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Q.私は悪いフェミニストなの?〜非典型的な性嗜好をめぐる#MeToo世代の葛藤〜

はじめに

※この記事は性的な記述を多く含んでおり、一部にCSAやガスライティング、身体的虐待の描写もあります。読むことへの不安を感じる方はここで引き返してください。また、読んでいて辛くなった場合はすぐに読むのをやめてページを閉じることを推奨します。


幼い私に性加害をした人は十年後フラワーデモに参加していた

私には同性の家族から長期にわたって性被害を受けていた経験がある。期間は記憶しているかぎりで6、7歳ごろ〜18歳前後まで。加害者は私に日頃から繰り返し彼女自身の性被害経験について話してきかせ、小さな要求でも拒もうとすると「お前も私を裏切るのか!」と激昂した。あるいは反対に「見捨てないでほしい」と目に涙をうかべながら、私の洋服の裾をつかんで離さないこともあった。目の前でリストカットもされた。今振り返ってみると、加害者がそれに自覚的であったかどうかはわからないがあれは支配の手法だったのだと思う。私の中ではいつの間にか、
彼女の要求を拒むこと=彼女に性加害をした人たちと同じように悪い人間になること 
という意識がはたらくようになっていた。
ここまで、同性の家族、という少しぼかした書き方をしてきたが、この加害者とは私の実母だ。両親が離婚しており、母とともに母方の実家で暮らしていた子どもの私にとって彼女から逃れることは非常に困難だった。また、周囲の大人たち(とくに母と同世代の女性たち)の多くは、精神疾患をもつシングルマザーの母に同情的だったため、私が母への不満をもらしても真剣にとりあってくれることはなかった。ひとつ前の記事に、彼女がアスペルガーと診断された私を「障害ちゃん」と呼んだことを書いたが、そのほかにも二人きりになると「早く死ね」「堕ろしておけばよかった」と言われるなど精神的な虐待もよくあった。心中未遂にも複数回巻き込まれた。
数年前、久しぶりに会った母が「ママね、こないだフラワーデモに参加してきたとよ」と笑顔で言ったとき、強烈な虚しさに襲われた。しかし、怒ってしまうと彼女の被害者としての側面を否定することになる気がしてうまく怒れずに、私はただ虚ろな微笑をうかべていた。

十二歳までの私と異常な家庭環境

小学校入学の直前になって、私の両親は離婚した。私は私や父にしばしば暴力をふるう母親よりも、少なくとも私には優しい父親のほうが好きだったから、当時はよく父を恋しがった。母や同居する母方の祖父母にとってそれはとても腹立たしいことで、私が可愛く思えなくなるには十分な理由だったのだと思う。三人の大人たちはちょっとした理由で私を罵倒したり、性的にからかったり、恥をかかせて楽しんでいた。家族の虐待に関連して、短期間ではあるが児童相談所に保護されていたこともある。
まだ幼く不器用な私が食事中に食べ物をぽろぽろとこぼしてしまったことで、祖父が「パパのところへ帰りなさい!」と大声で怒鳴った日のことを昨日のように思い出せる。あのとき手の甲に思いきりかけられた熱い汁物の匂いも。
また、性嫌悪の傾向があった祖母は小児自慰をやめられない私の両手両足を縛り上げ押し入れに放りこむことがあった。湿度の高い夏の押し入れで私は、自分は生まれつきこの世界に拒絶されていると思った。
母は私がくすぐられるのが苦手なのを知っていながら、失禁するまでくすぐりつづけ、自分でそうしておきながら私がおもらしをして布団や畳を濡らしたことを責めたり馬鹿にしたりした。
小学校低学年で、知らないおじさんの車の後部座席に押し込まれて下着をおろされそうになる性被害に遭ったときも、家族に怒られたりからかわれるのが怖くて誰にも話さなかった。まして、そのときに恐怖や苦痛、恥辱感とともにおぼえた得体の知れない高揚のことは死ぬまで人には話すまいと当時はかたく誓ったものだった。私はその言葉はまだ知らないながらも自分にマゾヒズムの傾向があることに気づきはじめていた。
小学校の四年生くらいから、私は浴室のシャワーホースを首に巻きつけて片方の手で強く引っ張りながらもう一方の手でマスターベーションをする行為に熱中した。
その後十二歳で自分が年配の男性に性的に惹かれることに気づいた。

