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知性改善のツールとしての数学・ベーコン流数学のすすめ

古代ギリシア哲学以来の知性改善論という構想があります。その知性改善論について私がはじめて認識したのは、植原亮著『思考力改善ドリル』のブックガイドを読んだことによります。啓蒙思想家の哲人、ジョン・ロックの著作についての説明に簡潔に述べられていました。

人間の知性を改善するのに、最適な方法とはいくつかあるだろうけれど、最たるものは何だろうか?

イギリス経験論の哲学者、フランシス・ベーコンが知性の改善において強力な道具として強調するのは、Mathmatics (数学) です。

「ベーコンは、数学を学習することで、理解力が鈍いなら、よりシャープになり、思考における集中力が散漫ならば、より高めてくれるといいます。
数学は、知的能力の欠陥に対する処方箋になるとベーコンは語ります。
注(1)」

「ベーコンを先駆者とした哲人、ロックは、数学の有用性が、専門の数学者の特権ではなく、推論の技術や能力を磨くのに適しており、成人にこそ、役に立つツールであるというふうに述べます。注(2)」

「注(1)・(2)の説明は、この二冊の中の記述から、筆者が簡単に編集し、抜粋したものです。(1)の編集は著作権を考慮しました。」


今回の記事で、ベーコンとロックにおける数学の考え方をかなりざっくりと紹介したのは、教養数学というフィルターでこの二人の数学観を感じ取ったからです。つまり、ベーコンとロックは、知性改善のツールとしての数学と、教養数学としての数学を自身の数学観のうちに秘めていたのではないか、と思ったのです。

知性改善のツールとしての数学は、数学が身近に暮らしてきた現代の日本人にとっては、さほど意外に聞こえないかもしれません。
知性改善論という壮大な試みと、数学の発展や数学の歴史。知性改善論は、数学の発展とどう関係しているのか。この二点のつながりに私は注目しました。でも、まだ調査中です。

ただ、人間の知的能力や理解力は、個々人の行動次第で、より研ぎ澄まされたり、思考における集中力をより高めることが可能であり、それをベーコンが強調しており、しかもその手段として、数学が挙げられているのに、私は心が躍ったのです。

なぜ心が躍ったのか。それは心のどこかで数学を学び直したいとずっと感じていたからか。心惹かれるのに、高校における私の数学学習は中途半端に終わった。(文系選択だったから、選択科目でした)
いや、本当の理由は、ベーコンのアドバイスを受けたからこそかもしれない。学校の科目としてではない。敬愛する400年前の賢者、ベーコンに数学独学の魅力を見出したから。

その一方で実は、数学の学び直し、数学の独学のすすめについて、この本を読み、啓発されたのも大きい。


「社会人のための数学独学法」と題して、数学者の岡部恒治先生が寄稿されています。私は、この寄稿を読んで、数学を社会に出ても楽しみ続けることに心惹かれました。

独学法の一つとして、「数学史から入っていく方法」もあるといいます。
この説明を読んで、自分自身が愛読している数学史の本を想起しました。ここからは私の好きな数学本の話です。
それはこの本です。

この本はサイエンスノンフィクションの数学読み物なのですが、その深遠なストーリーに引き込まれました。歴史上の数学者の知的格闘の舞台裏が、綿密な考証の再現と巧みでありありとした描写、歴史的背景の濃さにおいて、とてもエレガントに描かれています。上質なドキュメンタリーにも近いのかも。ただ、途中から私の理解を超え、まだ読了していません。アルキメデスとガリレオ、ニュートンとデカルトの章までは愉しめたのに!(もちろん自分の力不足)
この二つの章のタイトルは、「達人と異端者」「懐疑主義者と巨人」。
タイトルのセンスからして、この作品が私はたまらなく好きです。


そして、次に好きな数学の本はこれです。知性とユーモアに溢れ、その重厚な教養を作中の端々から感じられる作品。エッセイストで数学者の藤原正彦さんの著作です。ニュートンとハミルトン、ラマヌジャンの三人の天才的数学者のゆかりの地を訪ね、紀行や史実を織り交ぜながら、この三人の数学者たちの内なる声に迫ります。


最後に紹介するのは、吉田洋一著『数学序説』。教養数学としての数学読み物だという点に惹かれました。数学を教養として身に着けることを読者への想定として書かれています。この本とはまだそれほど深い交感ができていないので、感想は控えます。






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