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チーズはどこへ消えた?__読書感想文

学校の課題で読書感想文を書きました。
課題なので文字制限等もあり、
執筆中に削った部分もかなり多いのですがせっかくなので付け足しはなしで投稿します。

この本を既に読まれた方、これから読む方etc..…
是非コメント等で、この本や私の感想文への考えや思いを聞かせていただけたら嬉しいです。


チーズはどこへ消えた?

スペンサー・ジョンソン


私は本が好きだ。
なので、課題として読書感想文がだされたときに、自分の好きな本が新たに見つかるといいなという気持ちになった。
課題図書を見てみると、二冊程家にある本もあった。「夜と霧」と今回選んだ「チーズはどこへ消えた?」だ。
前者は一度読んだことがあったのだが、後者はなかったため、せっかくなら読まずじまいとなっていた後者をこの機に読んでみようと思った。


 「チーズはどこへ消えた?」には、ネズミのスニッフとスカリー、小人のヘムとホーが出てくる。
この二匹と二人は、日々「チーズ」を探しながら迷路の中で暮らしている。
その二組がいつものようにチーズを探していると、とても好みのチーズが置いてある場所を見つけ、そこに通うようになった。

ところが、そのチーズは消えてしまった。
スニッフとスカリーはいずれチーズがなくなるということを予測していたため、すぐに別のチーズを求めてまた迷路へ。
ヘムとホーはというと、チーズが消えてしまったことにとても動揺し、原因究明をすると同時にまたチーズがもどってくるのではないかとその場にとどまり続けることを選んだ。

その後、ホーはこのままとどまっていても変化は訪れないと悟り自らが変わることにし、不安と闘いながらも再び迷路の中へと足を踏み入れる。
それからホーはチーズをなんとか見つける生活をつづけ、ヘムのいる場所までまた戻り、新たなチーズを差し出すが、受け取ってはもらえなかった。好みだったチーズに固執していたからだ。
ホーは再びチーズ探しのため、迷路へと戻った。

そして、ホーは大量に積まれた新たなチーズたちと出会うとともに、スニッフとスカリーとも再会する。チーズに歓喜しつつも、周りの観察は怠らない。そんなホーの元に、誰かが近づいてくる音が聞こえた……という物語だ。


 この本で最も気になったところは、ディスカッションの場面で、ヘムのようにはなりたくないと思い、そしてヘムのようだとは思われたくないから変わる。ということを皆が納得したように発言していたというところだ。
それらは、以下の台詞たちから読み取れる。

現状維持を貫いていた社員たちが、このチーズの話を聞いてどうなったかを尋ねられると
「みんな変わったよ。ヘムのようだと思われたくなかったんだ!」
とその話を会社に広めたマイケルはあっさりと答えた。また、
「うちの家族もヘムのようだと思われたくはないはずだ。もしかしたら変わるかもしれない。」
と言った人は、更に
「どうしてこの前のクラス会のときにこの話をしてくれなかったんだ?本当に役立つ話だと思うよ」
と話した。それを聞いて、
「そのとおりだ。むろん、もっといいのは、組織の全員がこの物語を読むことだ、大企業でも、中小企業でも、家庭でも。みんなが変われば組織自体も変わらざるをえないからね」
と、マイケルが答えた。

これらのやりとりを読んで、私はなんだかとても胸にわだかまりを感じた。
マイケルが語ったエピソードでは、
チーズの話を聞いた後、元から変化を望んでいた人や今変わることへの重要性を考えた人がスニッフとスカリー、ホー側で安全や安定が保証できない変化を拒んだ人たちがヘム側だ。
ちなみにヘム側となっていた社員は、後に皆の足を引っ張ってしまうことから解雇されたそうだ。
それに関しては、いわば組織改革に伴う人員整理みたいなものだと考える。
しかし、マイケルはこの話をする前にこうとも言っていた。

「誰かが変化は好ましくない、と言うと、ほかの人たちもそう言うんだ」
と言うカーロスに対しマイケルが、
「そう、本当はそう思っていないかもしれない」
と答え、
「人に合わせて同意する。それがどこの会社でも変化を阻む、同僚のプレッシャーなんだ」
と続けている。

本当はそう思っていなくとも、人に合わせて同意しなければならない空気がプレッシャーとなる、という意味だと解釈した。
これら全てのマイケルの発言は、とても矛盾しているように感じる。
ヘムのようだと思われたくなかったから変化に同意した人たちに対しては、その「同僚のプレッシャー」と似たものをかけていることにならないか。

