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愛を込めて"クソニート経験"を語る①

「何にも所属していないって怖くない?」

先日私の属する組織のトップとお話しする機会があった。
その時にトップに言われたのが上の言葉だ。


こんにちは。現在都内で国家公務員n年目のぽです。
現在の職場も出身大学も、それから関係ないけど顔も、世間的に見ればまあまあいいステータスを持っていると思っています。


そんな私は就職前、10ヶ月ほど「クソニート」をやっていた。
理由は、前年の大学在学中に就活を放棄して遊んでいて、そのまま卒業したからだ。
201x年3月に大学を卒業して、201x年4月から201(x+1)年に就職するまで、大学にも職場にも属していない所謂「ニート」をやっていた。

ニートは経験したことない人も多いんじゃないかなと思っていて、私も人生を振り返った時になんとも苦痛でなんとも貴重な時間だったなと思うから、その時の心境とかを書き留めておきたいなと。

せっかくなのでクソニート年間のお話をする前に、就活を放棄した「クソ大学生」の時期のお話をしようかな。

私がまたnoteを書くなんて。

教養なし言語化能力なしな日本語貧弱人間ですが、そんな私が徒然に気まぐれに書いてみました。
今回もこれからも、お役立ち情報は一切ありません。

投稿一つひとつが私の自己紹介。


私にはやりたい仕事がなかった。

中学生くらいまでは保育園の先生になりたいと思っていたのだが、どうやら私は子どもに対して「コミュ症」を発動してしまうらしく、子どもと同じ目線に立って向き合うことが下手くそだなと思う経験があった。
その頃からなんとなく保育園の先生は就職の候補からは外れていった。

高校は地元の公立進学校に行き、大学もそのまま地元からは離れるものの地方のそこそこな大学に進学した。
大学では文学部で、日本史を学んだ。

大学受験の際の学部選びでは、「実用的」か、それとも「趣味」か、で結構悩んだ。
将来の夢や方向性が決まっているなら「実用的」な理系とか、就職の選択肢が広そうで就活でも武器になりそうな法学部とか経済学部とか、そういう道があったかもしれない。
私は将来の夢が微塵にも描けていなかったので、そもそも高校生の時の理系文系の選択の時も「好きだから」という理由だけで日本史が専攻できる文系に進んだ。
学部選びについては、法学も経済学も今思えば面白そうな学問だと思うし、大学で専攻しても楽しかっただろうなと思うけど、当時の私はそこまで興味もなく、また、巷で言われる「大学生は最後の夏休み」というのを真に受けていたので、夏休みなら楽しいことしたいじゃないか!と、「趣味」の世界である文学部に進学した。

そこからは、まぁ楽しい笑
私の研究分野は正直仕事や生活には全く活かせない学問だったけど、大学生でしかできない勉強だったから、文学部に進学して良かったなと心底思っている。
だってそうでしょ、文学部に行かなきゃ禅寺のお坊さんの書いた日記読んだりこの公家とこの武家の繋がりが強力な理由を探るために家系図漁ったりしないでしょ。笑
こんなに実用性のない学問に4年間も費やすこと社会人になったらできないよ(笑)

ただ、もう少しのめりこみたかったなという思いもある。
勉強は楽しいもののどうしても在学中は「この勉強やって何の役に立つんだろう」という思いを漠然と心のうちにかかえていたから、学部の勉強に自身の100%を費やせなかった。
それからこれは言い訳だけど、私は体育会の運動部に所属しておりほぼ毎日部活があったから、どちらかというと私の大学生活は部活のウェイトが高く、勉強の方は二の次だった。

大学生活を振り返ると、部活以外には周りが見えなくなるほど熱中したものはなかったなと思う。

それは就活も同じ。

私の研究室は大学院に進学するか公務員試験を受けるかの2つのルートがメインだった(もちろん民間就職の道もあったが、たまたま私の周りには民間は少なかった。)。
同期ももれなく公務員試験の勉強をしていた。

