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ボクがヒロインで、キミがヒーロー。もちろんその逆もあり


東京と千葉に挟まれた江戸川は、土手をかなりきれいに、かつ広く整備したせいか、今や近所のサイクリスト(趣味で自転車に乗る人)のメッカと化している。

ちなみに、その土手から眼下に望む河川敷では、少年野球、中年野球に交じって、普通にインド人がクリケットをやっていたりする。

しかし、初めて遠目でその光景を見たときの驚きは今でも忘れられない。

やけに日焼けしたおっさんたち=実はインド人だった、が、助走をつけたおそろしく滑稽なフォーム(ホント「侍ジャイアンツ」の番場番みたいな)でボールを投げ(しかもワンバン、届いてない!)、それをバットではない“その辺の木の棒”みたいなので打ち返している姿には、いわゆる甲子園球児やルーキーズの熱い感動、イチローのストイックなかっこよさの欠片も見当たらなかったけれど、その代わりに、ひたすら無邪気な多幸感にあふれている、ほのぼのとした雰囲気がとてもよかったのだ。

一瞬、江戸川がガンジス川に見えたほどだ。先ほどメッカとか言った舌の根も乾かぬうちになんだけど・・。

つまり、メソポタミア文明とインダス文明を一度に体験できる、それが江戸川だ!

というのはもちろん言い過ぎだしな〜。

とまぁ、完全に話が脱線してしまったけれど、江戸川サイクリストの話に戻そう。

当時(今から約15年前)、江戸川の畔(ほとり)のリバーサイドマンションに一人で住んでいた僕は週末、天気の良い日にはたまにその土手をランニングしたり、自転車(クロスバイク)で走ったりと、今と比べると割と健康的な生活をしていた。というか、早く彼女が欲しくて、ダイエット中だっただけだけど…。

当然、そういうときには、いろんな人たちとすれ違う訳だけど、その通りすがりの面々の個性がとにかく百鬼夜行、もとい百花繚乱だったんだよね。

おそらく平日の彼らは僕と同様、吊るしのグレーのスーツに身を包んだ典型的な没個性的日本の良心=サラリーマンなんだろうけど、土手に颯爽と現れる彼らは真っ赤なサイクリングスーツや流線型のサングラスややけに複雑な造形をしたとんがりヘルメットを身にまとい、まさにヒーローみたいないでたちだった。

まぁそれでも個々のセンスによっては、きちんと正義の味方の側に立てている人もいれば、本人の意思とは裏腹に完全に怪人〇〇ゲルゲと化している残念な人たちもいるわけだけど。

ただ皆一様に心の中では思い思いのヒーローになりきっているんだろうなあ~というのは、彼らの満足げな、もしくはカッコよさげな表情を見ていると、ひしひしと伝わってくる。

そして、そんな彼らを見ていると、自然と、当時よく飲み歩いていた女友達から言われた一言が思い出された。

「女の子は誰だって、そしていくつになってもお姫さまなんだよ」

そうか・・・。この彼女の言葉にならえば、男もまた「誰だって、そしていくつになってもヒーローになりたがる」生き物なのかもしれない。

しかし、ここである驚愕の事実に気づいてしまって、僕は少し茫然自失としてしまった。

そうなのだ。

よくよく考えると、女の子が憧れるお姫様が待ち望んでいるのは、あくまで白馬に乗った王子様であって、男の子が憧れるゴレンジャーでも仮面ライダーXでもないんだよな。

もし、そんな怪物モドキの化け物に助けに来られるくらいなら、今や男性以上に逞しくなった彼女たちなら、きっと自力で閉じ込められた檻から逃げ出すに違いない。

しかし、そんなこととは露と知らないすっかりヒーロー気取りの男性たちが目指すのは、「悪の枢軸・ショッカーのアジト」がある火薬をたくさん使っても怒られないハゲ山であって、そこにはもはや幽閉されたお姫様などいないというわけ・・・。

つまり、ここで僕が何を言いたいかというとですなあ。

このように幼少期に刷り込まれた「特撮ヒーロー」と「お姫様」という男の子と女の子の憧れの対象のすれ違いこそが、男女間のわかり合えなさや、それゆえの晩婚化や非婚化の進行、もしくは家庭内DVやモラハラが起こる根源的な原因なのではないだろうか。と同時に「セーラームーン」や「プリキュア」の登場で、いよいよ(イケメン王子以外の)男なんかいらんわ、といういわゆる自給自足女子が増えているような気がする。

とまぁ、我ながらよく分からない展開になってきたけど、もしこの僕の仮説が正しいとするならば、この現代日本人が抱える深刻なジェンダー間のすれ違いを埋めるには、やはり幼少期に子供たちが触れるテレビアニメや特撮物の内容を抜本的に見直す必要があるのかもしれない。

例えば男の子も女の子も一緒に観るそのアニメでは、ヒーローはバイクではなくロードバイクで荒川サイクリングロードを北上している。

一方、ヒロインはピンクレンジャーという名の単なる職場の同僚ではなく、敵(二人の仲を引き裂く理解のない親御さんとか?)に捕らわれたヒーローの彼女でなければならない。

ヒーローは地球の平和を守るためではなく、ただただ「彼女と一緒になりたい」という一心でひたすらに敵(二人の恋路を邪魔する上司とか?)を倒し続け、かたや囚われのヒロインは伝書鳩やテレパシーや絵文字などをフル活用して、度々ヒーローを襲う苦難から彼を救い出すのだ(ちなみにヒーローとヒロインの立場が逆でも、もちろんOK)。

そして、やがてお互いの協力が見事に実を結び、最大の難関であるラスボスも脳卒中とか老衰とかで倒れ、ヒーローとヒロインはクリスマスで賑わう六本木ヒルズで久しぶりの再会を果たす。

そして、この瞬間、テレビの前のBOYS&GIRLSは強烈なカタルシスを味わい、

やっぱり一人より誰かと一緒になりたい!

と強く思うのだ。

そんなわけで、名前すら知らんけど、少子化担当大臣、そこんとこよろしく!


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