マイケルが、ヘムのようだと思われたくなかったんだ、と発言をしたあとにみんなが笑い声をあげた、と描写されていることから
これはマイケルなりの冗談なのかもしれない。
だがだとしたら、それはあまりにも笑えない冗談であり、ブラックユーモアが過ぎるのではないかと思う。この一連の出来事で解雇となった社員もいたというのに。
家庭やクラス会などでこのチーズの話をし、
ヘム側のままだった人が悪く言われてしまったら?
その他の人にも多大なプレッシャーがかけられたら?
と、ここまで想像して恐ろしくなってしまった。

企業ではなく家庭などではまた話も変わってくる。
変化は時にとても重要なものであり、チーズの話で語られていることにも賛同したいが、最後のディスカッションから感じとれた、この同調圧力をよしとしているような空間は私の価値観とあまり合わなかった。
これらは、ヘムという自分の中にいる状態を自らであざ笑い前進していこう、ということを伝えたかったのかもしれないが……。
このディスカッションではそのヘムという存在に自分自身以外の周りも含まれてしまっている。
もしこれが子供同士のコミュニティ内などで行われたならば。それは一歩間違えれば孤立やいじめにすら発展してしまいそうな雲行きだと思ってしまった。

このディスカッションへのインパクトが強烈過ぎるあまり、チーズの話の感想よりも先にこちらを感想として書かざるを得なかった。


 また、ホーが
「自分を幸せにしてくれるのは、ただチーズを手に入れることではない、とわかったのだ」
と考えているところも気になった。
ホーはその時、隣にヘムがいないことを寂しく思っていたため、これまでの日々はチーズがあったから幸せなのではなく、そこにヘムもいたからだったということではないだろうか。
だからこそ、迷路で再びチーズ探しをするようになってからもヘムのことを気にかけていたのだと思う。

私は、ホーの行動に対して格好良いと感じた。
友人のことを思いながらも一人で進んでゆける強さを持ち合わせている。
相手や経験に依存するではなく、ただ目標を見据えられるようになった。
私の性格では、ここまで割り切って生きることはかなり難しいと考えるし、実際私の目指す人間像とは恐らく少し違う。
どちらかというと、現在のホーとこの本の続編で描かれていたヘムのその後の姿を足して二で割った感じである。


 この本を読む前は、「チーズはどこへ消えた?」から今後の自分の糧となるような価値観が新たに知れるのではないかと期待していた。
しかし、読み終わった後はディスカッションで
皆ヘムのことを嫌い皆で笑っていたことが、ラストシーンだったこともあり印象に強く残った。
なんだか悲しいという思いでいっぱいになり、思わず家族やネットのレビューでほかの人の感想を集めた。
自分が偏った見方をしているだけで、他の新たな視点もあるのではないかと思ったからだ。

だが、本編ではないディスカッションへの感想は多くなかった。
そこで私は、この本の続編である「迷路の外には何がある?」も読んでみることにした。
すると、数年前の自分、そして今の自分に通ずるものをたくさん見つけることができた。
このことから、私の状況にあった書き方をされていたのが続編のほうだった、ということがわかった。

その時何を必要としているかによって、得られるものは変わってくる。

去年の十一月末頃、私は変わらなければと焦っていた。
なぜなら、大学進学に向けての準備どころか日常での生活すらうまくいかなくなっていたからだ。
どう変わればよいのか自分でもわかっていなかった。
そのため、どう変わればよいか自覚していたホーよりも、どう変わればよいのかに悩んでいた続編のヘムに私はより共感したのだと考えた。
あのとき、私はずばり迷路の中でさまよっている状態だったのだろう。


 またこの作品を通じて、変わろうとしている自分、変化を遂げた自分だけでなく、
ずっと変われなかった自分もまた大切なのだと改めて感じた。

この作品から学んだ、臨機応変に変化へ適応していくことや、読書から知れた新たな自分を今後に活かしてゆきたい。
そして、ホーが自分の変化を通じて自分にとっての新たな幸せに気づいたように、
私自身も日々自分をみつめ、自分の思う幸せというものにたくさん気づいてゆきたい。

今の私にとってのチーズは、「新たな価値観や考え方」だ。

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