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プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 09アックスボンバーが「伏線」になる〜人物の機微が物語を動かす。

 ラリアットとクローズラインとアックスボンバー
 
 プロレスには兄弟技というか、同一のムーブで違う名前だったり、使う人によって違う名称になったりする技がいくつか存在する。その代表格が「ラリアット」という技である。
 これは#4で説明したように、プロレスには「他人のフィニッシングホールドは使わない」という暗黙の了解があるため、意図的に技の種類や名称を変更する傾向にあるからだ。まれに身体能力の高さとプロレス頭の優れた人が新しいムーブの技を作り出すことはあるが(最近ではウィル・オスプレイのような)、基本的に最近できた技はそのレスラーの身体能力に依存するものが多いので再現性に乏しい。
 その点で汎用性に優れた真逆の技といえるのが「ラリアット」である。
「ラリアット」「ラリアート」と呼ばれる技は言わずもがな、日本における「逆水平チョップ」「ドロップキック」と並んで最もメジャーなプロレス技の一つである。最近はフィニッシングホールドとして使う選手は少なくなったが、それでも使い手は多い。
「クローズライン」は主にアメリカのプロレスで使用される時のラリアットの別名で、日本と違いアメリカではラリアットがフィニッシングホールドとして用いられることはないので、誰でも気軽に使う「繋ぎの技」として認知されている。
 そして今回とり挙げる「アックスボンバー」はラリアットとほとんど同じムーブで、インパクトの瞬間、自身の上腕二頭筋をそのまま相手にぶつける技である。
 このように用途とムーブがそれぞれ微妙に違うのだが、素人目には当然、わからない。プロレスファンであってもレスラーを特定できない状態で技のムーブだけを見て「これはラリアットか、それともアックスボンバーか」と問われても判断に迷う。レスラーAが使う技が「ラリアット」、レスラーBが使う技が「アックスボンバー」という認識の仕方なのである。
 
 アックスボンバーという「ラリアット系」
 
 実際のプロレスラーが行った行動(ムーブ)から今回のテーマを紐解いていくことができる。
 アックスボンバーという技を現在の日本のマット界でフィニッシングホールドとして使うレスラーはほとんどいない。ある意味、ハルク・ホーガンが使った「アックスボンバー」が最初で最高の知名度なのである(ホーガンのアックスボンバーは逆に「ラリアット寄り」なのであるが)。近年では大森選手のアックスボンバーも有名ではあるが、世代はかなり限定される。
 そういう状況で、当時プロレスリング・ノア所属のレスラーだった秋山選手が突然、試合で「アックスボンバー」と叫んでこの技を使った。先にネタばらしをしてしまうと、秋山選手がずっとライバルだと思っていた同期の大森選手が退団して他団体に行ってしまったので、大森選手ともう一度戦いたいという意思表示であった。
 これだけ書くと「そんなこと会社に直接言えばよくね」と思うかもしれないが、プロレスラーの「退団」に円満退社はあまりない。長い年月でわだかまりが弱まることはあっても、後ろ足で砂をかけられた団体から退団した選手に直接オファーをすることはない。似ているようで「引退」と「退団」ではその意味するところが大きく異なる。
 だから団体から去った理由が「退団」の場合、出ていった選手と戦いたいと思えば、自分が「退団」するか、所属している選手の側から観客を巻き込んで対戦するための「空気」を醸成していく必要がある。ある程度、団体を追いかけているファンであれば全日本とノア、大森選手と秋山選手のいざこざや微妙な関係性は理解しているのも重要なポイントだ。勝利者インタビューやマイクアピールで次の挑戦者を指名するようなものである。その次期挑戦者候補と団体がちょっと過去に揉めているケースだと思えばいい。
 
 プロレスにおける伏線
 
 前回、プロレスの試合外で展開される「ストーリー」を説明したが、上記で説明したように、そのストーリー展開に至るまでの「伏線」が用意されているケースも多い。わかりやすい例で言うと、試合中の仲違い(タッグチーム解消の伏線)や試合後の握手(共闘の伏線)だったり、最近ではトーナメントやリーグ戦優勝後にシングルプレイヤーとしてやっていくための「伏線」としてユニット移籍が行われるケースもある。試合後の「ストーリー展開」のための「伏線」が試合中に用意されているのである。コアなファンにとっては「怪我での長期離脱」もユニットの移籍やダッグパートナーの変更といった出来事の「伏線」として捉えることができる。
 ごく最近では、新日本プロレスの金丸選手の所属ユニット離脱までの流れは秀逸であった。
 簡単に概略すると、「ジャストファイブガイズ(J5G)」と「ハウスオブトーチャー(HOT)」のユニット間で抗争が起きている最中、「J5G」の金丸選手が怪我で離脱してしまう。ユニット同士の対抗戦なので怪我で一人でも離脱してしまうと数的不利が生じてしまう。そして人員を補充することなくそのままシリーズ最終戦を迎え、数的不利の「J5G」がピンチになった時、怪我で離脱していたはずの金丸選手が試合中に助っ人として駆けつけるのだが、実は敵対している「HOT」に内通していた間者であって…と、もはや限りなくフィクションの物語のような引き込まれる展開である。
 このエピソードだけでも「プロレスから物語が学べるんじゃね」と感じた理由が理解してもらえるだろう。
 こういうものが積み重なって、今書き記しているような論旨のエッセイを思いついたのである。
 
 伏線の意義
 
 正直、物語論の方がおまけで、若干、邪魔くさくは感じているのだが、それを除いてしまうと、ただのプロレスオタクが居酒屋でプロレスの話をしているだけになってしまうので、最後に「物語論」を付け加えておくことにする。
「伏線」と聞くと、どうしても大仰なものを考えてしまいがちになる。特に近年では「伏線を回収すること」が作品の評価に繋がる場合があったりするので(それはそれでどうかと思うが)、目にはつきやすくなってしまうポイントではあるだろう。
 だが、本来「伏線」とは「物語」の添え物である。必要な要素ではあるが、伏線があるから物語がおもしろくなるわけではない。あくまで下支えや上澄みを増すものでしかない。物語の表現方法の一部ではあるが、どちらかというと作品内で披露される知識や設定の方に近い。
 もっと重要なポイントは、伏線とは「キャラクターの関係性に紐付いているものである」という点だ。
 なぜそのキャラクターが裏切るのか、なぜそういう行動をとるのか、伏線そのものより伏線だったと判明した後の「ネタばらし」的な内容の方が重要なのである。
 それはキャラクター同士の関係性であったり、過去の出来事やバックグラウンドであったり、それこそ「因縁」であったりする。大森選手と秋山選手の「アックスボンバー」も、ただ「対戦したい」というだけでは伏線にならないのである。そこに個人の思いがあり、関係性があり、わだかまりがあり、過去の因縁があるから「伏線」として機能するのである。
 演出としての伏線ならまだしも(ミステリーの探偵が犯人の名指しをするような)、手法としての伏線であれば、キャラクターが普段と違うこと(不穏な行動)をするぐらいで十分機能するのである。
 それは決してキャラクターの関係性より上位にくる物語要素ではないのである。

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