私にはやりたい仕事がなかった。
偏見だが、民間企業はやりたい仕事がない・就活のやる気のない人は振り落とされるイメージを持っていた。
だから私は民間就職は考えていなかった。

一方(こちらも偏見だが)公務員なら、試験に受かればどこかしらで働けるかもしれないと思っていた。
周りも公務員志望者が多いしみんなについていけば就活のスケジュールとかもわかるからいいかも!という、極めて浅い理由で一瞬公務員を志そうとしたこともあった。

しかし公務員は試験勉強が必要だ。
働く気がなく就活へのモチベーションがない人間が就職のための勉強をするなんて到底無理だった。
とはいえ大学院に行くほど学部の勉強に熱中できていたわけでもなかったし、そのほかの道は考えられなかったから、私は困ってしまった

その時初めて、「向かうべき道がわからない」という状況に陥った。

振り返ればそれまでの私の人生は、なんだかんだ進むべき道が示されていて、そのレールに乗って少しは辛い思いや苦しい思いはしたものの結果的には一般的に「良い」とされるルートを辿ってきたと思う。
中学生の時は、周りを見返してやるという動機で受験勉強に熱中したし、高校生の時は周りがみんな大学進学で私自身進学以外は考えていなかったからそこそこ受験勉強に励んだ。そういう風に、なんとなく周りとおんなじように向かうべき道が示されていた。
大学生でも、周りと同じように就職という道に向かって進めればよかったのだが、その先にあるのがこれからの人生で長い時間を占める「仕事」となると、何かしらの信念とかそこで働きたい明確な理由とか、そういうのがないとダメな気がして、そういうのが微塵にもない私には、このまま周りと同じ就活のレールに乗っていいのかと不安になった。

今や転職なんて当たり前の世界だしどこかの企業や組織に属さなくても稼いで生きていく術はたくさんある。
ただ、当時の私は就職したら数十年もそこに勤め続けるんだからこんなやる気ない状況で就職先を決めるのは怖い、1人で稼いで行く道を見つけるほどやりたいこともない、とおじけづいていた。

結局どうしようどうしようああでもめんどくさいめんどくさいと、何も手につかなくなり、大学3年生の2月(4年生進級を直前に控えた2月)の夜、思考停止に陥って無心で起きてベッドの上でボーッとして、そのまま朝を迎えた。
そして、

放棄しよう

と決めた。
その先のことは何も考えていなかったが、少なくとも今は「何もしない」「あとで考える」という結論に至った。

そこからは何かが吹っ切れたように部活に邁進し(とはいえ若干メンタル病んで部活はやめた(笑))、バイトに明け暮れバイト仲間とBBQやビアガで盛り上がり、地元に帰省して高校時代の友達と遊んで、深夜まで研究室にこもって中島みゆきを流しながらポップコーン食べながら卒論書いたり、そんな感じの「愛くるしいクソ大学生生活」を送った。

そんな一見楽しそうなクソ大学生生活を送りながらも内心は、人生で初めての「どこへ向かえばいいかわからない」という状況に置かれて、何が正しいのか、何が普通なのか、そういうのは頭ではわかっていたけど、心がついていかないというか、今までは何かをするのに必ずモチベーションがついて回ったけど、この時はモチベーションが皆無だったから、先にある見たい景色が全く描けておらず、なんかふわふわしていた。

周りにはこんな人いないし(実際はいたかもしれないけど私の周りの人は少なくとも進むべき道を見据えていた人たちばかりだった。)、今までそこそこまっとうに生きてきた身として、こんな大事な時期にこんなちゃらんぽらんで何も考えていない無責任な生き方をしていいのか、という不安が漠然と、でも心の中にしっかりと居座って、あった。


そんなこんなで私はややこしいモヤモヤを心の中に住まわせたまま、クソ大学生生活を送り、その先には「クソニート」生活が大手を広げて待っていた。


こっから先もまたメンタルぐちゃぐちゃな一年でしたよ(笑)

それはまた今度。

振り返りnote、おもしろい笑





p.s.
いつから下書きにあったんだこれ。




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