「わたしは女の子のふりをしたモンスターです」

十二歳の私はつとめて普通の女の子を演じようとした。"普通の女の子"がどんなものなのか、本当はよくわかっていないくせに、自分が異常な人間であるという強い意識から逃れたい一心でありとあらゆる努力をした。私はとくに関心があったわけではないのにジャニーズアイドルに詳しくなり、年配の男性に惹かれる自分を隠蔽することを試みた。十二歳になっても、母と一緒に入浴し、同じ布団で眠り、寝る前にキスをしてなにも出ない乳首を吸わされている自分は将来同性愛者になるかもしれないと思っていた。また、母の「擬似夫」にされた私は女の子のふりをした別のなにかだと信じていた。いまとなってはその考えはいくつもの偏見を含んだものだとわかるけれど、当時の私は本気で混乱していた。同じ学校の女子とおままごとのようなデートをしてみたりもした。
しかし私は相変わらず年配の男性に惹かれつづけた。私は彼らに蹴飛ばされたり平手打ちをされたり顔やからだに精液をかけられることをよく空想した。私は自分が間違った欲望をもっていると思った。"わたしは子どもなのにどうしてこんなことを考えてしまうのだろう。サディスティックなロリコン男に都合の良いファンタジーをもっているわたしにいつか女たちは復讐するだろう"と。実際祖母には「好きな男の子ができたら、そのときはあなたを殺すけんね」とたびたび脅されていたので、私はそのことを心から恐れていた。


老人性愛者にとっての"オッサン"批判

私は家父長制的な事象をオッサン的とかオッサン目線という言葉で形容することを注意深く避けている。自分の性対象である人々(私はより正確にはヘテロセクシュアルというよりヘテロフレキシブルだと感じているが)と否定的な言葉を結びつけるのに抵抗を感じること、そしてそのような言葉を使うことで若い女性である自分の中にもある家父長制的な発想に無自覚になることを恐れているからだ。また、そうした言葉を使わなくても、この社会における権力が年配のシスヘテロ男性に偏っていることを批判することは可能だと考える。


マゾヒスト女性はフェミニストたりえるか

私とフェミニズムとの関係はとても複雑にからまっていて、愛憎入り混じるものだ。
十代のときの私はミソジニーを隠さなかったし、性被害を打ち明けられた際にはあろうことか迷いなく被害者本人を攻撃した。私は過去の経験から、性被害の話をされる=私への(性)加害の前触れ、だと誤って受け止めてしまい恐怖をおぼえていたからだが、そのような背景についてまったく知らない相手はひどく傷つきショックを受けたことと思う。今でこそ他の人に任せて別の部屋に移動したり「私は自分の事情でその出来事についてじっくり聴いてあげられないから、他の人に話してほしい」と伝えられたりするようになった。でも過去の罪が消えるわけではない。せめて、このことについてはいつでも正直に話すようにしている。
今、私はフェミニストでありたいといつも思っている。SM嗜好をもちしばしばそれを実践し(いまではマゾヒズムだけでなくサディズムの傾向も強くあるスイッチャーだが)、自分より30歳も40歳も年上の男性に性的に惹かれ、CGLのダイナミクスやエイジリグレッションにも興じる私だからこそ、合意のもとでの行為とそうでない暴力を明確に区別するためにフェミニズムを必要としているのだ。自分の欲望がフェミニストにふさわしくないのではないかと思い悩むこともあるし、実際そのような言葉を目にしたときにはいたたまれなくもなるが、フェミニズムは自分を支えてくれるものだと信じてみることにする。

おわりに

「女性がマゾヒズム的な快楽を追求しながらフェミニストであることはできるのか」というのはそれはもう、私が生まれるずっと前の時代から繰り返し議論されてきたことだ。今更かもしれないとも思った。しかし、非典型的な性嗜好をもつ私が#MeToo以後の2020年代に若い女性として生きる中で感じてきたこと、また、遡って幼少期の性への意識について書いてみることに何の意義もないとは思えなかった。この記事が私に似た誰かや私とはまったく違う誰かの役に少しでも立つことを祈っている。














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