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バーラタ・バルシャの息吹・インドについての読書記録

 インド文化やインド哲学、インド亜大陸にふれたのはいつごろからだろうか。子どものときにはほとんど興味をもったことはなかったかもしれない。何しろインドは広い。しかも、複雑で多様だ。遠いイメージがあった。少なくとも私はインドに行ったことがない。なので、これから書くのは、書物やメディアを通して、感応し、見知った、比較的最近読んだ本を通じての読書記録です。

 二億年くらい前には、地球の陸地は一つだった。超大陸パンゲア。パンゲア大陸。それは、とてつもなく広く、現代のサハラ砂漠に劣らず暑く、乾燥していたから、内陸部は、生物が居住できないような環境だった。パンゲアはジュラ紀に分裂を開始する。ジュラ紀と白亜紀には、あちこちに煙を吹く活火山が活発に活動しており、白亜紀初期には、マダガスカル大陸とグレーターインド(インド亜大陸)の合体形だった、レムリア大陸が南極から分離した。

 やがて、インド亜大陸は、レムリア大陸から分かれて、北上し、ユーラシアプレートとぶつかる。こうして、ヒマラヤ造山帯が誕生した。ヒマラヤ山脈の原型である。

インドがインド亜大陸と呼ばれる所以を、簡単に整理できただろうか。地質学的な時間。それは、日常では感じられないほどの長大なるスケールで展開される、地球の人生だから、まずそのような地球環境というバックボーンを前提にした、歴史を、つまりは、人類の歴史を知りたい。そこから、哲学や思想というものも派生する。

最初に、インド哲学やインド思想、インドが起源の仏教史といった知的体系にファーストコンタクトした、一冊がこの本。

仏教の創始者ブッダはもちろん、『維摩経』の主人公維摩居士、天才ナーガルジュナ、『倶舎論』を著した世親、五世紀に活躍した、哲学者で、文法学者のバルトリハリ、『パー二二文典』のパーニニ、『有の哲学』のウッダーラカ・アール二などといった哲学者の知的遺産も登場し、西洋知が届かないダイナミックな考え方を一望できる一冊です。『松岡正剛の千夜千冊』を、たまにサイトで、主にエディションで愛読していますが、編集工学を80年代に確立し、知の巨人ともいわれる松岡さんのこのエディションシリーズを読むたびに、松岡さんの新たな一面を知るとともに、その該博な知性に圧倒されます。ちなみに、装丁を始めとしたデザインも素晴らしいので、記念に保管用の一冊を買いたいぐらいです。

 次は、ウィリアム・ダルリンプルというスコットランドの歴史家の著作。
邦訳版で読みましたが、比較的最近の作品です。ジャンルでいえば、紀行文学であり、とても美しい一冊です。日本の推薦文とともに、海外評がこの作品の芸術性と高い文学性をあらわしているように思います。

宗教の本質を理解するのにも、適しており、人生の多様さ、そして素晴らしさを認識しました。また、この本を読むと、人間的に成長できる気がしました。少なくとも内面が少なからず変化しました。インド内の各地域に暮らす
9人へのインタヴューが展開されるなかで、現代インドの風景をスケッチしながらも、急速な変化においてもなお、古来から伝わり、土地に息づく精神文化・古典文化の風景をスケッチしています。この本を片手にサンスクリットやヨーガに入門したい思いに駆られました。

 ケヴィン・ケリーの『テクニウム』について書こうと思います。ケヴィンはオンラインで雇われた最初の人間なのではないかと自身で語っていて、インターネットをアジアよりも異質な大陸に思えた、とも言います。デジタル・カルチャーを代表するワイアード誌の創刊エグゼクティブエディターである氏は、アジアを放浪した経験があり、アジア大陸にインスピレーションを得て、テクノロジーの生態系の解明に挑んだ、聖者、あるいは、賢者のようなイメージを私は抱いています。

最後に、ピリュッツァー賞受賞ジャーナリストのポール・サロペック(Paul Salopek) とジョン・スタンマイヤーの「アウト・オブ・エデンウォーク」というプロジェクトがあります。
これは、人類拡散の旅路をこの現代において、主に徒歩で踏破する、スロージャーナリズムの可能性を追求したプロジェクトで、2013年からスタートしました。ナショジオ日本版の2020年8月号では、3900キロに及ぶインドの旅が特集されており、この記事を書いている時点でも旅は続いています。サロペックのTwitterアカウントには、その旅の模様が随時更新されています。

ご清聴ありがとうございました。

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