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自分を自分で批評することの意味
「批評」という言葉を新明解国語辞典で引いてみると、こう書かれている。
物事の良い点・悪い点などを取り上げて、そのものの価値を論じること。また、そのもの。
批評という行為は、一般的には自分以外のもの、例えば、自分が読んだ文や他者の行為や他者の作品などに対して、良い点・悪い点などを取り上げて、どのような点が良かったか、どのような点が良くないかということを改善点も含めて、そのもの自体について、いろいろな角度から論じることをいうのだろうか。
そうだとすると、そうした使われ方は、基本的に批評する対象が、自分以外の何かに向けられている。
それに対して、他人に対する「批判」というと、社会的な必要性や意義が誰の目から見ても明らかな場合を除き、普段出くわすと、あまりいい気がしない人もいることだろう。
一方で、「批評」は、どちらかというと、批評する側にとっても批評される側にとっても、有益だという共通の認識や含意がある場合も少なくはない。
特に自分が何かにおいて、もっと進歩したり、さらに上達したいと願う場合、善意のある他者がくれる有益かつ公平無私な批評は、表現者や創作者といったプレーヤーにとって欠かせないとも捉えられる。
ここまで述べたことは、きっとこれを読んでくださっている方にとって、目新しくもなんでもないだろう。
本題はここからである。
「自分で自分を批評すること、あるいはその習慣」
それを、「自己批評」と名付け、今までNoteで記事を書いてきた。
「自己批評」という発想は、私にはなかった。
はじめて認識したのは、ロルフ・ドべリ著『Think Clearly』サンマーク出版においてだった。
一日の終わりに、その日の自分を批評する時間を持とう。
今日はどこに問題があっただろうか? 今日一日のどこかの部分を毒のある感情で台無しにしてしまっただろうか?あなたのコントロールの外にある出来事のうち、あなたを動揺させたのは何だっただろう?その動揺から立ちなおるのに、どの精神的な道具を使っただろうか?
この文章を最初に読んだとき、私はこのアイデアが、強く印象に残った。そして、インスパイアされた。
そして、私なりに改良し、模索し、拡大した自分自身の「自己批評」のバージョンを作成した。
今それは、数枚の紙でホチキス留めされ、クリアファイルにおさまっている。
私は、一日の終わりに、その問答形式の「自己批評チェックシート」を取り出し、座して向き合いながら、内省し、その日を振り返る。
一日を振り返るその静かな時間は、私にとって肩の力を抜く大切なひとときだ。
(数行の日記もつけるが、)この時間をとることで、一日を清算し、明日という新しい日を清々しく迎えることができる。
それは、「今日を生きる」という哲学にも通じることだ。
こうした「自己批評」の習慣はストア派哲学に由来するが、私は最近、禅を学び始めた。
禅には「日日是好日」という禅語があり、「自己批評」の習慣とつながり始めているような気がする。
「自己批評」の習慣は、自分で自分を律して生きるという姿勢とも深く関わっている。
先述した私の自作の「自己批評チェックシート」には、「アティチュード」と「ベストエフォート」の項目がある。
直訳すると、「自分の態度」と「最善の努力」となる。
前者は、その日の自分の立ち居振る舞いや他者への態度、生活態度を振り返ることを、後者は、コントロール外の出来事もあるなかで、自分がその日にすると決めた最優先のToDoを最善の努力でどの程度成し遂げられたかを問うことを目的としている。
項目は他にもあるが、自己批評チェックリストの問答に答える前に、その日に起きた出来事を、良いこと・悪いことをひっくるめて書き出すこともたまにしている。
とにかく、一日を振り返ることができることに意義を見出している。
私自身が作成した自己批評チェックリストは、次の記事にまとめられています。
ご清聴ありがとうございました。
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