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#26 読書録 『はじめての短歌』を短歌に興味がないのに読んでみたら

今年は人にお勧めされた本を読んでみようと思っている。
それは友人に限らない。
例えば読んだ本の中で、ふと目にしたnoteの記事で、ふと聞こえた他人の会話の中で、、、、なんでもよいので、その中から何となく記憶に残ったタイトルのものをとりあえず読んでみることに決めた。

ビジネス書、実用書に手を伸ばしていた直近2年。
それだけでは面白くないのだ。我慢の限界。

そこでエッセイストの紫原明子さんがお勧めしていた『はじめての短歌』を読んでみることに。

短歌に興味はなかった。
ただエッセイストが強固にお勧めする本って気にならないですか?
物事の観点が面白くて、読み口は軽いけど考えさせられる、引っ掛かりのある文章を書ける人が、言語感覚に優れる歌人の本は必読というようなことを言っていたのを聞いたら、そりゃあもう気になってしまったのだ。
仕事の役に立つ気はしない。
でも気になったら読んでみるのが2023年のわたしなのだ。

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この本は、目次を一瞥しただけで、短歌への興味が湧いてしまう。
だって。
「ステーキより、鯛焼きのばりが価値を持つ世界」とか
「使用前と使用後、どちらのくす玉に詩は宿るのか」とか
ひとつひとつ引っ掛かってしまう章タイトルばかり。

中を開いてみれば、日経新聞の短歌欄に投稿された一般の方の作品と、それに対する作者である穂村弘さんの考えが載っている。
短歌欄の選者として穂村さんが選んだ作品と、穂村さんが作った『改悪例』、それから穂村さんの考えを。

改悪例は元の作品より『わかりやすく』『一般的な表現』に直したものが大半。
ほんの1単語を変えただけで、わかりやすいけど「ふーん」で終わってしまいそうな内容に様変わりしてしまうのが面白い。
例えば

空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋はそういう状態  平岡あみ

空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋は散らかっている 改悪例

はじめての短歌

のような。


誰にでも、間違いなく伝わるように、端的に話せ、書けと言われている日々(職場)の中で、その言葉選びは家庭でも友人といる時でも浸食してきていて。
誤解のないコミュニケーションが取れることは大事で必要だけれど、なんだか遊びが足りない。つるんとした感じ。

何かに引っ掛かることで心が動く。
引っ掛かったことに対して想像を膨らませることで、相手への興味が俄然湧く。
その引っ掛かりポイントに個性が出るから面白いんだ。

自分の感覚や感情を、自分のことばで表現すること。きちんと向き合うこと。
こうして書いてみると当たり前のことのようだけど、ついつい時間に追われてしまうと忘れてしまうこと。

そういうことをが短歌の世界ではできるらしい。
ぐっと短歌に興味が湧きました。


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