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落としたキャンディを拾う⑭

こうならいいのに。
どうしてそうなの?

理想もったり望むこと、多くあればあるほど、こんな風に思うことが出てきてイラついたり、つらい気持ちになったりする。

例えば、仕事場では「お客さんが一気にきたりしなきゃいいのに」(ほとんど1人で売場の対応をすらので)と思っちゃう。

私より8個下の男子は完璧主義で、2人の客に何か聞かれた時点で、頭の中でサイレンが鳴る。
そして、怒りが沸く。それをアクションに出してしまう。
そのあと、ひどく自己嫌悪…

人それぞれ度量や熱量の違いでどこまでやれそうかも違ってくると思うのだけど。
この売場にいる3人は、全員熱量がぬるめ(自分の限界が浅くて、高みを極力見ない…ごめんなさい)
だから、お互いの気持ちや状態を悟りあえる。

接客を最良の効率のよさで回せればいいけど、最良なんてこっち側の都合でしかない。

だから、待つ客が怒ったとしても一声かけて順番に対処していくしかない。
何かは諦めなければない。
この時、私たちも諦めるし客もあきらめる(あきらめてくれ!)

私に関していうと、結婚して、長男の障がいを知って、鬱になって、たくさんのことをあきらめることになった。

つらい気持ちの原因は望みや期待や理想があって、それが叶わないから。

長男とキャッチボールをしたり、長男が友達と楽しく下校する姿や遊びに出かける様子を見れたりするのかなぁ。
親としてそう贅沢でもない、ちょっとした楽しみだっただけで。

コミュニケーションがスムーズにいかない長男は、ボッチ。
クラスメイトとも度々ぶつかる。
今や「俺はボッチ~♪」って歌ってる。
何度も泣いたりもしてのこれ。かっこいいぞ。

そして鬱の引き金を総じて言うと、
「安心安全な家族関係を築く」をあきらめなきゃなかったこと。
そんな家庭でなかったから、どうかそうなりたい。やっとなれるはず。
ーー だめだった。

小さい頃から、私と母との関係は私が思ってたよりすれ違っていたようで。
私側からいうと「その思い、早くあきらめていればよかったね」というのが結論になると思われる。
でも、こうして大人になれたこと(アダチルだけど)感謝です。

母と子ども。
私も今母になって、愛着のある関係についてをよく考えたりする。

自分の育ってきた様々も交えつつ、そんなこともnoteに書いてみれたらと思う。
明るく書けたらいいな。がんばろう。

ところで日曜日。
家族でまたもショッピングモールへ。

薬局を確認したい私。
「こっち行こうよ」と薬局方面の通路に誘う。「なんで?」と言われ却下。遠回りだね…

ゲームセンターや昼食の用事終えて、薬局のあるフロアへ再び。
スーパー組(旦那と長男)と離れ、5歳のおしゃべり次男と化粧品コーナーへ。薬局の向かい。

いた!いたよ!
お薬渡すとこの席で1人、パソコンで何かを見ている。患者はいない。

美容部員さんとわりと長めに話をして、スーパーへ戻る際、顔を薬局側に向けたまま歩く。

まだパソコン見てる。次男の喋り声に反応して見ないかなこっち、と期待したけど。
顔見たかったけど、その姿見ただけでよかった。
日曜も出てるんだ。ね。

あさって、やっと処方される日。
どうか、他の人が対応するなんて悲しい出来事が起こりませんように…!

この、何の発展も期待できない(って、正直わかってる)恋心が発生して、あまりにもやり場がなくて、始めたnote。

過去の出来事も拾いながら、あいみょんの歌に浸りながら、書くことがとても楽しかった。
寝る前のブルーライトはほんとに良くないんだけど。
プラスして、ブラックコーヒー飲んじゃうし。

あさってが終わったら、違う題名でまたぽちぽち書けたらいいな。
この、無理やりこじつけたような題名(笑)
かわいい題名にしたかったから、許して。




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