリン入れずに西寧を出たのか。信じられないけどあり得る。絶望。という言葉が浮かぶ。いつここを出発できるのか。雨はどんどん強くなる。ああバックパック、屋根・・・どうか誰かの荷物の下で濡れてませんように・・・。

 怒る気力もなくぼんやり座っていたら、前方からまた1台やってきた。ミニバス、地方でよく走っている、近距離を結ぶマイクロバスだ。そしてそのミニバスには誰も乗っていなかった。中国のバスが空っぽで走っているなんて奇跡だ。どんな乗り物にも人と荷物がぎゅうぎゅうに詰め込まれているのがチャイナスタイルなのに。ボロバスの乗客たちが降りてミニバスのドライバーに事情を話したと見える。
ミニバスは、少し西寧方面に戻るけれど、いちばん近い鉄道駅まで乗せて行ってくれるとのことだった。なんと。なんという幸運。

 乗客たちは屋根の荷物を下ろしてくれて、さあ乗れ乗れと最初にミニバスに入れてくれた。
 びしょ濡れのリュックを抱えて乗り込むと、誰もいないと思っていた車内のいちばん後ろに、チベット装束のおばあさんと、足下に羊が1匹乗っていた。おばあさんが、ここにお座り、という感じで自分の横をぽんぽんと叩く。お礼を言ったかどうだか覚えていないけれど腰掛けて、そうしたらあっという間に車内はぎゅうぎゅう満員になった。そして、ミニバスは、ボロバスとその運転手二人を大雨の湖畔に残して西寧方面へ勢いよく走り出した。あまりにも安堵して、わたしはことんと眠ってしまった。

 駅に着いたよ、と起こされた時、車内には数人しか残っていなかった。みんなはどこで降りたのだろう。おばあさんと羊もいなくなっていた。
 10時過ぎ。雨は止んで薄陽もさしている。
 駅と言っても、草原にセメントが石畳風に敷いてあるだけだった。柱が一本立っていて「剛察」と札が下がっている。北京で買ってあった時刻表をめくり、西寧付近の駅を調べると、確かにあった。普通列車しか停まらないけれど、乗ればゴルムドに行ける。午後2時頃に到着するようだ。あああああ よかった。ここで野宿しなくて済む。午後には列車に乗れる。

 ゴルムド行き普通列車は定刻通りにやってきた。がらがらに空いていたので広々と席を取り、濡れた荷物を並べて乾かすことができた。そして窓から青海湖がきらきらと、いつまでも見えていた。
 ミニバス、ありがとう。おばあさんと羊、ありがとう。おばあさんは青海湖のカミサマだったのではないか。

 旅しているといろんなことが起こるけど、
 あああああこれは、これは、もうあかん・・・
という極限トラブルの時に、ふっと助けてくれる誰かが現れる。特段、信仰はないのだけれど、
 カミサマは居る、あちこちに。
と、今でも思っている。


 


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